ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

カメラを止めるな! 感想

2019-03-09 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 ネタバレを含む、というより、いまふうの言い方をすれば「ネタバレしかない」ので、テレビ放送を見逃した方は、くれぐれもお読みにならぬようお願いします。




 金曜ロードshowで観たんだけど、思った以上に良かったですね。笑えたし泣けた。世評というのは侮れません。日本アカデミー賞の最優秀編集賞ですか。脚本のほうは優秀賞どまりか。最優秀は『万引き家族』だったんですね。しょうがないか。あっちは社会派だもんね。テーマの重さが違うわなあ。
 『カメ止め!』のばあい、「父と娘のきずなの回復」が隠し味(いやべつに隠れてないか)になってるんだけど、ほんとの主題は「映画づくりにかける情熱」でしょう。あの監督の父親(濱津隆之)にしても見習いADの娘(真魚)にしても、また元女優の母親(しゅはまはるみ)にしても「根っから映画が好き」ってことで通じ合ってるんですね。ただ、父親のほうは「便利屋」としての賃仕事だけで長年食ってきたもんで、今やもう「作家」ではなく、ていのいい「雇われ職人」に成り下がってる。上(プロデューサー)にも下(俳優)にも気を使いまくってね。
 まだアルバイトの身分で、世間の荒波に揉まれてなくて、本気で「映画づくり」に向き合いたい娘は、そんな親父がもどかしくってならない。ケーベツしてるわけですよ。なんでそんなに卑屈なんだと。オメエ監督だろ? 監督だったら、たとえ埋め草みたいな駄作だってわかってても、全力を尽くして納得のいくもん作っていけよと。
 ま、それができれば苦労はしないんだけどね。げんに娘は、撮影の進行そっちのけで子役にホンモノの涙を流させようとしたために、その母親を怒らせて現場を放り出されるわけだし。実情はそんなもんですよ。
 父親だってね、実力と実績さえあればなんもペコペコする筈ないわけさ。さしたる才幹もないくせに、「映画が好き」って情熱だけで業界に入って、とりあえず目先の仕事を「来るもの拒まず」でこなしてるうちに齢を重ねちゃったタイプだよね。幼い日の娘を肩車してる写真をこっそり見ながら咽び泣くシーン、いいよね。日本人ならアタマのなかに、寅さんこと渥美清のうたう「男はつらいよ」の替え歌が流れるところだ。
「い~つ~かお前の喜~ぶような えらい親父になぁりたくて 奮闘~努力の甲斐もなく きょおおおもなみぃだの~」
 今日も涙の日が落ちるってやつですよ、まさに。
 ほんとは自分だって精魂込めた名作を撮りたい。でもぜんぜん及ばなかった。たぶんこの先も駄目だろう。ていのいい職人として、便利屋としてずっとやっていくしかない。
 コネを大事に、波風立てず、世間をわたっていくしかない。
 言いたいことは山ほどあるけど、こらえてこらえて、ぜんぶ腹の底にぐぐーっと収めてやってきた。これまでも、これからも。いや、なにも「ものづくり」の人に限った話じゃないよね。社会人ならだれだって身につまされるよなあ。
 だから本番、代役できゅうきょ監督役になったこの人が、自分(と作品)をナメきってる主演女優(秋山ゆずき)に向かって、
「なんで嘘になるか教えてやろうか? お前の人生が嘘ばっかりだから。嘘ついてばっかりだからだよ!」
 とアドリブで本音をぶっつける場面が(序盤ではなく、後半の2回目の時だけど)カタルシスになるんですよね。
 いっぽうの男優(長屋和彰)のほうはその逆で、とかく考えすぎ、こだわりすぎるタイプ。真摯なのはいいんだけど、監督を蔑ろにしてる点では同じ。でもって、この人にもガツンと言ってましたね。
「これはオレの作品だ。オレの作品だよ! お前はリハの時からぐだぐだぐだぐだ口ごたえばっかりしやがって!」
 もう思ってることそのまんまだな。奥さんが(この時はまだ冷静だったんだね)慌てて止めに入ってました。もちろんこれも、後半の2回目でわかることですが。
 序盤の37分の映像内にあった退屈な部分、冗漫な部分、おかしな部分、不可解な部分が後半になって明確な意味を帯びてくるくだりの快感は『アフタースクール』『サマータイムマシン・ブルース』に通じるし、アクシデントやトラブルを現場のスタッフが取り繕いながら必死でつじつまを合わせていく愉快さは『ラヂオの時間』に通じる。
 あの序盤の37分のC級ホラーパートはほんとに下らないんだけど、ホラーをワンカットの長回しでやりゃあ、あんなもんですよ。ホラーってのはカメラワークとカット割りで恐怖を煽ってくもんなんだから。あんな企画を思いつくプロデューサーなんて、あの「超適当」なおばさん(笹原芳子)と「ふつうに適当」なイケメンさん(大沢真一郎)くらいなもんで、だからこそあの企画はどの監督にも断られて、あの人に回ってきたのな。
 感心すべきは、裏ではあれだけグダグダになってたのに、スタッフや機材が、たった1ヶ所を除いてまったく映り込まなかった(という設定になってた)点ですよ。どれほどバカげた出来であろうと、あのゾンビ映画『ONE CUT OF THE DEAD』が曲がりなりにも「映画」として成立してたところがミソなんだ。
 むろん、いちばんの見どころは、出演男優めあてで押しかけてた娘が、モニター越しにみる父親の熱気にだんだん当てられていって、ついには「カメラ、いったん止めましょう」と言ったプロデューサーに逆らい、「このシーンとこのシーン繋げたら大丈夫だから」てなこといって、勝手にディレクターと化してみんなを仕切り出すくだりですよね。
 つられて他の出演者たちも、だんだんマジになってくる。あそこはワクワクもんでした。
 でもってラストが、役者も裏方もみんな総出でつくったピラミッドのてっぺんで、監督と当の娘が在りし日の「肩車」を再現し、それを奥さんが(脳天に斧を突っ立てたまま)見守ってる場面でしょ。これは泣くよね。
 予算がなくて出演陣が無名でも、アイデアと熱意と才能があれば良い作品は作れるってことの証明というべき一作でした。上田慎一郎監督、最優秀編集賞おめでとうございます。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。