ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

21.10.16 試論・ニッポンの現状の総括③ 右傾化について

2021-10-16 | 戦後民主主義/新自由主義






 ぼくなんかの子供の頃から見たら、今のニホンは異常なくらい右に寄ってるんだけど、ひょっとしたら平成半ば生まれの人にとっては、これがそのままデフォルト(初期設定)になってるんじゃないか。そう考えるとちょっとコワい。
 きっかけになったのは90年代半ばの「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり(1953/昭和28年 生)だろう。日本版wikiの当該項目をみると、果たして、


しばしば「ネトウヨの生みの親」と指摘される……


 と記してある。ただしそれには続きがあって、


 ……指摘されるものの、小林はネトウヨを嫌っており、「ネトウヨは『戦争論』の副作用である。」「隣の国の悪口で自我を肥大させ尊大になっている日本人なんて美意識のカケラもない。」と強く批判している。


 ともある。ヘイトスピーチを批判しているのだ。意外と真っ当なのである。


 遡ると、1996(平成8)年に「新しい歴史教科書をつくる会」という団体ができて、従来の歴史教科書は「自虐史観」に貫かれている。という主張を声高に述べた。このあたりから潮目が変わってきたと思う。
 このとき藤岡信勝、西尾幹二、田中英道といった論客が押し出してきたのだが、若い世代に強くアピールしたのは、こういった人たちの言説ではなく、やはりマンガで描かれた「ゴーマニズム宣言」のほうだった。ビジュアルのインパクトは強烈なのだ。
 ゼロ年代いこう、かつて小林よしのりがいたポジションに鎮座するのは百田尚樹(1956年/昭和31年 生)だろう。このひとは作家なのだが、youtubeに盛んに登場して安倍応援団の主力タレントとして活躍している。かつてヒトラーは、大衆の人心掌握術の要諦として、「とにもかくにも、一にも二にもわかりやすく、わかりやすく。大衆はろくに本など読まぬのだから、論説で訴えかけても無駄である。スピーチがいちばん効果的だ。」といった。
 さすがに真理を突いている。
 1968(昭和43)年、全共闘運動の際には、学生が「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」を携えていると揶揄されたものだが、今やもう「マンガ」でさえも媒体としては回りくどくて、youtubeでまくしたてて顔を売るのが最適解なのだ。スターyoutuberが巨万の富を得るのも道理だ。
 百田尚樹は、小林よしのりとは違い、ネトウヨを忌避しておらず、それどころか、自らヘイトまがいの弁舌をふるうことも辞さない。
 2012(平成24)年の第二次安倍政権発足いこう、もはやウヨク的言説は異端ではなく、ネットでは大勢を占めるに至ったかにみえる。
 こうなった理由はシンプルで、日本の国力が弱くなり、代わって中国がべらぼうに台頭してきたからである。さらに韓国までもが経済力・技術力で日本に迫り、部門によっては上回っている。
 戦後長らく日本がアメリカに次ぐ世界第2位を堅持していて、ナショナル・アイデンティティの裏打ちとなっていたGDPも、2011(平成23)年に中国に凌駕されてしまった。なお、一人当たりのGDPでは、2018年度に韓国に抜かれてもいる。
 むろん、GDPがそのまま経済力をあらわすわけではないし、ましてや国民ひとりひとりの幸福度となればまったくの別物といっていい。しかし、それにしても、こなたが弱くなり、あなたが強くなっている事実はごまかしようもない。
 日本が衰退しているのだ。そして、これまで下に見ていた隣国が肩を並べ、ぐいぐいと上を目指している。それゆえにニホン国内では、国粋主義が盛り上がっている。焦燥、不安、苛立ち、そして歪んだ優越感、そういったものの複合体。つまり本来の意味でのコンプレックス……その発露だ。
 シンプルすぎてナミダが出るような話である。
 眞子さんは宮内庁を介して、国民の切なる声をことごとく「誹謗中傷」と一括りにして拒絶したらしいが、世の中には無謬のものなどありえないので、どのような存在であろうととうぜん批判を受ける余地はある。中にはもちろん「誹謗中傷」も「ヘイトスピーチ」もあるわけだが、そこから「正しい批判」を選り分けて、聞くべきものには耳を傾け、自分自身にフィードバックして、絶えず改善を試みるのが肝要なのだ。
 今の自民党にいちばん欠けているのもその姿勢で、政権与党のそのような態度は、国民主権の民主主義を蔑ろにするものだ。その点において、中国共産党とどれほど違うのかと言いたい。ほとんど程度問題ではないか。
 中国や韓国に対する意見も、もとよりすべてがヘイトではなくて、正当なものも少なからずある。いや、「本来ならばぜひ言っておかねばならない」ことがたくさんある。むしろ、ぜひとも言っておくべきなのに、政府が「外交上の配慮」から口にしないことのほうが多い。面と向かって口にできないそういった不満の数々が、ネット上でのヘイトになったり、もう少し大きな媒体として、「will」や「月間hanada」の記事になったりする。そんな言い方もできる。
 しかし、相手国に対して直にいうべきことならば、やはり様々な手立てを尽くして、どうにかして相手に伝えるのが筋だ。少なくともそう努めるのが筋だ。国内だけで気炎を上げて言いたい放題で憂さを晴らしても、結局それは、小林よしのりのいうとおり、「美意識のカケラもない」ふるまいでしかないだろう。ましてや政府の要人クラスがそれをやるのは論外である。
 そして、無法なことを仕掛ける隣国に対して、言うべきことをきちんと言うためには、やはり十分な国力が要る。国力を真に担うのは大企業や富裕層ではなく(なぜなら大企業や富裕層はたやすく国境を越え出ていくから)、健全なる分厚い中間層なのである。だから中間層を潰して貧困層を増やしまくる政権は「愛国」とは程遠いのだ。つまり「新自由主義」は「愛国」的ではまったくない。ネトウヨ的な指向をもった人たちが新自由主義政権へと回収されるトリックをどうにかして打ち破らねばならない。