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ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

裏がえしの暗黒山脈・山田風太郎

2015-11-06 | 物語(ロマン)の愉楽
 さて。古いブログから文学関係の記事を引っ張ってくるシリーズ、今回はヤマフウこと山田風太郎。いわゆる純文学系以外の作家を扱うのは珍しい……というか初めてではないか。だけどこんな時でさえまだ高校時代がどうしたこうしたという話をしてるんだから何というかまあ。なんだかぼくは高校時代の思い出を枕にふらねば文学の話ができないらしい。
 アップしたのは2014年の1月。とにかく病的なまでの純文バカで、SFと藤沢周平を除けば「純文のほかに神はなし。」と信じてやってきた私がこのころエンタテインメントやミステリや幻想小説といった周辺領域に手を出すようになった。そのきっかけとなったのがヤマフウさんで、そのかんの事情を述べたものである。あくまでも純文学に軸足を据えつつ、山風ショックに端を発する「周辺への越境」はなおも収まることなく、今年になって澁澤龍彦、中井英夫、山尾悠子、津原泰水などといった妖しい作家たちにまで手を出すこととなった。自分のなかの文学の地形図は、休みなく日々変動を続けている。何というかまあ。何というかまあ。

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裏がえしの暗黒山脈・山田風太郎
初出 2014年01月29日


 このあいだから山田風太郎を読んでいる。昨年の今ごろはサルトルの『存在と無』を読んでいた。こういった振れ幅の大きさは、よくいえばポストモダンなんだろうけど、じつはたんに私の頭がイカレてるだけだと思う。ただ、サルトルと比較するのも詮無きことだが、山田風太郎の作品が、たんなる暇つぶしの具に過ぎぬかというならば、それは違うと明瞭にいえる。
 なにしろ、ひとくちに山田風太郎といっても、いわゆる忍法帖、明治もの、時代もの、初期ミステリ、最晩年の室町もの、さらにエッセイまで実に奥行きが深い。ことに『戦中派不戦日記』(講談社文庫)と『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)の二冊は、戦時下の青春を文字に留めた記録文学として出色のものだ。前者は昭和20年、すなわち敗戦の年に23歳の著者によって書かれた日記の集成であり、後者はそれに先立つ3年間の日記である。いずれも奇矯なところはまるでなく、生真面目な勉強家の勤労学生の姿を浮かび上がらせる。山田誠也青年は肋膜炎のために徴兵されず、働きながら医学校に通っていた。「不戦」と銘打っているのはそのためだが、しかし「反戦」日記ではなくて、文中には、随所にずいぶん勇ましい表現もみえる。

 流麗な漢文くずしを交えたその文章は、当節の大学生には及びもつかぬ名文だが、それもそのはず、山田青年はすでに18歳のとき懸賞小説に入選し、敗戦の翌年には、創刊されたばかりの「宝石」の第一回新人賞に入選している。24歳の時だ。天稟の持ち主だったのである。
 ただ、「不戦」と「虫けら」の二巻の日記を見るかぎり、この青年が貪るように読み漁っていたのはもっぱら古典、純文学、また評論や哲学書のたぐいであり、それはまあ、戦時下においては本そのものがひどく貴重で、ミステリなどはかえって入手しにくかったろうから当然といえば当然かも知れぬが、こういった読書体験の中からのちの大エンタメ作家・山田風太郎が誕生するのはとても不思議に思えた。純文学に進んでいてもおかしくはない。いわゆる「戦後派」の面々よりは一回りほど若く、三島由紀夫、吉本隆明、丸谷才一とほぼ同世代の、昭和を代表する純文学作家がもうひとり生まれていてもちっともおかしくなかったはずなのだ。
 しかし、ある意味で山田文学の「後継者」の一人ともいえる12歳年下の鬼才・筒井康隆が40代後半から純文学へと傾斜していったのとは異なり、山田風太郎は最後まで偉大なる「通俗作家」であり続けた。こういうのは、やはり資質と言うしかないだろうか。

 天性の物語作者なのだ。筆を取ったらしぜんにもう「物語」を紡いでいる。留めようもなく「物語」が溢れ出てしまう。それゆえに「純文学」どころではなかったのだろう。
 純文学に物語性がいらないわけではないけれど、お話を語る(騙る)ことに耽って人間の書き込みがおろそかになるのを書き手は厭う。本能的に避けてるところがある。「物語」は否応もなく登場人物を「類型化」し、ストーリーの起承転結にのみ奉仕させる。どうしてもその傾向が拭えないからだ。安手のサスペンスドラマを思い浮かべてみてください。舞台と設定が変わるだけで、あとはたいてい同工異曲。ソフトを作ればコンピューターでもシナリオができる。
 風太郎作品にもその傾きはむろんある。もともと「近代小説」であるべくもなく、漱石や藤村や逍遥や四迷を飛び越えて、江戸期に書かれた「南総里見八犬伝」にそのまま連なる「読みもの」なのだ。ことに忍法帖シリーズはそうである。奇想縦横、淫虐暴戻。カタカナでいうならトンデモ+エロ・グロ・ナンセンス。ときにスカトロ。
 読者の俗情に媚びて「売らん哉」を狙っただけだ、と片付けてしまうと貶(おとし)めすぎで、性や暴力を通して人間という生き物の根源を暴いたサド侯爵に通じる文学とまでいったら誉めすぎになる。なんとも危うい作品群だ。しかし、そんなゴタクはさておいて、むやみやたらと面白い。とはいえ、ぼくがその面白さを思い知ったのはごく最近になってからだ。

 ぼくの風太郎との最初の出会いは高校の時だった。角川文庫の『魔界転生』。同世代の方なら「ああ」と頷いてもらえるだろう。沢田研二と千葉真一が主演した例のカドカワ映画の原作である。学校の図書室のいちばん目立つ棚にぽんと置いてあったので、借り出し手続きをしようとカウンターに持っていったら司書のおばさんが露骨にケーベツのまなざしを向けた。「だったらそんなとこに置いときなさんなよ……」と思ったものである。
 こちらもまだブンガクに目覚める前の話で、当時は平井和正や大薮春彦みたいな荒っぽいものもわりと平気で読み飛ばしていたが、それでも作中の残虐描写には閉口した。いったん死んだ武蔵だの荒木又衛門だのが女体を破って「転生」してくるという趣向も、酸鼻なうえに下らねえと感じた。上下巻あわせて千ページ近くを3日くらいで読みきったのだから退屈はしなかったはずだが、これを皮切りに風太郎にハマるということはなく、それどころか敬して遠ざける羽目になった。
 柴田錬三郎の「眠狂四郎」のほうがずっと上質だよなあと感じたし、さらに司馬遼太郎なら面白いうえに歴史の勉強にもなるじゃんと思い、『新選組血風録』『関ヶ原』『項羽と劉邦』なんかを手当たり次第に読んでいった。じっさい面白くて勉強になった。日本史の成績も上がった。
 さらに高2の夏には純文学に開眼し、直木賞系の小説とはますます縁遠くなっていく。そののち、ぼくの「純文学」志向はいよいよ偏狭となってアンチロマンから「散文詩」にまで近接していき、いっぽうのエンタメ志向は活字を離れてマンガのほうに行ってしまう。『MASTERキートン』とか、『ナニワ金融道』とか。自分の中で「純文学」と「エンタテインメント」とがすっぱりと二極分化し、あまつさえ、「娯楽系の小説」が抜け落ちてしまったのである。

 最近になって思うのだが、特定の神はもとよりイデオロギーすら信奉しない懐疑派で、かつ文学至上主義者である私は、ひょっとすると「言葉」をゆいいつ無比のものとして聖化していたのかもしれない。
 言葉といっても日本語しか使えぬから、つまりは日本語を聖化してたってことだけど、それゆえに長年にわたって尖鋭な純文学を詩と一体のものとして崇め、片や娯楽小説を毛嫌いしつづけることにもなった。それは物語性を軽蔑していたということでもある。
 だから朝吹真理子さんが登場したときには「これだッ」と叫んでえらくコーフンしたものだが、しかしああいう「エクリチュールの真摯なる戯れ」みたいなものとは真逆の、ページを開くや読み手をぐわっと引きずり込み、絢爛たる「物語」の渦の中へと否応もなく巻き込んで、いわばもう鼻面引き回し、冒頭の一行目から最終ページの最終行まで、息をも付かせず拉し去る、というのもまた大いなる「言葉」の力だよなあ、ということにこの齢になって気がついた。いやまあぼくだって、子供の頃にはそんなふうにしてお話に夢中になってたはずだから、何十年ぶりかで思い出した、というべきか。子供の頃のそんな気分が蘇ったのも、もっぱら山田風太郎のおかげ(責任?)である。

 昭和の30年代から40年代にかけて、すなわち作者のほぼ30代から40代前半にかけて書かれた忍法帖シリーズは奇想天外かつ荒唐無稽、しかもエログロ満載、いっぽう、昭和40年代後半、すなわち風太郎が円熟期を迎えた40代の終わりから着手した「明治もの」のシリーズは、綿密な考証と奔放な想像力、それに加えてマジシャンのような構成の妙が一体となった傑作ぞろい。そのような世評を、2000年代に入ってからあちこちで目にした。調べてみると、ちくま文庫からお誂え向きに「山田風太郎明治小説全集」と銘打った全14巻のシリーズが出ていた。
 それでもすぐに買わなかったのは、やはり高校時代の「魔界転生」のわるい記憶が残っていたせいだが、そうこうするうちこれらは軒並み品切れとなった。そうなったのを知って逆に慌てて、とりあえず入手可能な『警視庁草子』と『明治断頭台』を購読したが、たしかに噂に違わぬ面白さで、筑摩書房に再版希望のハガキを出した。
 念願かなって全14巻がそろって復刊されたのが2010年。読了ずみの『警視庁草子』から改めて読み始めたところ、ほぼ半月あまり、他の本が読めなくなるほど夢中になった。必ずしもその影響だけではないが、自分でも試しに娯楽小説を書いたりもした。ところがこれがたいへん難しい。元来ぼくはどうにも嘘が下手なのである。「物語」をあれほど忌避したのは、生来のおかしな潔癖症のせいもあるけれど、ようするに自分の苦手なものから逃げていたってだけかもしれない。

 その頃、ぼくの個人的な受容とはべつに、現実のサブカル業界でもちょっとした風太郎ルネサンスが起こった。忍法帖ものの第一作にして代表作『甲賀忍法帖』が「バジリスク」としてアニメ化されたのである(実写映画版よりずっと原作に近い)。これで若い世代にも風太郎の面白さが浸透したはずだ。
 つとに巽孝之が、90年代半ばに、風太郎忍法帖は「サイボーグ009」をはじめとする戦後少年ヒーローまんがの原点の一つであると喝破していた。すなわちそれは、高度成長以降のサブカルチャーの基調を風太郎文学が期せずして整えていたということだ。平成になってもスタイルを変えて再生産され続ける「仮面ライダー」もまた、風太郎ニンジャの末裔なのかも知れないわけだ。発表からほぼ半世紀近くが経って風太郎忍法帖がアニメ化されたのは、再発見というよりも、十周ほど回って時代がオリジナルの風太郎に追いついたということか。

 その一方、ぼく自身はなお『魔界転生』の記憶を引きずり続け、まあしかし「明治もの」さえ読めば十分だろう、忍法帖のほうはやっぱりなあ……と思っていたのだが、なぜか昨年の暮れに『伊賀』に手を出してしまい、そのまま『甲賀』『くノ一』『柳生』『風来』と、どっぷり耽溺することとなり、ついでに『魔界転生』までをも30年ぶりに再読した(すべて講談社文庫版)。どういう次第でこういうことになったのか、自分の心情がうまく計れないのだが、たぶんアタマに虫でもわいたのだろう。
 相かわらず「魔界」は下らねえというか、ひょっとしたらヤマフウさんはこれを半分ギャグのつもりで書いたんじゃないかとさえ思ったが、『風来忍法帖』には参った。これはすごい。面白い。美しく気高い姫君を、ちんけで弱っちい小悪党どもが力をあわせ、恐るべき強敵たちから命を賭して護り抜くのである。「明治もの」の中では『明治十手架』にも見られる風太郎先生お得意のパターンなのだが、びしっと決まればかくも感動的な筋立てはない。ラストシーンでほろりと泣いた。よもや風太郎忍法帖で涙を絞られるなんてまったく予期してなかった。

 かくして毒は回ってしまった。いいかげんにしておかなきゃなあと思いつつ、角川文庫の『妖異 金瓶梅』も読む。中国四大奇書のひとつ『金瓶梅』を鮮やかにアレンジした連作ミステリである。ミステリだから内容については詳述しないが、文章の見事さに舌を巻いた。大衆作家としての山田風太郎は、もちろん達意の名文を駆使してはいたが、それでも読み手のレベルに応じてはっきりと程度を落としていたと思う。学生時代の日記の文体のほうがはるかに格調高かったのだ。
 しかるに30代の前半に書かれた『妖異 金瓶梅』では、明代の支那を舞台にしていることもあってか、漢文の骨格を備えた練達の文章家としての山田風太郎が堪能できる。ぼくはミステリに疎いのでまともな論評はできないが、手口やトリックの点でも十分に水準を抜いた作品だと思う。ミステリ作家としての風太郎の手腕は『明治断頭台』で堪能してはいたのだが、このひとが生涯において江戸川乱歩ただひとりを「師」と見なしていたという世評の意味がよく分かった。根はミステリのひとなのである。

 これほどまでに面白く、各方面に影響を与えているにも関わらず、山田風太郎は直木賞を取ってはいない。受賞どころか候補に挙がったことすらない。直木賞にかぎらず、ほとんど賞に縁がなかった。賞を貰わないまま大半の選考委員より偉くなってしまったということかもしれない。その途方もないエンタメ性において、かつまた小説作りの技術において、紛れもない巨匠でありながら、終生異端であり続けた。無冠の帝王というか、むしろ魔王と言いたい趣きである。魔王と呼ぶにはいささか飄然としすぎているようだが、ほんとうに怖いのはそういうタイプではなかろうか。

 このたび著作を纏めて読んで、かつて新潮現代文学・第78巻「筒井康隆」集の巻末に中島梓(栗本薫)が附した「解説」を私は思い浮かべたものだ。中島さんは冒頭にこう書いていた。

「日本の文学史、という膨大な連山の中で、筒井康隆の作品は、ひときわ高い山脈をかたちづくっている。但し、それは驚くべき異様な山脈である。すなわち彼の形成した山脈は、すべて文学史の連なりにそっぽを向いて、地底の太陽に向かってそびえ立っている山々なのである。」

 この文章は1979年に書かれた。しかし、直木賞こそ取らなかったものの、こののち「純文学」の領域へと踏み込み、独自の作品世界によって泉鏡花賞や谷崎潤一郎賞や川端康成賞を受賞して、押しも押されもせぬ大家となった筒井氏よりも、ついに生涯、ほぼ無冠のままに終わった飄然たる魔王・山田風太郎の膨大なる作品群にこそ、この呪わしくも美しい賛辞はふさわしいのではなかろうか。


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 コメント(抜粋)

 父が無くなる直前、病床で同年代の山田風太郎を読んでいたので、手元には『人間臨終図巻』や『あと千回の晩飯』『死言状』『コレデオシマイ』『半身棺桶』など最晩年のものが10冊くらい積んであります。積んでしまうといつでも読めるので未読……図書館で借りてきたエンタメもの優先の日々を送っています。
 この世代の人がいとも簡単に繰り出す名文は小さい頃の漢籍を身につけたことが大きいと密かに確信しています。バイリンガルなのですよ。縦書きの漢字を英語の文法で読める……自分も中学の時に国語は得意だったのに、漢文がチンプンカンプン、返り点も無しに普通に読む父が不思議だったのですが、ひらがなと同時に漢籍もやっていた。敵うわけはありません。
 沖縄方言や文化を研究している人が国を守ることは、国土を守ることでは無く文化を守ることだと言いきっていましたが、まったくその通りです。
 高校の図書館の司書の先生、『魔界転生』読んでいたと確信します。『魔界転生』は妹が持っていて、これを読んだような読まなかったような……。

投稿 かまどがま | 2014/01/29



 高校の図書館の司書の方とは、そのあとすっかり仲良くなりました。なにしろこっちはずっと図書館に入り浸ってますから(笑)。
 さて。文学というものの役割(の一つ)が、「ニンゲンという存在(ないし生物)の根源を容赦なく暴き立てること」にあるとするならば、風太郎作品もまた紛れもない文学というか、むしろ傑出した文学であろうと思います。ただ、「近代小説」ではないでしょうね。「近代」と「小説」という二つの制度を、ともども食い破っていくような怖い作家のひとりですね。
 まあ、そんな屁理屈はぬきにして、ともかく滅法面白いのでついつい読んじゃうわけですが。
 お手持ちの風太郎作品はエッセイばかりのようですが……。エンタメということならば、風太郎作品ほどエンタメ度の高いものも世にそう多くはないと思うので、『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』『明治断頭台』あたりの「明治もの」をいちどお試しになってみてはいかがでしょう。図書館にもあると思います。
 忍法帖はほんとにエログロなんで、ひとには勧められないですね。とくに女性には。ただ、意外と女性ファンも少なくないようで、プロの書き手でも、金井美恵子、中野翠といった方々がファンを公言しています。このあたりの機微は、フェミニズム論にも関わってくるので、もう少し考えてみたいところです。
 ぼくのばあい、このところ小説を書いていて、「おれはエッセイを書くときはすらすら言葉が出てくるのに、どうして物語をつくるのがこう下手なんだろう?」と情けなくなって、それでうっかり風太郎に手を伸ばしちゃった感じですけども。
 漢文の素養という話ならば、そうですね、鴎外(1962生)も漱石(1967生)ももちろん漢詩が書けたし、流麗な漢文くずしを自在に操ることができました。幸田露伴(1967生)なんてほぼ漢文だけの小説まで書いてますね。しかし漱石の全集を見ても、後年になればなるほど文体がどんどん平易になっていく。口語体というか、近代の文章なるものは、そうやって育っていったということでしょう。永井荷風(1879生)もまだ漢文調を駆使できた。この系譜がどこまで続いたかというと、ぼくの見立てでは石川淳(1899生)までなんですよ。石川のばあい、祖父が漢学者で、6歳から論語の素読を学んでいたわけです。そういうエリートの家系であった。
 このあとに中島敦(1909生)という凄い人が出ますが、この方も代々の漢学者の家系ですね。20世紀になると、そのような選良の家ででもないと、しぜんに漢籍に親しむことは難しくなったのではないか。かまどがまさんのご父君は、知識人であられたのだろうと思います。ぼくの家だと、父はもちろん、祖父だって漢文が読めたとはとても思えないので……。
 中島敦のあとはもう、ぼくの見たところ、「純文学」系の作家ではっきりと漢文脈を身のうちに備えた人はいませんね。高橋和巳(1931生)は優れた中国文学者でしたが、彼の文体は硬質ではあれ、漢文脈とは言いがたい。三島由紀夫(1925生)も、語彙が豊富で、凝った華麗な言い回しを好んだけれども、漢文脈ではないでしょう。
 むしろ柴田錬三郎(1917生)、五味康祐(1921生)といった「時代小説」の書き手のほうが、戦後の日本に漢文脈を伝えていったと思います。山田風太郎もその一人でしょうが、文体だけでいうならば、「忍法帖」ものは五味の『柳生武芸帳』(文春文庫)に及ばない。
 ともあれ、時代小説の中でしか漢文脈が生き延びられなかったということは、もはやその文体では「現代社会」とそこに生きる人間を描けなくなったということなんでしょうね。時代が下ってハイテク化・情報化が進むにつれていよいよ漢文脈が希薄になり、日本語の足腰が脆弱になって知性が痩せ細り、「反中」の言論ばかりが盛んになるという現象は、はなはだ示唆的であると思います。

投稿 eminus | 2014/01/30

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