【聖書が命じていたのは、好きになれない人を好きになれとか、愛情を感じないあいてを愛するようになりなさいということではなかった。だれでも自分が大切にあつかわれることを願っている。そのように、その人をその人として大切にしなさい、ということでした。だから、あいてを好きになれなくても心配しないで。愛情を感じなくても、それはそれで大丈夫。でも、大切にしなさい、というのが、実は聖書の本当に意味だったんです。
「敵をも愛しなさい」も正しくは「敵をも大切にしなさい」でした。弱い立場の仲間たちを平然と差別し、見下し、虐げてかえりみない人たちは、私にとっては「敵」(敵対する者)ですよね。それが宗教者であろうと大臣であろうと許せません。そういう人たちを好きになろう、愛せるようになろうとは思いません。思うべきでもありません。イエス自身、差別的な偽善的な宗教指導者たち(ファリサイ派、律法学士など)とあくまでも敵対し、歩み寄ることはしていません。やってはならないことなのです。彼らを好きになろうとか愛そうとか、そういう努力の影も見えません。にもかかわらず、イエスは言うのです。そういう敵対する関係だとしても、好きになれないあいてでも、「大切にしようよ」と。そういう彼らを大切に思うからこそ、イエスはファリサイ派の人たち、律法学士たちの非を容赦なく糾弾し、改めることを求めつづけたのです(マタイ23章を参照)。
だれかを好きになることはすばらしいことです。だれかを愛せるようになることもとてもすばらしいことす。でも、それよりもっとすばらしいことがある、あいてをその人として大切にすること、これがいちばん大事なことだよ、と聖書は教えてくれているんですね。】
(本田哲郎神父「愛することより大切にすることを求めたい―平和を実現するために―」2011年7月8日)
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/honda.htm
本田神父を最初に真宗で招いたのは(多分)俺や!!!(すいません、泥酔してます)。
【親鸞聖人が、弾圧するものに対して、晩年のお手紙にもございますけれども、念仏をさまたげるものをけっして憎んではならないと。そのもののために祈れ、といっておられます。念仏をさまたげるものは、外道性において生きておるという点では私も一緒だと、なんにも変わらない。われわれは、すぐにそれを敵とする。そうではなしにまったく一緒なんだと、ただそのことにナンマンダブツしておるか、していないかの違いだけなんだと。じつは、そのことが、決定的な違いなんですけれども、しかし、自己の外道性ということについては、なんら変わらんのです。】(和田稠『出離その期なし』186ページより)
とっとと寝ます。
「敵をも愛しなさい」も正しくは「敵をも大切にしなさい」でした。弱い立場の仲間たちを平然と差別し、見下し、虐げてかえりみない人たちは、私にとっては「敵」(敵対する者)ですよね。それが宗教者であろうと大臣であろうと許せません。そういう人たちを好きになろう、愛せるようになろうとは思いません。思うべきでもありません。イエス自身、差別的な偽善的な宗教指導者たち(ファリサイ派、律法学士など)とあくまでも敵対し、歩み寄ることはしていません。やってはならないことなのです。彼らを好きになろうとか愛そうとか、そういう努力の影も見えません。にもかかわらず、イエスは言うのです。そういう敵対する関係だとしても、好きになれないあいてでも、「大切にしようよ」と。そういう彼らを大切に思うからこそ、イエスはファリサイ派の人たち、律法学士たちの非を容赦なく糾弾し、改めることを求めつづけたのです(マタイ23章を参照)。
だれかを好きになることはすばらしいことです。だれかを愛せるようになることもとてもすばらしいことす。でも、それよりもっとすばらしいことがある、あいてをその人として大切にすること、これがいちばん大事なことだよ、と聖書は教えてくれているんですね。】
(本田哲郎神父「愛することより大切にすることを求めたい―平和を実現するために―」2011年7月8日)
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/honda.htm
本田神父を最初に真宗で招いたのは(多分)俺や!!!(すいません、泥酔してます)。
【親鸞聖人が、弾圧するものに対して、晩年のお手紙にもございますけれども、念仏をさまたげるものをけっして憎んではならないと。そのもののために祈れ、といっておられます。念仏をさまたげるものは、外道性において生きておるという点では私も一緒だと、なんにも変わらない。われわれは、すぐにそれを敵とする。そうではなしにまったく一緒なんだと、ただそのことにナンマンダブツしておるか、していないかの違いだけなんだと。じつは、そのことが、決定的な違いなんですけれども、しかし、自己の外道性ということについては、なんら変わらんのです。】(和田稠『出離その期なし』186ページより)
とっとと寝ます。