ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

期間限定記事・『若草物語 ナンとジョー先生』

2020-11-15 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽


dig  ……フカボリスト。口がわるい。

e-minor ……当ブログ管理人eminusの別人格。



☆☆☆☆☆☆☆










 よお。digだぜ。


 どうもe-minorです。


 なんか久しぶりに呼ばれたけども。


 GYAOがサービスでやってる期間限定の無料アニメを紹介するんで、ちょいと付き合ってもらおうと思ってね。


 『昭和元禄落語心中』『坂道のアポロン』『ばらかもん』につづいて4作目か。今回は何だよ。


 『若草物語 ナンとジョー先生』。日本アニメーション制作。全40話。放映は1993年、フジテレビ系列にて。前に紹介した「世界名作劇場(ハウス世界名作劇場)」の19作目だよ。


 そうきたか。これまでの3作に比べると古いし、対象年齢も下がるようだが、しかしリアリズムを基調としてるって点は共通してるな。まあ、お前さんは世界名作劇場が大好きだもんな。


 「ハイジ」や『赤毛のアン』よりは知名度が落ちるんだろうけど、「世界名作劇場」シリーズの中でも人気があって、ファンの方による専門のサイトもある。主人公のナンのキャラクターデザインが、『魔女の宅急便』のキキを手がけた佐藤好春さんなんで、可愛いんだよね。


 『魔女の宅急便』は89年だろ。93年といえば、スタジオジブリの劇場映画は『紅の豚』とか「ぽんぽこ」の頃だわな。もう押しも押されもせぬ制作会社になってた。


 作り手の側も消費者の側も、アニメを支える層がずいぶんと厚みを増してきた時期といっていいだろうね。そのような厚みはこの作品にも反映されてるね。そりゃ毎週ぜんぶのシーンが同等の作画クオリティーとはいかないけど、「あのジブリアニメが週イチでテレビで観られるのか。」という感慨はあったよ。放映当時は。


 これ原作は『若草物語』の後日談なのか。


 うん。ルイーザ・メイ・オルコットさん(Louisa May Alcott 1832 天保3~1888 明治21)の『若草物語』は有名だけど、じつは4部作になってて、4姉妹のその後がずっと描かれるんだよね。4作とも角川文庫で手に入るけど、これはその3作めを原作にしている(角川文庫版のタイトルは『第三 若草物語』)。おてんば娘のナン(アニー・ハーディング)を主人公に格上げし、彼女を中心にエピソードを紡いでいくといった脚色が施されてて、ほかにもかなり手が加えられてはいるけどね。


 ふうん。マーチ家の次女ジョー(ジョセフィン)が成長して結婚し、その夫と営んでいる「プラムフィールド」という寮制の学園が舞台なんだな。寮っていうか、「自然に囲まれた共同生活の場」って感じだけども。まあ少数限定の寄宿学校ってとこか。でも、ジョーって作者自身がモデルなんだろ。だから作家になったと思ってたんだが。


 この学園の経営が一段落した後に、文筆に打ち込んで成功したって設定だね。


 なるほど。しかしおてんばといえば、ジョーも子供の頃はすごいおてんばで、「マーチ家の次男」なんて自称してたほどだから、このナンって子の心情がよくわかるんだろうな。


 それもあってナンを主人公に置いたんだろうね。ナンは腹を立てたら男の子たちにも突っかかっていくほど気が強いし、がさつだったり、わがままに見えるところもあるにせよ、根は純粋で素直な子だ。だからプラムフィールドに着いた時には大立ち回りを繰り広げたけど、ジョー先生の真心あふれる薫育もあってすぐにみんなに溶け込んだ。いっぽう原作での主人公は、繊細で芸術家肌の少年ナット(5話から登場)と、彼が放浪を余儀なくされていた頃に出会った不良少年のダン(11話から登場)だからね。


 この2人はナンほど簡単にはいかないんだよな。なぜなら苦労人だから。弱年にして社会を背負わされちゃってるから。


 そう。ナットは大人しくて勤勉な、とても良い子なんだけど、生い立ちのせいもあってか、気の弱すぎるところがある。ダンときた日にゃあきらかに問題児だからね。この2人を巻頭から主人公として描いていたら、90年代のテレビアニメとしては重くなりすぎる。それで、ナンを中心に「理想的な共同体」「情操豊かな教育環境」としてのプラムフィールドをひととおり描きこんだ上で、あらためてナットとダンを作品世界に呼び込むわけだよ。そういう工夫がされている。


 もちろんまあ、全体としては綺麗事というか、美化された世界ではあるけども、この2人、とりわけダンがいることで、作品全体が地に足の着いたものとなってるな。なにしろ時代背景は日本でいえば明治の初頭くらいだもの。そんな甘いわきゃないのよ。インフラだって整ってないし、人権意識も希薄だし、貧しいとこは悲惨なまでに貧しかったわけでさ。


 そういうこと。それにしてもジブリを思わせる自然描写の美しさはいま見てもまるで色あせないね。手描きアニメのあたたかさを感じるな。


 いうまでもないが、ナンをはじめ、子どもたちの動きも素晴らしい。思ったんだけど、寄宿舎とか寮とか、幼児期から思春期、さらに青年期までをこういう環境で送る習慣って日本にはあまりないよな。海外の児童文学にはそういう風俗にふれる楽しみもあるな。


 それで、そのことで少し思ったんだけど、『約束のネバーランド』ってあるよね。


 あるな。


 あれはノーベル賞作家カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)の世界像を現代サブカル特有の「サバイバルホラー」の文脈に落とし込んだものなんだけど、まあ、ぼくはこのブログではそんなに誰かの作品を貶したりはしないんだけども、ああいうのはやっぱり貧しいね、作品として。このたび『ナンとジョー先生』を見返してみて、改めてそう感じたな。


 まあ言いたいことはわかるがね。「物語」が「リアリズムの豊饒さ」を押し殺しちゃってるってことだろ。


 そう。「生活」ってものは周りの人たちや自然とのかかわりを大切にすることから成り立っていて、そこに色々な感情が流れて、こころがゆたかに育っていく。そういう日々をていねいに観察して描いていけば自ずから「作品」ってものができあがるわけで、つまりはそれがリアリズムだよね。ありふれた日常のなかの歓びをえがく。そういったことを疎かにして、いきなり設定ありきで話をつくると、なんていうかその、ぜんぶが潰されちゃうわけさ。あたかもブルドーザーで草花を踏みつぶしてくみたいにね。「物語」ってのはたしかに滅法面白いんだけど、いっぽうではそんな怖さもあるわけでね。そこはぼくも、2014年にこのブログを始めた頃の初心に戻ってもういちど強調しとかなきゃいかんと思ったね。


 むろん、どぎついのもあっていいんでね。いろんなものがあっていい。そこは大前提なんだけど、今はなんだか、子ども向けのも含めてそればっかりになっちゃってるんで、ちょっとどうなんですかってことだわな。


 うん。ぼくたち大人はさ、そりゃいろいろなものを相対的に見比べられるんだからいいんだけども、子供たちにはああいうものに触れるまえに、『若草物語 ナンとジョー先生』みたいな作品に親しんで貰いたいと切に願う次第だよ。


 大人が見ても、教育の大切さとか、若い人に対する責任ってものを再考するきっかけになるな。このころの作り手はそういうことをちゃんと考えてたんだろうな。たしかに子どもたちに見てもらいたいけど、ただ地味な料理の旨さがしみじみわかるのは大人になってからなんで、そこはちょっとした逆説だわなあ。


追記 gyaoでの無料配信は2020年12月30日で終了しました。


さらに追記 それどころか、gyaoというサービス自体が終了してしまいました。


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