坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

芸風

2020年12月10日 | 坊主の家計簿

ウーマンラッシュアワーがTHE MANZAIに出て、変わらず炎上している。ウーマンラッシュアワーというか、村本は罵倒しての嫌われて芸で、変な話「嫌われてナンボ」だったりする。私はメッセンジャーあいはらという下衆な芸人のファンであり、あいはら目的でYouTubeをググっていたら売れる前の村本が別の芸人と相手を罵倒し合うのがあったりして、当然ながらそこでも村本全開であった。ただ、村本って意外とダメで「こりゃ売れるまで時間がかかったのは当然か」と思ったりもした。そんな村本からすると、今炎上しまくっているのは芸人として評価されているわけだから大喜びなんだろう。

不思議なのは、そんな炎上する事に対してアレコレ言う人の存在。政治ネタでの炎上だし、発言内容に賛同した人たちが「あの発言で炎上するなんて日本の保守化」云々と。いや、芸や芸。テレビから干されている云々もバラエティー番組での村本を観れば解るだろ。漫才師としてはパラダイスと共に優秀であってもバラエティーではポンコツだし。優秀な漫才師が優秀なバラエティー芸人になれるとは限らない。当たり前の話だ。


原発事故後にまるで世の中には被曝しか問題がないように騒いでいた人たちを私は「放射脳」と呼んでいる。面白い事に放射脳の多くは「コロナ脳」になっている。


議論というのは面白くて、Aという意見に対してBという反論が出て来た時にBが正しいとは限らない。そこから議論が始まる。議論は当然誰かとだけするものではなく、自分の中でも行うものである。Bに対してCという意見が出て来たり、あるいはAが反論したりする。

被曝の問題でも同じであって、政府などのAという意見に対して「実は真実はこうだったんですよ」というBという意見が出て来る。そして、議論が苦手な人は「え?私たち騙されていたのか?」とBにハマる。カルトと同じ構造かな?議論の基本ならばBの検証をすべきであるが、「本当はBだったんだ!みんな騙されている。眼を覚ませ!」的な全くカルトと同じ差別化を利用した優生思想になりBを検証しない。ええ、大谷派にも無茶苦茶多いパターンでんな。


議論には訓練が必要だし、議論になれていない人が多いのも確かである。徹底して疑う事は、ABの仲間と対立する事でもあり、変な話、議論よりも人間関係を重んじる生き方もあって当然イイ。大谷派だったら反被曝の人間関係の中で検証されてデマだと判明している事を鵜呑みにしてデマを撒き散らす生き方もあって良い。


芸を業と言い換えてみる。或いは業を芸と言い換えてみる。

Twitterで結構な数の人たちからブロックされているので、いい芸人さんからの情報が入って来ない。それでも東京新聞・望月記者や内田樹からはブロックされていないから、本人を含めて素晴らしい芸人さんからの情報を読む事が出来る。もう、見事なまでのブレない芸風である。

右派系は興味がないから余りフォローしてないけど、それでも例えばNIKECMに対する反応などを見ていると変わらぬ芸風だったりする。

同じように、冷徹というか議論好きというか、議論下手な人を弄る私みたいな芸風の人も居たりする。

私に突然「Aに熱狂しろ!」「Bに熱狂しろ!」というのは不可能なように、他の人たちも同じなんだろう。そんな芸風なんだろう。


因果は運命論ではない。故に「私はこういう芸風なんだ」と決め付ける必要はない。「私は日本人だから」「男だから」「僧侶だから」「引き篭りだから」に縛られる必要もない。縁によって変わるし、変えて行く事が出来る。

でも、私の目指す芸は自分や他人を差別する道からの解放であって、他人の芸風を理解する事だったりする。

南無阿弥陀佛の言葉解説を「六字釈」と言ったりするが私は竹中先生から聞いた「如来の本願は『みんなと一緒に生きたい!』という事なんですよ」という言葉を上回る言葉を自分で作れない為にそのまま私の言葉として使っているが、それが私の目指す芸である。

まあ、10年後には「念佛無間!世の中を乱す念佛者を許すな!」と言い出しているかも知れないけど、残念ながらそこまで大きな変化を出来る知力&気力が無さそうだったりする。