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ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

教養って何? 01 折々のうた 大岡信 岩波新書

2017-10-24 | 雑読日記(古典からSFまで)
 「教養」を身につけるための手立てはいくつかあると思うけれども、中でも「古典を読む」のは有力だ。ただ、古典というのは高密度の原液みたいなものだから、これをすんなり飲み干すことは、現代人には難しい。若い人たちにとってはなおさらだろう。
 と、いうような趣旨の話を前回やりました。
 だとすると、いま私たちが暮らしているこの場所と、「古典」の世界とをなだらかに繋いでくれるような本。そういう本があるならば、とりあえず、それを読むのがよいのではないか。まあ、それすらもめんどくさいというならば、これはもうしょうがないけども。
 古典といってもいろいろある。前回例にあげたホッブズなんかもむろんそうだ。ここではまず、学校の「古文」の授業であつかう、文字どおりの古典文芸にスポットを当てたい。源氏物語とか、古今和歌集とか、あの類いだ。
 なぜ古典文芸なのか。国語のことを母国語ともいう。面白いことに、英語でもmother tangueという。われわれは、正確にいえば「われわれの自我は」というべきなのかもしれないが、好むと好まざるとにかかわらず、「国語」から生まれ出てるのである。
 ゆえに、「教養」を育むためには、「母国語」により深く習熟したい。そのためには、古来より先人たちが積み重ねてきた上質の日本語にふれるのがよい。そこに一級の現代日本語が添えられていれば、これに越したことはない。
 てなわけで、大岡信『折々のうた』。
 学匠詩人として知られる大岡さんが、毎日ひとつの俳句か短歌(和歌)、もしくは詩の一節を取り上げ、簡明にして豊かな「鑑賞」を付けたもので、長年にわたって朝日新聞の第一面に連載されてきた。
 きちんといえば、1979(昭和54)年の1月から、2007(平成19)年の3月末日までである。何度かの休載期間を挟んではいるが、じつに四半世紀以上におよぶ。偉業といっていいと思う。日本文化にとっても偉業だし、氏にとっても、結果としてライフワークとなった。
 一年分をまとめたものが、岩波から新書のかたちで刊行されてきた。総索引を除いて、全19巻。10巻目でいったん区切って、11巻めからは「新 折々のうた」とタイトルがかわる。「折々のうた」全十巻と、「新 折々のうた」全九巻である。
 記念すべき初回は、志貴皇子(しきのみこ)「石(いは)ばしる垂水の上のさ蕨(わらび)の萌え出づる春になりにけるかも」
 当時48歳の大岡さんの附した「鑑賞」はこうだ。

「『万葉集』巻八の巻頭を飾る。春の名歌として愛されてきた。「石ばしる」は石の上をはげしく流れるさまをいう。「垂水」は滝。石の上をはげしく流れる滝のほとりに、さわらびも芽を出す季節になったのだ。冬は去った。さあ、野に出よう。
 志貴皇子は天智天皇の皇子。万葉には六首残すだけだが、おおらかな調べは天性の歌人たることを示している。右の歌は『新古今集』にも若干歌詞を変えて採られている。」

 歌にまつわる「文学史的な履歴」をきっちりと抑えつつ、詩人ならではの感性で、本職の国文学者には書けないようなところにまで、大胆に筆を伸ばしている。「さあ、野に出よう。」なんて、歌には書かれてないのである。だけど、「さ蕨(わらび)の萌え出づる」というイメージには、たしかにそれくらい、心の弾む様子がみえるのだ。
 ぼくなんかが面白く思うのは、こんにちの若者文化を語るうえで欠かせぬ「萌え」というキーワードが、ここに見られることである。これなどまさに、記紀万葉の時代から、ハイテク時代の現代まで、「母国語」を介して日本人のなかに、ひとつの大切な感受性が脈々と受け継がれてることの証じゃないか。
 この一首から始まった大岡さん(と、朝日新聞のまじめな読者たち)の歴程は、上に述べたとおり足かけ29年続き、現代の俳人・長谷川櫂の、

 水 の 色 す い と 裂 い た る さ よ り か な

 で終わる。これも春先の歌だけど、すこし冬の冷たさが残ってる感もある。
 「折々のうた」がすごいのは、まあ「折々」なんだから当然だけど、365日ぶん、季節の移ろいに応じてその日その日にふさわしい詩歌が選ばれているところだ。しかも、季節感だけでなく、意味においてもひとつひとつがそれとなく連なっているのである。もちろん、すべてが完璧に連環しているわけではないが、それにしたって、並外れた才幹と博識と労力なくしては能(あた)わぬ離れ業であろう。
 現代における「教養」ってことを考えるとき、ぼくがまっさきに思い浮かぶのは「折々のうた」だ。


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