エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

藤亭の蕎麦定食

2009年11月23日 | グルメ
予定通り昨日の昼、藤亭の蕎麦をいただいた。
もう新蕎麦とは言わないけれど、ここは安曇野の蕎麦を食わせる。
店の一画で蕎麦を引き、蕎麦を打つ。

文字通り「手打ち蕎麦」である。



ここが蕎麦屋藤亭の玄関である。
蕎麦が美味い。
茹で具合が良いのである。
茹で具合が良いから、喉越しが香り立つのである。

蕎麦の香りは、喉を通り過ぎる瞬間に発散されるのだ。

定食のセットも適当である。



これで1,200円也。
茶碗はマツタケご飯である。

量も適当で、楽しめるのである。



満腹になって外に出たら、玄関の右側にまだ赤さを残したカエデが立っていた。
秋から冬への移行期をシンボルする色合いである。

わが茅屋の裏手の山の色気はこうなっている。



12月にもう一度来たいと思う。
雪が舞う空気を伝えたいのである。



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              荒野人

冬の薔薇

2009年11月23日 | 日記
冬の薔薇(バラ)は可憐である。
色にそれほどの鮮やかさは無いのだけれど、慎ましやかで高感度は高い。

少なくとも、ぼくは好きである。




          冬の薔薇


      山から下ろしが吹き付ける金網フェンスに
      薔薇が震えている
      可憐な花に変身している
      薔薇の本質が呼吸する
      数輪の花弁が散るとき
      次の花が咲き
      輪廻転生の現世への具現をシンボルするのだ

      冬の薔薇が示す現世は
      慎ましやかであらねば
      と指し示すのである

      きみと話しているとき
      きみの唇から発せられる吐息の甘さは
      薔薇の香りである
      その香りは
      いつまでも付き纏って消えることは無いのだ

      その吐息をおしいただき
      ブラック・ホールの中心へと誘う

      冬の薔薇の神秘は
      可憐さにあるのだ

      可憐な立ち振る舞いを秘めやかに行う
      冬の薔薇に
      きみを重ねるのだ

      だから
      冬の薔薇は決して手折られることはなく
      あくまでも冬の薔薇の意志が尊重されるのだと





ぼくは、けっしてこの薔薇を手折らない。
薔薇が暗黙の了解を示さない限り。
これはぼくの美学でもある。




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