引っ越しのあとの「ダウンワード・パラダイス」では、とりあえず二つのカテゴリを立てている。ひとつは「純文学って何?」で、これは文学についての「総論/概論」だ。もうひとつが、「戦後短篇小説再発見」で、これが各論ということになる。前のダウンワード・パラダイスから記事を引き継いでいるのは、今のところこれだけである。これまで書いた第一回分と第二回分とを転載する。読み返してみたら少し不備が目に付いたので、数ヶ所に手を加えた。
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講談社文芸文庫の『戦後短篇小説再発見』は良い企画だった。2002(平成14)年に全10巻が出て、好評につき翌2003年に全8巻が追加された。計18巻のシリーズとなったわけである。いまは残念ながら売れ行きの芳しくない巻は品切れとなっているようだが、いやしくも純文学を志す者なら一度は目を通しておきたいシリーズであり、ことに第1期の全10巻は、できるなら手元に置いて繰り返し味読するのが望ましい。
『戦後短篇小説再発見』はテーマ別編集になっている。その記念すべき第1巻のサブタイトルは「青春の光と影」。ご存じジョニ・ミッチェルの代表曲の邦題でもあり、同じ邦題をもつアメリカ映画も1960年代末期に公開されている。つまり、いかにも「あの時代」くさいタイトルであり、これは編者たち(井口時男、川村湊、清水良典、富岡幸一郎)がもろ「あの時代」に青春を過ごした世代ってこともあるし(富岡さんだけは少し下だが)、半分くらいは「狙って付けた」ということもあるかとも思う。本人たちは「狙った」つもりでも傍から見ると外してるケースはままあるわけだが、しかしぼくがアタマをひねっても、これに代わるサブタイトルは思いつかない。くさいけれどもしょうがない、といった感じで、ひょっとしたら「青春」ってものが元来そういうもんなのか……とも思う。
この記念すべき第1巻の記念すべき巻頭作品、つまり全18巻の筆頭を飾るトップバッターは、やはりというか流石というかダザイであった。選ばれた作品は「眉山」。1948年の3月に発表された短編で、彼はその6月に入水自殺(心中)をしているから、まだ40歳前とはいえ、最晩年の作品ってことになる。
眉山(びざん)とは徳島県徳島市に実在する山の名で、さだまさしがここを舞台に小説を書いた。絵柄としても綺麗だし、一般受けするお涙ちょうだいの素材だったので映画やドラマにもなって、今となってはこちらのほうが有名だろうが太宰の眉山はこの山とはまったく関係がない。明治時代の作家、川上眉山を指しているのだ。といってもべつに川上眉山その人が登場するわけでもなく、この作家にちなんだ綽名を付けられた飲み屋の「女中さん」を描いた話なのである。
「これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、未だ発せられない前のお話である。」
この一行から小説は始まる。作品が発表された頃の読者にはすぐ分かったろうが、「飲食店閉鎖の命令」なんて言われても、ぼくらには何のことだか分からない。こんな話は学校の授業で教わらない。なんでも終戦から二年後の1947(昭和22)年に、食糧危機の対策として、外食券食堂などを除き、全国で約33万軒の飲食店が閉鎖されたらしいのである。戦時中の食糧難については知っていても、敗戦ののち二年経ってからそんなことになっていたなんて意外だと思う人も多いのではないか。しかし思えば、「焼け跡・闇市」といわれるのはこの時代である。つまり表のルートでは満足な食料が手に入らぬので、「闇」のマーケットが成立し、庶民はそれで露命をつないでいたわけだ。そして、太宰がこれを書いた1948年3月の時点で、どうやらこの「閉鎖」はまだ解かれてないようだ。いちおう回想ものだけど、ライブ感に満ちた話でもあるのだ。
「新宿辺も、こんどの戦火で、ずいぶん焼けたけれども、それこそ、ごたぶんにもれず最も早く復興したのは、飲み食いをする家であった。帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。」
冒頭の一行に続くくだりがこれだ。してみると、1945年8月の敗戦のあと、裏ルートではわりあい早く、飲食店が開業できるくらいの物資が出回るようになったらしい。庶民の逞しさを感じるが、それがお上から閉鎖命令を受けたということは、ここでいったん統制を強めて、その種のルートを断ち切ろうという政策が行われたわけだろう。
引用した一節のあとで、二行の会話が挿入される。「若松屋も、眉山がいなけりゃいいんだけど。」/「イグザクトリイ。あいつは、うるさい。フウルというものだ。」 ここで読者の前に表題の「眉山」という名が示されるわけで、この呼吸がいかにもダザイである。うまい。イグザクトリイだのフウルだの、わざわざ無理に横文字を入れるあたりも太宰調だが、ただしこれは、たんに気障ぶっているだけでなく、戦時中は「敵性語」として英語が禁じられていたので、そのことへの皮肉も含んでいるかもしれない。
「眉山」という固有名詞は出たものの、それが誰のことを指すのかは示されない。すぐには説明しないのだ。「若松屋」という「飲み食いをする家」のほうが、先に説明されるのである。ツケがきくうえに、わがままも通るし、居心地がよいので三日にいちどはその店にいき、二階の六畳でぶっ倒れるまで飲んでそのまま雑魚寝する。若松屋とはそういう飲み屋で、ようするに溜まり場である。この語り手はわりと知られた物書きであるらしく、飲み友達にも著名な文化人が多い。むろん太宰本人がモデルなんだろうけど、それならもう三十も後半で、ちゃんと妻子もいるはずだ。なのにこの生活態度は家長というよりどう見ても若者のそれである。だからこそ「青春の光と影」の巻頭作品として選ばれたのだ。
「眉山とは誰か?」という疑問を宙吊りにしたまま、舞台となる若松屋の紹介を手際よく済ませ、おかみさんをはじめ、そこの従業員が「小説家」に敬意を抱いている旨が述べられる。ちょっとしたスター扱いであり、わがままがきくのはそのせいだろう。娯楽の乏しい時代だから、そういうことはあったと思う。ことに「女中さん」のトシちゃんは、幼少の頃より小説がメシより好きだったとのことで、語り手の「僕」にはもちろん、「僕」の連れてくるお客たちにもいつも好奇の目を向ける。「僕」が連れてくるのは作家に限らず、画家などもいたりするのだが、トシちゃんは、みんな小説家だと決め込んでいる。ところが、憧れだけが先行し、知識が伴っていないので、「僕」は彼女を小馬鹿にして、でたらめばかり教える。
「頭の禿げた洋画家」を「林芙美子」だと紹介し、トシちゃんが戸惑うと、だって「高浜虚子」も「川端竜子」も男性じゃないか、と言いくるめる(念のために言っておくと、これは本当だ。ただし「こ」ではなくて「し」と読むのだが)。インターネットやテレビはおろか、新聞や雑誌にカラー写真さえ載らない時代だ。トシちゃんはたしかに無学なのかもしれないが、それをこんなふうにからかうのは、ひどい。このあたりもまた、40近い妻子もちの男の所業ではなく、いかにも「若僧」(もっとはっきりいうなら、ガキ)だねえという感じだ。
そしてトシちゃんは「僕」が連れてきたピアニストの川上六郎のことを、姓だけ聞いて「川上眉山」だと早とちりする(最初にも記したとおり、川上眉山は明治の作家で、その当時から見ても40年近く前に没している)。「僕」は彼女のあまりの無智にうんざりし、「馬鹿野郎!」と怒鳴りつけ、その日からトシちゃんの綽名は「眉山」になった。こうしてようやく、「眉山」のいわれが明かされるわけだ。
「眉山の年齢は、はたち前後とでもいうようなところで、その風采は、背が低くて色が黒く、顔はひらべったく眼が細く、一つとしていいところが無かったけれども、眉だけは、ほっそりした三ヶ月形で美しく、そのためにもまた、眉山と言う彼女のあだ名は、ぴったりしている感じであった。」
そんな女性はたしかに居る。けして美貌ではなく、垢抜けてもいないが、眉がきりりと整った女性。ぼくもひとり知っている。その女性はむろんこの眉山とはかなり違うが、けっこう似ているところもあった。今はもうこの世にはいない。あっ、こんな人のこと知ってるぞ……と思わせるのは、やはりこの短編が名作ってことなんだろう。
「僕」の知り合いの常連のなかには、若松屋のことを眉山軒などと称する者も出てきた。それだけ眉山ことトシちゃんのキャラが立っていたってことだけど、しかし、キャラが立つのと「うざい」のとは紙一重なわけで、冒頭の会話からも知られるとおり、彼女の「無智と図々しさと騒がしさ」は、インテリ常連たちから軽蔑され、疎ましがられている。
「下にお客があっても、彼女は僕たちの二階のほうにばかり来ていて、そうして、何も知らんくせに自信たっぷりの顔つきで僕たちの話の中に割り込む。」 ……それでたとえば、「基本的人権」という単語が出たら、「それはいつ配給になるんです?」などと口を挟んで一堂をシラケさせたりする。「人権」を「人絹」(ナイロン)と間違ってるわけだ。
このあたりからしばらく、眉山ことトシちゃんの嫌われっぷりが、会話形式でテンポよく綴られる。誰がどの台詞を口にしたかはいちいち表記されない。語り手をも含む常連たちの雑談という体裁である。こういう呼吸を見ていると、やはりダザイってのは天性の語り部だったんだなあと改めて思う。作家っていうより手練れの落語家の話芸に近い。
噂話・陰口という手法を用いて、しかしここでは眉山について、地の文よりもはるかに多くの情報がどっさり読者に提示されるのである。まず、彼女が御不浄(トイレ)で盛大におしっこをこぼしたという件。こういう下ネタが太宰は好きだ。あまりにも有名な『斜陽』の冒頭シーンを誰しもが連想するところだろう。
これはたんなる悪趣味というのでなく、登場人物に生々しい肉体を与えるテクニックと解するべきで、小説を書くうえでの参考になるが、もちろん、多用しすぎると下品になる。太宰はこのあともういちどこの「おしっこ漏らし」の挿話をスケールアップして持ち出してくるが、それだけやってもぎりぎり下劣に堕さないあたりはたいしたものだ。
もうひとつ、眉山の生家は静岡の小学校(!)で、彼女はそこの「小使いさん」の娘だという事実もここで語られる。この「小使いさん」という単語も、「女中さん」と同じく今は差別用語扱いになっている。今は「管理作業員」というのであろう。しかし作品の書かれた時代背景を考えるうえでは、現代の用語に置き換えてしまっては意味がない。昔はどうも、この「小使いさん」が夫婦で学校に住み込み、そこで子供まで成す、ということがふつうにあったようである。とはいえ、そうやって生まれた子供はたぶんもう十代のうちにそこを出て、早々に自分ひとりで生計を立てねばならないことは容易に推察できる。だからトシちゃんが少々がさつで無学だとしても仕方あるまい。それなのに、少しは名の知れた「文化人」たちが雁首を並べて彼女のことを笑いものにしてるんだからひどいもんである。
その②へつづく。