ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第2回・石原慎太郎「完全な遊戯」その①

2014-09-29 | 戦後短篇小説再発見

 講談社文芸文庫の「戦後短篇小説再発見」シリーズ所収の作品をあたまから順に批評してみよう、と思い立ったのはじつは去年の暮れなのだが、それがここまでズレこんだのは、ひとつには、開始早々2本目にして、さっそくこの「完全な遊戯」が出てきやがるせいなのだ。こんなのを二番手に持ってくるなんて、編者たちはじつにいい度胸である。よく言えば野心的、もっとはっきりいうなら軽率だろう。それというのも編者の四人、すなわち井口時男、川村湊、清水良典、富岡幸一郎は、みな相当な目利きであり、読み巧者には違いないのだが、ご覧のとおり全員がオトコなのである。もし仮に女性の編者が混じっていたならば、果たしてこの「完全な遊戯」が選ばれたどうか、極めて疑わしいとぼくは思っている。

 初出は1957年の「新潮」で、なんと半世紀以上も前なのだが、これは今読んでも問題作であり、「戦後短篇小説再発見」全18巻のうちでもたぶん一、二をあらそう問題作に違いない。前回の「眉山」を論じた末尾でぼくは、「青春とは常に傲慢な時期で、自らの傲慢さに気がついたとき、ひとはその分だけ大人に近づくのだと思う。」と書いた。しかしこの「完全な遊戯」に出てくる甘えくさったクソガキどもは、まったく大人に近づかない。これっぽっちも成長しない。他者を人間ではなく「モノ」としてしか見てないから、成長すべくもないわけだ。いくつになっても成長せず、傍若無人な子供のままで、欲望の赴くままに他人を傷つけ、社会の規範を踏みにじるこのような連中を指して「悪」と呼ぶ。そう。これは悪を描いた短編である。

 前回の太宰「眉山」のように精妙な語りの芸があるわけでもなく、安手のハードボイルド調、としか言いようのない文体で胸糞わるい話が綴られているだけの代物なので、冒頭から順を追って解説をしていく気にもなれない。ばかばかしいので先にさっさと粗筋を紹介してしまおう。ようするに、金持ちのボンボンの不良青年どもがひとりの女性を監禁のうえ輪姦し、最後には面倒になって崖から突き落として殺してしまう、そんな内容の話である。慎太郎青年は当時25歳で、その前年にかの「太陽の季節」で芥川賞を受賞し(当時は史上最年少記録)、「戦後世代の旗手」として飛ぶ鳥を落とす勢いであった。その勢いに乗って弟の裕次郎が新人俳優として売り出され、あっという間にスターダムを駆け上がったことは、若い人でもぼんやりとは知っているのではないか。

 誤解しないで頂きたいが、ぼくは作家たるものすべからくモラリスト(道徳家)であるべしと申し述べるつもりはないし、小説が「悪」を描いてはいけないと言っているわけでもない。むしろまるっきりその逆である。ぼくがいちばん信頼している大江健三郎にしたって、愚直なまでに「戦後民主主義者」を貫かんとするその姿勢とはうらはらに、小説のうえでは常に不逞にして不穏であり、その過激さは或る意味で慎太郎をすら凌駕するともいえる。「悪」を描くのは文学という制度に課せられた使命のひとつでさえあり、たとえばジョルジュ・バタイユの古典的名著『文学と悪』(ちくま学芸文庫)には文学史上のビッグネームがずらりと並ぶ。だからぼくは、けっして倫理性の欠如をもって「完全な遊戯」を指弾しているわけではない。

 言いたいのはつまり、仮にも「文学者」として、ここまで頭が粗雑でいいのかよという問題である。この「完全な遊戯」にしても「処刑の部屋」にしても、さらには「太陽の季節」にしても、その設定の陳腐さといい、キャラ造形の安っぽさといい、文体の拙劣さといい、慎太郎作品の多くは目も当てられぬほどのものであり、今日ではとうてい読むに耐えない。それは改版された新潮文庫の『太陽の季節』に附されたamazonレビューの酷評の嵐を見れば明らかであろう。amazonレビューがいつも正鵠を射ているとは思わぬが、この件に関しては若い人たちの感性が正しいとぼくは感じている。発表から70年近くが経ってるんだからしょうがない、とは言えない。それは先にも名前を出した大江健三郎の初期短編が、ほぼ同時期のものであるにも関わらず、なお現代の少なからぬ読者の共感を集めていることからもわかる。普遍性を備えているということだ。慎太郎作品にはそれがない。そこに描かれた「反抗」のスタイルはあまりにもガキっぽすぎるのだ。いまどきの用語でいう中2、むしろそれ以下かもしれん。

 いま私は中2と口走ったけれども、ここに出てくる不良たちの殺伐さ、荒廃ぶりは確かに物資にまみれて心を喪くした今日の青少年たち(の一部)の心象風景を先取りしてるといえるかもしれない。「完全な遊戯」の内容は、バブル期に綾瀬で起きたあの忌まわしい事件を思い起こさせるところもあるし、そそっかしい読者なら、さすがシンタロー、その鋭敏な感性で、来るべきこの国の病理をいち早く予見していたかっ、と肩入れしてしまうかもしれない。しかしそうではないのである。当時25歳の慎太郎青年は、「ほれ驚いたか。俺は価値紊乱者だぜアプレ・ゲールだぜ太陽族だぜ、日本のアンガー・ジェネレーションだぜ。てめえらこんなの読んだことねえだろ。こんなの初めてだろうがさあどうだ。目ン玉ひん剥いてよく見やがれってんだこのやろう。なあ吃驚しただろ吃驚しただろ吃驚しただろう凄ぇだろ俺」などと、完全な遊戯ならぬ完全な「どや顔」でこの作品を提出したに違いないけれど、こんなもんぜんぜん大したことないぞ、と私はかつての慎太郎青年に対し、声を大にして言ってやりたいわけである。

 ここに描かれた犯罪はもちろん許しがたいもので、このクソガキどもは直ちに天からの雷(いかずち)に打たれて黒焦げになればいいと思うし、そうでなければ村上春樹の1Q84に出てくる青豆の手によってすみやかに全員暗殺されるべきだと切に私は思うけれども、とはいえしかし、あくまでも表象(虚構)として見るならば、ここに書かれた「悪」の造型はべつに騒ぐほどのものではない。なにも他国の作品に例を求めるまでもなく、たとえば馬琴の『南総里見八犬伝』には、悪漢どもによって酷い目に合い、あげく無残に殺される若い娘が何人も出てくる。むろん歌舞伎にもある。いずれも男性の書き手によるものだ。つまり、物語構造の面でいうならば、オトコのつむぐ妄想は、こういった話をすでにもう腐るほど生んできたわけである。それを戦後の風俗のなかに置いたので、「おおっ、新しい!」と真面目な人たちが錯覚をしただけなのだ。

 しかも、だ。残念ながら私は詳しくないけれど、戦後のごたごたの中で徒花のように咲いた「カストリ雑誌」(カストリは安酒のこと。三文雑誌という意味)の中には、この手のエログロ通俗読み物がざらに転がっていたはずだ。外国の映画まで含めるならば尚更だ。だからほんとは、「完全な遊戯」が描いた「悪」なんてものは凄くもなんともなかったのである。

 繰り返すが、悪を描くなというのではない。悪はどんどん描くべきだが、仮にも「純文学」を名乗るのであれば、もう少しアタマを使ったらどうかと私は言っているわけだ。じっさい明治からこのかた純文学作家はみんなそうしてきた。純文学ってのは地味なものなのだ。そこに戦後のどさくさに紛れて、まさしくナニで障子を破るかのごとく、石原慎太郎がばりっと登場してきた次第である(じつはあの名高いシーンにもすでに先蹤があるのだが)。それは慎みとは正反対の野蛮きわまる登場ぶりで、だからこの人は慎太郎ではなく蛮太郎と名乗るのが正しいとぼくは思っている。そんな蛮太郎氏の手になる「完全な遊戯」については、悪というよりたんに粗悪と呼ぶしかない。

 ぼくの手元には昭和44(1969)年に出た「新潮日本文学」という全集の端本(第62巻)の「石原慎太郎集」があり、長めの短編(へんな言い方だけどしょうがない)「行為と死」、中編「星と舵」、そして短編「太陽の季節」「処刑の部屋」「完全な遊戯」「乾いた花」「待伏せ」が収録されている。これらを卒読して思うのは、どう見てもこの人はもともと通俗作家じゃなかったのかということである。この人を純文学作家として遇したことは、戦後日本文学の、ひいては戦後日本社会の錯誤のひとつであった。巻頭に置かれた「行為と死」は、アホらしいんでもう内容を紹介する気にもなれないんだけど、五木寛之がこれを書いたら100倍以上は面白くなるし、「読み物」としてもずっと上等なものになることは間違いない。また、スエズ動乱うんぬんという背景を抜いて、マッチョ気取りの下らねえ男とそんなダメンズにあっさり引っかかる間抜けな女たちとのどうしようもない痴話話として見れば、立原正秋のほうがはるかに巧みに描いたであろう。

 「処刑の部屋」なんてほとんどもうお笑いの域で、これだったら筒井康隆の「懲戒の部屋」のほうがじっさいに笑える分だけずっといい。ベトナム戦争への従軍体験に基づく「待伏せ」にしても、同じ体験からあれだけ豊饒な作品を生んだ開高健に比べると、その貧寒さは歴然だ。長期にわたるヨットレースに実際に参加した経験から書かれた「星と舵」だけはちょっといいけど、ノンフィクションでなく小説として見るならば、冗長の感は免れない。ずっと後年、こういったさまざまな体験を凝縮して綴られた掌編集の『わが人生の時の時』(新潮文庫。いまは絶版)のほうが遥かに良くて、個人的には石原さんは、この『わが人生の時の時』一冊だけの作家であると考えている。ともかく、石原慎太郎という人は、いま名を挙げた同世代の作家たちと比べて(というか、ほかのほとんどの作家と比べて)文章、ストーリーテリング、キャラ造形、すべてにおいて救いがたく下手くそな書き手だということだ。下手すぎるがゆえに通俗作家になりえず、誤って純文学作家として遇されてしまった青年。それこそが、「太陽の季節」で一世を風靡したシンタローの真の姿であったと私は思う。

 その②へつづく。


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