坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

使い捨て

2012年04月25日 | 坊主の家計簿
 深夜のバラエティー番組を観ていたら、お笑い芸人の鳥居みゆきが元彼に宛てた手紙を読まれていた。バラエティー番組でありがちな「では、元彼登場!」というパターン。でも、手紙の内容で気になった言葉があった。うる覚えだが、「君は私を必要だと言ってくれた。ありがとう。おかげでこの世に居る意味が出来たよ。」と。

 ホームレス状態にある方々に「何が欲しいですか?」と聞くと「仕事」と答える人が多いらしい。殆どらしい。但し、その情報(釜ヶ崎の神父から)を聞いたのも20年近く前になるので今は知らない。金ではなく、仕事。

 真宗大谷派が




【原子力発電所の再稼働に対する真宗大谷派の見解
 原子力発電所の再稼動に対して、真宗大谷派では4月23日、解放運動推進本部長名による宗派の見解を発表しました。

 -すべての原子力発電所の運転停止と廃炉を求めます-
 
 真宗大谷派は、昨年末、政府に対して「原子力発電に依存しない社会の実現を目指す」要望書を提出いたしております。あらためて、生きとし生けるもののいのちを脅かすことなく、さらに未来を生きる子どもたちのためにも、一刻も早く原子力発電に依存しない社会の実現を目指すことを求めます。

 これまで、大地震にいつ襲われるとも知れない狭い日本の国土に54基もの原子力発電所を作り、電力供給を原子力に依存する生活を私たちは営んで来ました。
 原子力発電所は、小さな事故であっても、放射線による被曝によって、取り返しのつかない事態となり、すべてのいのちを奪ってしまう危険性があることを、東京電力福島第一原子力発電所事故で学びました。
 原子力発電所の稼働は、原発作業員の被ばく労働に支えられる社会を生み出し、ひとたび放射能に侵されればその地域や国土の風評被害を含め、そこに住む人々までも排除してしまうような「差別社会」を助長します。更に言えば現状の科学では、この地球上で原子力発電所で生じる放射能とは共生することはできず、むしろいのちの根源を奪うものと認識しています。
 さらに、このたびの事故により原子力を利用する限り、現在のみならず未来のいのちをも脅かす放射線被曝を避け得ないことが明らかになりました。
 私たちは、すべてのいのちを摂めとって捨てない仏の本願を仰いで生きんとする念仏者として、仏智によって照らし出される無明の闇と、事故の厳しい現実から目をそらしてはならないと思っています。
 すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力に依存しない、共に生きあえる社会の実現に向けた取り組みがなされる歩みを進めてまいりたいと意を決しております。

 2012年4月23日
 真宗大谷派解放運動推進本部長   林 治】
 
 http://higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=391


 
 という見解を出した。
 以前に出した

『すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力発電に依存しない社会の実現を求める決議』
 http://higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=380

 よりも、より一歩踏み込んだ内容(但し、議会決議ではなく『見解』)であり、ネット上では『賞賛の嵐』と言っていいぐらいであるが、私は少し違和感を感じた。

 今現時点で、この『見解』を出す事は、非常にタイムリーである。何せ、関西のニュース番組ではほぼ毎日、大飯原発再稼働の問題を取り上げている。当然、私が知っている範囲であり、かつ、全国ネットのニュース番組でも多く取り上げられている。関西の放送局の意見は、ほぼ反対である。『ほぼ』と付けたのは、全てを観ているわけではないからである。
 私も反対である。だが、大飯原発立地自治体の、おおい町議会、福井県議会が「再稼働」と判断したのならば、それを尊重する。愚痴は出るかも知れないが、反対はしない。
 今日もテレビニュースで、おおい町での再稼働賛成、反対の声を紹介していたが、再稼働しない場合メリット、デメリットの重みが違う。そのせいか、これはソースが不確かな上、うる覚えなんだが、おおい町での再稼働賛成の意見は他の自治体よりも多いらしい。当り前だ、生活がかかっている。

 大飯原発が再稼働しない場合の電力供給はよく問題にされているが、大飯原発が再稼働しない場合の雇用の問題、生活の問題はどうなるのだろう?大阪府市でも議論になっているのだろうか?

 私は17才の時に家出をして高校を中退した。中退して、某国民休暇村で住込みのバイトをしていた。その時に福岡の人が何人か居た。厳密にいうと炭坑地帯の人達だった。17才。高校に行っていたら3年生だったが、炭坑が廃坑になり、生活が大変だという事は知らなくて、バイトの先輩に教えて貰った。
 新婚旅行でも寄ったが、炭坑の町・北海道の夕張市は財政破綻した。
 映画『フラガール』の舞台になったいわき市も炭坑の町だった。

 おおい町の方々で、大飯原発再稼働を苦渋の選択で容認(賛成)する方々に対して、「大飯原発は廃炉に居たしますが、完全な廃炉までの雇用はこれだけあり、また、今まで多くの心労をおかけした皆様の再就職先も私どもが責任を持って保証致します」なら変わって来るのではないのか?多めの退職金と生活保護、即ち「金させ払えばエエねんやろ!」は違うだろ。国の都合で原発を推進し、大きな原発事故があったから原発を辞める。『国』といっても、選挙制度がある限り『国民』である。私たちである。私たちの都合で原発を推進しておきながら、事故があったから「じゃ、原発は辞めにして、ガス火力発電を基軸にしながら再生可能自然エネルギーへの路線を取らせて頂きます」と、原発立地自治体を使い捨てるのか?私たちの都合で危険を負わせ、私たちの都合で使い捨てるのか?公務員採用出来る様な施設を作りつつ、法人税を無税にして企業誘致を勧めるとか、交通網を整備するとか。使い捨てて、「昔は原発があって、この町も少しは賑やかだった」と語らせるつもりなのか?

 堀江邦夫氏の『原発ジプシー』だったかな?原発労働者が被曝の数値を誤摩化す話が出て来る。仕事が出来ないからだ。
 原発は労働者の使い捨てをして来た。都合が悪くなると、別の形で労働者も、自治体も使い捨てるのか?それをこの国は、私たちは、やろうとしているのか?