ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。⑥ 堀田善衞

2019-04-26 | ジブリ



 むろん、戦闘機のほうが爆撃機よりもまだ殺傷力が低いから罪が軽いなんて言ってるわけじゃない。どっちも人を殺すための道具ってことでは同じだからね。それはとうぜん宮崎監督もそう思ってるはずだけど、作品の系譜を辿っていけば、「爆撃機」よりも「戦闘機」のほうを好ましく思ってらっしゃることは明白でしょう。
 でも、これは難しい問題だ。『風立ちぬ』という作品そのものの本質にかかわる問題だけど、それだけにとても難しい。保留ってことにしときましょう。
 さて。
 たまたま「堀」の字で繋がるんだけど、堀田善衞という作家がいたんですよ。1918(大正7)生まれだから、堀越二郎・堀辰雄よりは下になるけども。
 亡くなったのは1998(平成10)年。文学史の上では「戦後派」にカテゴライズされる、押しも押されもせぬ大作家ですが、後年は、司馬遼太郎さんと並んで作家というより「文明批評家」「文明史家」というべき存在になっていらした。
 戦後派の作家って、以前に述べた大岡昇平さんもそうだけど、おそろしく骨太なんだよね。兵士として戦場に行った人はもちろん、そうでない人も何らかのかたちであの大戦を経験している。それも多感な青年期、あるいは中年にさしかかる年齢でね。そりゃ人間の迫力が違ってきますよ。
 それに、好奇心が旺盛で、文学に留まらず膨大な量の本を読んでて、百科全書的な知識の持ち主が多い。武田泰淳とか、埴谷雄高とか。
 昔は純文とエンタメとの差別がうるさかったから、司馬さんは「戦後派」には入ってないけど、感じとしては近いですね。
 堀田善衞も例外ではない。どころか、知識の豊かさでは筆頭に数えられるべき方です。
 主著は『ゴヤ』全4巻(朝日文芸文庫→集英社文庫)と『ミシェル 城館の人』全3巻(集英社文庫)。
 前者はタイトルどおりあの画家のゴヤ、後者は『エセー』で知られる思想家のモンテーニュが主役……なんだけど、たんに評伝ってわけじゃなく、ほんとの主役は当時の社会そのものですね。前者であれば18世紀スペイン、後者であれば16世紀フランスを中心とした、その時代の「ヨーロッパ」そのものが主役。
 だから隈なく熟読すれば、当時のヨーロッパについて、政治・経済・宗教・商業・軍事・思想など、立体的かつ総合的な知識が得られる。ただの面白エンタメなんかじゃないんだな。ボリュームからいっても内容からいっても、こういう「小説」を書く人は、いまの日本では思い当たりませんね。まあ塩野七生さんとか、佐藤賢一さんとかかな? でもなんかちょっと違うんだなあ。
 ひとことでいえば、堀田善衞ってのは「乱世」を見据え、「乱世」を思索しつづけた方でした。この人にとっては、現代もまたひとつの「乱世」であった、というか、「乱世」に過ぎなかったんだよね。今よりもずっと長閑だった「昭和元禄」の頃も、バブルの頃でさえも。
 だいたい、日本が泰平に浮かれてへらへらしてる時期は、ずっと海外におられるんですよ。旅の好きな方でね。
 個人的には、堀田さんが少年~青年の頃の自分および仲間を……ということはつまり戦前・戦中の知識青年たちの様相を……描いた自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』(全2冊。集英社文庫)を、高2の夏休みあたりに読んでみてほしいものだなあ、と若い人たちに望むんですが。


 宮崎駿さんは、司馬さんとこの堀田さんをことのほか敬愛していた。90年代初頭には、「私は一人の書生として、お二人のお話を伺うために来ました。」なんて言って、『時代の風音』(朝日文芸文庫)という座談会の聞き手を務めたりして。
 年齢こそかなり下だけど、当時の宮崎さんはアニメ界ではもう大家だったからね。なかなかできることではない。
 昨年(2018年)、堀田さんの生誕100年・没後20年を記念して、『堀田善衞を読む 世界を読み抜くための羅針盤』って企画本が集英社新書から出たんだけども、これの帯には、「お前の映画は何に影響されたのかと言われたら、堀田善衞と答えるしかありません。 宮崎駿」と大書してあります。つまり、これが最大の売り文句になってる。






 堀田さんの本で今でもよく読まれてるものに『方丈記私記』(ちくま文庫)ってエッセイがあるんだけど、宮崎さんは、その本にふれてこう述べてます。


 「堀田さんが、何かの機会にお会いした時に、『方丈記私記』を映画にしないかとおっしゃいました。「あげるよ。」と。僕は『方丈記私記』を初めて読んだ時、夜中に寝床で読んでいたのですが、まるで平安時代に自分がいるのではないかと思えて、立ち上がって思わず窓を開けてしまったほどの感覚に陥りました。外には火の手がほうぼうに上がる平安時代の京都があり、その上を、見たはずのない東京大空襲の時、三〇〇〇メートルの高さまで降りてきて焼夷弾を落としていくB29が見えました。ぎらぎらしたB29の腹には地上の火が映って明るかった、といろんな人が書き残していますが、それがいっぱい見えてきそうなくらい、リアリティーのある小説でした。」


 『方丈記』は400字詰め原稿用紙で30枚にも満たないくらいの短いものだけど、地震や台風や大火事など、天災の記述に大きく紙数を割いている。鴨長明って人は冷静なリアリストなもんで、その記述がきわめて精確なんですよ。町を包んだ炎が地上を舐めて上空へと巻き上がっていく描写なんかが、科学的に精確なんだよね。
 27歳の堀田善衞青年は、自らが体験したB29による東京大空襲のさい、『方丈記』の一節を思い起こして、それがきわめて精確だってことに改めて気づいた。生き延びたあと、その記憶を核にして、戦後、自身初の長編エッセイ『方丈記私記』を書くわけです。
 宮崎駿さんは1941(昭和16)、まさに太平洋戦争が始まった年の生まれで、「父親に負ぶわれて逃げる中で、B29が落とす焼夷弾が降ってくるのを目撃した最後の世代」と述べてらっしゃるんだけど、宇都宮に疎開して、そこで敗戦を迎えたんだから、東京大空襲には遭遇しておられないはずなんですよね。それで「見たはずのない東京大空襲の時」という言い方になる。
 ところで、この『堀田善衞を読む』という企画本が集英社新書から出たのは前述のとおり2018年なんだけど、そこに収められたこの宮崎さんの文章は、2008年に県立神奈川近代文学館で開催された「堀田善衞展 スタジオジブリが描く乱世。」の時の講演の採録なわけ。
 2008年というと、ちょうど「ポニョ」の年ですね。引退宣言したあとなんだ。
 でもこの講演録を読むと、「どうにかして、『方丈記私記』から受けたインパクトを映像化したい。」といっておられるようにみえる。まだまだ意気軒昂というか。
 ただ、作家の構想なんてどんどん変わっていくもんだしね。だから当てにはならないんだけど、引退宣言を撤回して、「これこそほんとに最後の一作。」ってふれこみで作った『風立ちぬ』が、このときの意気込みと無縁とは思えないんだよなあ。
 『方丈記私記』と……ってことはすなわち「東京大空襲のイメージ」と……まるっきり無縁であるとは、少なくともぼくには思えない。
 だけど、できあがった『風立ちぬ』は、けっきょく東京大空襲を描きませんでしたね。空襲を描かなかったどころか、「地上で爆弾を落とされる側」の視点に立ったカットってものが一コマたりともなかった。「ぎらぎらしたB29の腹には地上の火が映って明るかった。」という、そのイメージをビジュアライズすることはなかった。
 それが巨匠・宮崎駿の思想の限界なのか、興業上の配慮だったのか、はたまたその両方か、さらには他にも原因があるのか、ぼくも6年前からちょくちょく考えてるんだけど、どうも結論に至らない。たぶん答えは出ないかもですね。
 いずれにせよ、高畑勲監督の『火垂るの墓』とは(もっというなら、片渕須直監督の『この世界の片隅に』とも)、決定的に違うってことは間違いない。
 アニメ『風立ちぬ』は、そういった、「戦禍の悲惨さ」の描写に振り向けるべき映画的なリソース(つまり尺とか作画枚数のことね)を、二郎と菜穂子との清冽で激しい恋愛のもようにぜんぶ注ぎ込んじゃった。
 そしてそれは、陶然とするほどロマンティックで美しく、どうしたってナミダを誘われる。それゆえに、こちらとしても困ってしまうわけですが。






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