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炭焼き母ちゃんの奮闘記
スローライフ・エコライフ・エンジョイライフ

あれから4年

2015-03-12 20:14:31 | 日記

東日本大震災から4年。
私自身はボランティアどころか、何一つ目を向けている余裕もなく今日まで来てしまったような気がする。
今少し現実に目を向けて、そう、4年経ったのだなぁ・・・としみじみ思うのだけど、それも皆の思いとはちょっとずれているものであることは確か。

あのとき、紀南地方にも出された大津波警報。
第一報を聞いたのは海を眼下に眺める場所だった。
忘れもしない、長男が高専を卒業して寮を引き払うべく荷物を積んでいる真っ最中だった。
そのあと、海沿いを南下してその日仮免合格したての長女を自動車学校まで迎えに行って帰宅した。
その日から約2週間、盆と正月以来5年ぶりで家族5人そろって過ごした。

3月末、長男・長女それぞれ県外に巣立って、まず戻ってくることはないだろう!と確信に近いものをもっていた。
つい、先日まで!!

今年、正月の帰省を終えてからも入れ替わり立ち替わり面接や何やらで戻ってきていた。
その結果、二人とも社会人となって実家から通うことがほぼ決定。
来週、再来週に卒業式を終えて、雑務が済んだら荷物をまとめ、アパートを引き払って帰ってくる
今、引っ越しのために、伊勢、松山と走る予定をたてているところ。
それ以上に問題は、我が家の受け入れ体制が整っていない

4年前は寮から次の寮なりアパートなりへの引っ越しの仮住まいだったけど、今回は違う。
帰ってきたら数日後には二人とも入社、仕事が生活が始まる!

どうしたものか?!
寝る場所の確保さえできるのか?!
頭の中はグルグル、クラクラ
あれこれめまぐるしく思考している合間にふと、「あぁ、あれから4年が経つのだなぁ・・・」と感慨にふけってしまうのである。
震災とはかけ離れた思いで申し訳ないけれど、大学生として送り出したあと、ただただ突っ走るしかなかったから・・・

二人が戻ってきて、お互いの生活リズムに慣れるまでしばらくは大変だろうと思う。
梅が終わる頃には、もうちょっと周囲のことにも目を向けられる余裕ができるかなぁ・・・ちょっとだけ淡い期待をもっている今日この頃である。
いや、まずは現実!!
荷物置き場と化してしまった子供部屋を何とかせねば


寒かった~~~(>_<)

2015-03-12 11:25:49 | 日記

釜場の下の梅畑も満開になって気を許した私がバカだった。
三寒四温と言うけれど、まさに、一昨日からの寒さはこたえた(^_^;)

10日(火)は朝から釜場で箱詰め作業。
主人は炭焼きの研修に出かけて、私一人だった。

3~4時間で片付くだろうとふんで取りかかったものの、寒さで手はかじかむし、動きは鈍く、思う様にはかどらなかった。
炭の山を前に、座り込んでの作業。
ほとんど手しか動かさないけれど、結構肉体労働で体は冷えないが、一昨日は違った。
下ばかり見て黙々と箱詰めしていたら、ふと体が芯から冷えてくる感じがして顔を上げたら、雪が舞っている。
「どおりで・・・」
たき火をしているドラム缶に手を突っ込む様にしてしばらく暖をとってから、また作業。
雪は降ったりやんだりで、合間にはお日様も顔出して作業がはかどることもつかの間、体を温め、あたため、休憩が多くて時間がかかった。

3時過ぎ頃、風が強くなって雪が中まで吹き込みだした。
大あわてで、できあがっている製品の箱くくりをしてコンテナの上に積み上げ、上から覆いを掛けて雪から守る。

その後、ラストスパートをかけて、残る炭の箱詰めに集中していた。
ふと、顔を上げてビックリ!!

雪が積もっている
わずか30分足らずだ。
おまけに、天井下に置かれているコンテナの炭の上も真っ白
風が強くて、舞い込んできた雪がどんどん積もっていってたようだ
「よくまぁ、先にくくっておいたもんだ」とちょっとホッとしたものの、さらにピッチをあげてかたづける。
「寒い!」なんて言ってる余裕も無かった
炭の箱には全面を覆う様にしてビニールシートをかぶせて、帰り支度をはじめた。

  
道を心配していた私、その前に車やった
エアコン入れて、窓を暖め、釜場へ戻って水をぶっかけて、さぁ発進!と思いきや

サイドミラーも見事に真っ白
初めての経験、慣れてないからとはいえ、雪国の人たちはホント大変だなぁ・・・
道はなんてことはない! おまけに、下の集落まで来たら積雪もなく、雪がぱらつく程度だった(^_^;)

”寒さ暑さも彼岸まで” あと10日~2週間てところだろうか?
春まで、あともう少し!