ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

リベラリズムについて ①

2019-02-16 | 哲学/思想/社会学


 仲正昌樹さんの『集中講義! アメリカ現代思想』(NHKブックス)は、『集中講義! 日本の現代思想』(同)とならんで、たいへんお世話になった本である。いや過去形じゃなく、いまでもたびたび読み返す。
 あ。ついでにいうと、この『集中講義! 日本の現代思想』と、佐々木敦さんの『ニッポンの思想』(講談社現代新書)の2冊を読めば、平成生まれの若い人にも、80年代バブル期からゼロ年代初頭くらいまでのニッポンの「現代思想」かいわいのことがよくわかる。
 ポストモダンだのポスト構造主義だの、その手のややこしそうなアレについても分かる。べつにそんなもん分からいでええわ、と思われるかもしれないが、けっこう今に繋がってるんで、知っといて損はないです。
 しかし本日はそっちじゃなくて、アメリカのほうの「現代思想」の話である。
 前回とりあげたロールズの『正義論』がアメリカで出版されたのは1971(昭和46)年。アポロ14号が月に着陸した年だ。いっぽう、ベトナム戦争は泥沼の様相を呈していた。理論書だから、そんなトピックをじかに扱ってるわけではないが、そういう時代背景のもとで出た本なのだ。
 日本では1979年に翻訳が出たが、さほど話題になったわけでもないし、80年代にも、とくに注目されなかった。ニッポンの80年代思想と言やあ、それこそフーコー、ドゥルーズ、デリダを筆頭とするフランス思想がもろクローズアップされてた時期だ。火付け役は浅田彰さん。しかしこのころ、それらの人たちの主著がきちんと翻訳されてたわけじゃなく、お世辞にも、まともな受容とは言いがたかった。
 「バブルに浮かれた空騒ぎ」の一つとまで言ってしまったら貶しすぎだけど、あの流行によってニッポンの知的風土が豊穣かつ緻密になったとは思えない。本当にそうなってたんなら、95年のオウム事件は起こるはずがない。
 ちなみにぼくはその頃、フランスの現代思想は「なんか肌に合わんぞ……」と思い(いやまあ、べつにきちんと理解できてたわけじゃないのだが)、ドイツの「フランクフルト学派」ってえグループのほうを向いていた。哲学だの思想だのが好きな学生の中には、そういうタイプも一定の割でいた。
 なにを申し上げたいかというと、とりあえず80年代には「現代思想」っつったらまず「ヨーロッパ」だったってことである。それもイギリスじゃない、大陸のがわだ。
 ブダペスト出身のカール・ポランニーの専門家として売り出した栗本慎一郎みたいな人もいたけれど、そのポランニーとてウィーンで生まれてブダペストで育った経済人類学者、すなわちほぼ東欧圏とはいえ「ヨーロッパ」のひとだ。
 イギリスや、ましてアメリカの「現代思想」なんて、まるで知的トレンドじゃなかった。
 がぜん風向きが変わったのは、やはり89年のベルリンの壁崩壊、つづく91年のソ連解体によってである。
 そのずっと前から、「ソ連とか東欧とか、社会主義(国)てのはとんでもねえ。どうしようもない。終わってる」なんてこと、みんなとっくに分かってたのに、その時になっていきなり慌てだしたのだ。うかつなようだが、それくらい、「冷戦構造」ってものが体に染みついちゃっていた。
 もちろん「フランス現代思想」の面々にしても、「フランクフルト学派」にしても、そりゃ「左派」ではあるけどマルクスを信奉しているわけでもないし、べつに社会主義者でもない。だから生粋のマルクス主義者ならともかく、これら「ヨーロッパ現代思想」に依拠していたニッポンの学者たちは、べつに冷戦構造がパラダイム・シフトしたからって、そんなに慌てることはなかったはずだ。本来ならばね。
 だが、「資本主義」のアンチテーゼとしての「社会主義」の可能性があからさまにぶっ潰れて、「市場原理」だけが幅を利かせるグローバル経済の真っただ中にぼーんと放り出されてみると、フーコー、ドゥルーズ、デリダにせよ、フランクフルト学派にせよ、「あれ? いやいや。よう見たら、これってあんまり役に立たんのとちゃうん?」ってことに気づいちゃったわけである。
 つまり、それらの思想ってのものは、現状の問題点を剔抉(てっけつ)する「批判理論」としてはむちゃ鋭い。しかし、「新しいパラダイムの中でどのような社会を形成していくか?」という点については弱かったのである。

 このあたりのことを仲正さんは、『集中講義! アメリカ現代思想』の26ページでこう述べている。

「(……前略……)少なくとも当面は、社会主義のようなオールタナティブな体制をいきなり打ち立てようとするラディカル思想が非現実的であることを認めざるを得ない以上、自由主義あるいは資本主義社会の存続を前提にしたうえで、可能な限りの改善、社会的公正の確保を求めるしかない。そこで、アメリカの「リベラリズム」系の議論が、マルクス主義ほど人を熱狂させるものではないにせよ、現実的な社会変革を目指す思想(原文ここゴチック)として、今さらのように注目されることになったのである。」


 というわけで、『集中講義! アメリカ現代思想』は、ロールズを中心に、その「アメリカのリベラリズム思想」をていねいに解説していく本だ。そこから「リバタリアニズム」と「コミュニタリアニズム」とが派生し、「三つ巴」となって絡み合う。2010年に「ハーバード白熱教室」で日本でもブームを巻き起こしたマイケル・サンデル教授は、その「コミュニタリアニズム」の旗頭だ。
 原典ともいうべき『正義論』の重要さはいや増すばかりで、2010年には、神島さんを含むお三方の共訳で新しい日本語バージョンもでた。願わくば、値段のほうももう少しリベラル(笑)にしてもらえんかったかと思うわけだが。




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