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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

紫式部

2014年09月10日 | ポエム
むらさきしきぶ・・・である。
丸くコケテイッシュな紫である。



そう・・・雪崩れるように紫の実を付ける。
それほど文学的な匂いを醸し出す訳でもない。
ただひたすら,秋を告げんとするのである。







「陽射し撥ね紫式部知らぬ顔」







紫式部が,満願を迎えんとする今「エンジュ」の花は終焉を迎えている。
満開のときの白さは、夜目にも鮮やかであった。



花が終ると、豆の莢が滴るように付く。



最近は、街路樹の一つとして重用される。
適度な日陰が良いのかもしれない。

一昨日は、中秋の名月。
昨日は、昼間の晴れで名月を期待したのだけれど・・・曇ってしまった。



明日はどうだろうか?
今年の中秋の名月は、無理かもしれない。
今夜から、月は欠け始めているからである。



        荒 野人


千歳川

2014年09月09日 | ポエム
湯河原の温泉街に沿って「千歳川」が流れている。
辿れば、芦ノ湖に至る川である。



漁協の看板によれば、この川は「友釣り」しか許可していない。
だがしかし、魚影は濃い。

目視できる濃さである。



いたる場所から、水が流れ込んでいる。
水も清んでいる。







「川に沿う湯浴みの町の秋澄めり」







いとこ会で出かけた湯河原である。
生憎の雨だったけれど、皆で小田原方面に戻り「かまぼこ」を買って帰路に着いたのであった。



もうすぐ、この山でも蜩が鳴き始めるだろう。
より一層、秋が深まって寂寥感が漂うのだ。



       荒 野人

湯河原にて

2014年09月08日 | ポエム
7日の朝、湯河原は煙っていた。
もっとも、日本列島の南の海では温帯低気圧が台風に発達した。

日本列島に横たわる前線沿いに、その台風は北上をするらしいのだ。
前線のもたらす余波は、湯河原も東京も雨に垂れ籠められている。



静かな温泉地である。
派手派手でなく、しっとりしている。

禍々(まがまが)しい原色の広告も無い。
湯浴みの街である。



山があり川がある。
釣り人は、渓流釣りに余念がない。
鮎の友釣り、その仕掛けを調えている釣り人である。







「相州や湯浴みの音の挟霧立つ」







留鳥の鴨が数羽、その川で遊んでいた。



ホテルの玄関の横には「周明菊」が咲いている。
湯河原はいま、秋の湯の街である。




       荒 野人

ミソハギ

2014年09月07日 | ポエム
もう大分前から咲いている。
ミソハギについて語ろう。



花言葉は・・・。
「切ないほどの愛」「慈悲」「意思の固さ」「愛の悲しみ」「悲哀」「純愛」である。



この色合いが好きだ。
ピンクなのだけれど、密やかだ。

漢字では「禊萩」と書く。
みそぎの萩なのだ。

古くから仏事に利用され、田んぼや畦に植えられてきて、ボンバナ(盆花)やショウリョウバナ(精霊花)とも呼ばれる紅紫色の6弁花である。







「ミソハギの甘き色合い風に揺れ」







今日は帰宅するのだけれど、湯河原は鄙びてしまった。
その鄙びた雰囲気がとても良い。

温泉地としての老舗、或いは矜持が漂う街である。
潮の香の、淡さが良い。

潮騒が、地響きの中に畳みこまれている湯河原である。




      荒 野人

萩の花

2014年09月06日 | ポエム
淡いピンクの花である。
古人も、今の俳人も「ほろほろ」と零れる様を詠んでいる。
確かにホロホロと表現しても良い、そんな花の小ささである。

まるで「赤まんま」のようでもある。

ところで、昨日は蒸し暑かった。
夜に入っても無風状態であって、じっとりと汗をかいた。
厭な蒸し暑さであった。







「公園の萩の流れる小さき川」







今日の雲は、剽軽でもあり暴力的でもあった。
雲は何も語らないけれど、創造のつぼを刺激するのである。



今日はこれから「いとこ会」に出掛ける。
年に一度のいとこ会だ。
今年は湯河原の温泉。

病人が多くなってきた。
欠席の姉や兄がいる。
ここ数年で一番参加者が少ない。

兄や姉、弟や妹たちを良く心に刻んでおかなければなるまい。
貴重な機会である。



       荒 野人