エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

しろきたおやかな山

2009年11月10日 | 日記
白くたなびく夕景の山の連なりは、まるで幽玄の世界に遊ぶようでぼくの好きな風景の一つである。

中国の黄山の夕景の神秘的とも言えるたたずまい。
同じく中国の璃口下りの山水の世界。
田園地帯にたたずむタージマハルの夕景。
タイの仏教寺院の夕陽を浴びた黄金色の甍。
アマゾンの夕日を浴びたそのくねった肢体。

みな艶(あで)やかで、扇情的でもある。





           しろきたおやかな山


        このなだらかな山はいったいなんだ
        このおだやかなまろみはいったいなんだ
        まろやかな山にむかうと
        ひたすらききゅうするのだ
        母のおもいでとゆたかだった母のひざのあたたかさ
        ゆたかだった母のふところのふかさ
        母にだきしめられたときのこうこつかん
        なだらかなかぁぶをえがいて
        てんにのぼりつめようとするすがた
        なだらかなかぁぶをえがいて
        海になだれおちようとするすがた
        それはすうこうでかおりたつのだ
        山は母であり海である
        母のようらんは母のにほい
        海のおくふかさは
        母のこうだいむへんのうちゅう
        ようすいのゆらぎ
        ようすいのゆりかご

        このなだらかな山はなんだ
        このまろやかなかぁぶはなんだ
        このおくふかい海のいろはなんだ
        このこうだいむへんのうちゅうはなんだ

        しろくたおやかな母のむねに
        かおをうずめていると
        しをさいのとおなりとはずれのさやぎが
        みゃくうつりずむをきざんでいく
        けつえきがみゃくうつのだ
        しろくたおやかな母のむねに
        ゆたかなばいおりずむをかんじると
        みあげる山と
        ふかくちんでんする海の
        いだいさがせまってくるのだ

        しろくたおやかな母のむねは
        だれにとっても
        山であり海であるのだ





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都会の水辺に集う小鳥たち

2009年11月10日 | 日記
ぼくの家の近くの公園にはささやかな水辺が大切に保存されている。
湿地に近い、小さな池である。



この池には以前にも紹介したけれどカワセミが来る。
餌付けはしていないので、時間は何時!と言えないけれど確実に毎日飛翔してくるのである。

この日、尾長鳥が飛来して水辺で遊んでいた。



長い尾を上下させ飛ぶ姿は、華麗でもある。
尾が翡翠色で綺麗な鳥である。

集団が多ければ多いほど飛翔する姿が華美に見える。

この尾長鳥のすぐ傍でアオサギがゆっくりゆっくり歩いて餌を探していた。



アオサギは姿勢をあまり変えない。
しかし餌を見つけると電光石火で動くのである。

この水辺の浮草の上でセキレイが一羽羽を休めている。



分かり憎いですか?
ど真ん中の小さな鳥ですが・・・。



これが乾燥した地面で歩いている姿です。
白セキレイです。




この日、柔らかな日差しの下で人は生きていた。
穏やかである。



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