坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

おでえじに

2013年04月24日 | 坊主の家計簿
【聖書が命じていたのは、好きになれない人を好きになれとか、愛情を感じないあいてを愛するようになりなさいということではなかった。だれでも自分が大切にあつかわれることを願っている。そのように、その人をその人として大切にしなさい、ということでした。だから、あいてを好きになれなくても心配しないで。愛情を感じなくても、それはそれで大丈夫。でも、大切にしなさい、というのが、実は聖書の本当に意味だったんです。
 「敵をも愛しなさい」も正しくは「敵をも大切にしなさい」でした。弱い立場の仲間たちを平然と差別し、見下し、虐げてかえりみない人たちは、私にとっては「敵」(敵対する者)ですよね。それが宗教者であろうと大臣であろうと許せません。そういう人たちを好きになろう、愛せるようになろうとは思いません。思うべきでもありません。イエス自身、差別的な偽善的な宗教指導者たち(ファリサイ派、律法学士など)とあくまでも敵対し、歩み寄ることはしていません。やってはならないことなのです。彼らを好きになろうとか愛そうとか、そういう努力の影も見えません。にもかかわらず、イエスは言うのです。そういう敵対する関係だとしても、好きになれないあいてでも、「大切にしようよ」と。そういう彼らを大切に思うからこそ、イエスはファリサイ派の人たち、律法学士たちの非を容赦なく糾弾し、改めることを求めつづけたのです(マタイ23章を参照)。
 だれかを好きになることはすばらしいことです。だれかを愛せるようになることもとてもすばらしいことす。でも、それよりもっとすばらしいことがある、あいてをその人として大切にすること、これがいちばん大事なことだよ、と聖書は教えてくれているんですね。】
(本田哲郎神父「愛することより大切にすることを求めたい―平和を実現するために―」2011年7月8日)
 http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/honda.htm

 本田神父を最初に真宗で招いたのは(多分)俺や!!!(すいません、泥酔してます)。

【親鸞聖人が、弾圧するものに対して、晩年のお手紙にもございますけれども、念仏をさまたげるものをけっして憎んではならないと。そのもののために祈れ、といっておられます。念仏をさまたげるものは、外道性において生きておるという点では私も一緒だと、なんにも変わらない。われわれは、すぐにそれを敵とする。そうではなしにまったく一緒なんだと、ただそのことにナンマンダブツしておるか、していないかの違いだけなんだと。じつは、そのことが、決定的な違いなんですけれども、しかし、自己の外道性ということについては、なんら変わらんのです。】(和田稠『出離その期なし』186ページより)

 とっとと寝ます。

『知恵遅れと、知恵急ぎ』

2013年04月24日 | 坊主の家計簿
曽我量深「念仏は原始人の叫び也」。当然ネットに落ちてません。というか、曽我量深選集を全巻欲しい!3冊しか持ってないぞ。まあ、読みたくなったら借りに行けばエエだけの話でもあるのだが。


 『知恵遅れと、知恵急ぎ』

 という言葉を24か5の時に知った。大谷派の名古屋別院であった『生の芸術(アール・ ブリュット)』の展覧会のパンフレットに書いてあって、衝撃を受けた。

 当時の私、というか、今もなんだが、やはり『知恵急ぎ』を目指したい。変わったのは、その事が自分を苦しめる事にしかならないという事に気が付いただけ。他人を苦しめる事は自分を苦しめる事にも繋がるから、結果的に自分を苦しめている。

 『存在』という美しさ。それをいわゆる『障害者』に託すのは差別である。差別でしかない。しかしながら、その差別意識を通じて出会えるもの、差別意識を通じて自らの差別意識を問題視出来る事もあるだろう、いや、それしか『悟って』いない私(たち)にはないのではないのか?

 排除する、排除している人達から(あるいは自己・セルフ)から祈られている。

【あなた、本当の人になってください。本当の人になってくださるならば、その新しい人になったあなたのいのちのなかで、私たちは私たちの死を無駄にしないで、私たちはそこで成仏していきます。あなたのいのちのなかで、新しく私たちは成仏していきます。だから、あなたたちは、私たちを踏みにじっている限りにおいて、あなた方は何を負担としてもらうこともいらない。そうではなくて、人になってください。真の人間になって下さい。】(廣瀬杲『罪業深重』より)

【私たちが、生き物の「殺」の上に生きているとするならば、それに対して、私たちが「ありがとう」という、お礼の言葉ぐらいではすまない自分のいのちをかけての懺悔と報謝があるとするならば、草木国土をことごとく成仏せしむるような人間に、私たちが変革されなくてはならない。】(廣瀬先生『罪業深重』より)

 https://www.youtube.com/watch?v=XthvTgblizU