エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

季節はいま

2009年11月09日 | 日記
晩秋である。
物悲しく、人恋しい季節である。

感傷・・・ペーソスというイメージがしみいる季節でもある。
人は食欲の秋とか芸術の秋とか言うけれど、ぼくはやはりしみじみと思い入る季節でありたいのである。



最近愛用のネット・ブックである。
キーボードに秋が降り立った。

欅(けやき)とハナミズキの落葉である。
この葉が、まるでポテト・チップスのようにカリカリになるのにはまだ時間がかかりそうである。

手で握り締めた時、パリッと割れる感触は冬のものである。





          季節はいま


      風が立つ
      風が流れる

      風が息吹く
      風が肢体を揺るがせる

      風が運ぶものは
      風が運んでくるものは
      形而上の概念
      形而下の物理的感覚は捨象されて
      風はいま
      季節を通達する
      ひとはその脳内で
      めくるめく感性を研ぎ澄ませ
      形而上の通達を捉えなければならない

      かつて直感で捉えた現象は
      いま科学的解析を待たなければならない
      曰(いわ)く感性の退化
      曰(いわ)く感性の劣化

      度し難い進化の矛盾
      ひとに求めよ
      先祖帰りの儀式を

      漆黒の闇に畏怖した記憶
      自然のあらゆる現象に意味を求めた遠い記憶
      その逞(たくま)しき意識の内なる尊大
      生命の起源にさかのぼりつつ

      ひとは風に身を委ねよ
      研ぎ澄まされた感性で






毎年この時期、日曜日というと黄色くなった銀杏の木の下でバイオリンを弾いていた彼が姿を見せていないのである。
体調でも壊しているのだろうか。





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                     荒野人

海鳥は海上を翔る!

2009年11月09日 | 旅行
海鳥は海上を翔る。
当たり前である。

そんな事実に気づかされるのが旅である。



カモメである。
低く海面すれすれに滑空していく。
その姿はシャープである。



彼は、ぼくの目の前を行ったり来たりしてくれた。
名前は「ジョナサン」ってか!



この港では海鳥が疲れると、一番端の埠頭で休憩するらしい。
多くの海鳥が羽を休めていた。



この日、海は荒れていたのだけれど海鳥はお構いなく飛翔していた。
街は遠く霞んでいた。



海鳴りは聞こえていないけれど、打ち付ける波のしぶきが荒れているのを知らせるのである。



小型の海鳥はテトラポットの影でチョコチョコと歩き回っている。
流線型の姿である。

海は内なる母の記憶である。



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