akiさんからのコメント 20.06.16
お元気そうで何よりです^^
おお。多少、ご体調の方も気になっていましたので、お元気そうで安心いたしました。
ブログ更新が滞っていたことの裏には、中国共産党に対するご心配があって・・・・とのことで、お察しいたします。ただまあ、これに関しては、害が高じて衆目に明らかになったときには、終局が近いということですから、実は私はそこまで心配していません。(もちろん、最大限の警戒は必要だと自戒してはおりますけど) 中国の経済力はその多くが外資による投資と貿易によるものであり、その貿易も「低い技術力でも作れるものを安く売る」ことで成立してきたものですから、外国が一斉にそっぽを向けば砂上の楼閣のように瓦解します。そうならないように、共産党政府は様々な宣伝工作や欺瞞を行ってきましたし、またこれからも行っていくでしょうが、それも最早限界に近付いているでしょう。
もう、中国が今後の世界で覇権を握る可能性は残されていません。頼みとしていたアフリカ諸国ですら、一部を除いて中国の評判は落ちつつあります。後は、じわじわとゆるやかに、破局へ向かって坂を下っていくのみでしょう。
・・・・と思う一方で、中国の宣伝工作の凄まじさは侮れない、と警戒する気持ちもぬぐえないのは確かです。この日本でもいまだに親中勢力が(今は情勢が悪いのでおとなしくしていますが)至る所に浸透していますし、武漢肺炎対策で株を上げた台湾でもそうです。世界各国に親中勢力はいて、情勢が好転すれば彼らも息を吹き返し、今度はより巧妙に、中国に覇権をもたらすべく暗躍し始めるでしょう。
武漢肺炎により「対中国」で世界が盛り上がっているこの時に、ある程度の形を作っておかねば、中国の反撃によって情勢が覆されないとも限らない・・・・。(もちろん共産党はそれを狙っているはずですし)
すなわち、世界にとって、今が中国の覇権主義を封じ込める絶好のチャンスなのです。そしてチャンスというものは、ものにできずに逃せばピンチにすり替わります。
そうならないように、今の私は固唾をのんで情勢を見守っている、という感じですね。今のところ、トランプさんも安倍さんも、対中国では上手くやっていると思いますし、その点ある程度安心はしていますが。(恐らくこの点に関しては、eminusさんと私で感じ方に違いはあるのだと思います)
このアメリカと中国の覇権を掛けた対決は、武器を持たぬ戦争と言っていいでしょうし、お互い核兵器を背にしているとはいえ、軍事力で威圧しあった米ソ冷戦とも違います。経済力と国際ルールを駆使した戦争形態はどう表現すればいいでしょうかね。
戦争とはわからない隠然たる戦争だから「隠戦」とか。
国際ルールと法律を駆使した「法戦」か。
経済力を用いた「貨戦」
お互い静かな顔をして戦う「静戦」
「冷戦」との対比で考えると、「静戦」がしっくりくる気もするんですが、字面が弱いんですよねえ・・・・。英語では「サイレント・ウォー」だから、そっちのゴロは悪くない。
・・・・と思ってググってみたら、8年前の香港映画がヒットしましたw 国共内戦時代のスパイものなんだってw なんというか、色々合いすぎていて怖いw
ともあれ我々有権者にできることは、選挙でしっかり候補者を見て選択することですね。有益な選択をできるための目を養うこと。それにネット時代の今では、総理に直接自分の声を届けることもできる。(私はやったことはありませんが) また、折に触れ、発言できる場では自身の考えを発言してく。相手の意見も良く聴いて、良きを採り悪しきを捨て、自身の意見を磨き上げていく。そういった地道な草の根の取り組みで、国民の意識を底上げしてく。民主主義の手続きこそが、胡乱に見えて結局は大きな力になる。私はそう確信しています。
そんなわけで、私自身は中国共産党の覇権主義を警戒しつつも、基本的には「民主主義が勝つ」と楽観しています。たとえすべてが悪く働いて、中共が勝利を収めたとしても、それは一時の勝利に過ぎないでしょう。全世界を敵に回して勝てる国家があるはずはありませんから。
・・・・なんだか以前に私自身が書いたこととだいぶ違うことを書いてますね(爆)。あの時は武漢肺炎がここまでの事態になるとは思っていませんでしたので。
たったの数か月間で、世界は劇的に変わってしまったということですかね。
eminusさんも、今回の事態に対し、何らかの回答をご自身の中に見出されることを念じております。
>サクラダリセット
作品名は知っていますが、視聴したことはありません。なんというか、やはり純文学を嗜まれるeminusさんとしては、こういった雰囲気を持つ作品に食指が動かされるのでしょうねえ。
私としてはほとんど知らない作品であるのですが、eminusさんがこの作品のどこに惹かれたのか、大いに興味はありますね。また機が訪れたら、ご感想を書いて下さると嬉しいです。
☆☆☆☆☆☆☆
ぼくからのご返事 20.06.17
サブタイトル「1989」
そうですね。ご提案のネーミングをお借りするならば、「隠戦」であり「法戦」であり「貨戦」であり「静戦」であり、もとよりハイテク戦であり情報戦であり宣伝戦であり、それらすべてを併せたものでしょう。いまアメリカで起こっているデモにせよ、その背後に何らかの影を感じます。もともと不安要因は伏在していたには違いないけれど、まったくの自然発生とは思えぬし、なにひとつ焚き付けもなしにここまで燃え広がるとも思えません。
ところで、1989年は日本において「昭和」が終焉した歴史的な年ですが、世界史レベルでみても、ポーランドなどで「民主化」の動きが進むなか、11月10日には東西ベルリンを隔てる壁が崩壊し、さらに他の東欧諸国においても相次いで共産党政権が倒れていきました。それが2年後(1991年)のソ連解体へとつながる。ほんとうに激動の年であったと思います。
しかし、それらの流れと並行して、あるいはいくらか先駆けて、中国でも民主化の動きは起こっていたのです。改革派だった胡耀邦元総書記の死をきっかけに、10万人ほどの群衆が天安門広場に集まりました。その情況が2ヶ月ほど続き、6月4日に軍によって鎮圧される。いわゆる天安門事件です。
つまり、ソ連およびその影響下にあった東欧諸国は「改革」を果たして「民主化」へと舵を切ったのに、中国はそれを断固拒否した。民主化へのうねりを完全に圧し潰した。いま思うと、あれはつくづく歴史の分岐点でしたね。
ソ連および東欧諸国を厳密な意味で「ヨーロッパ」と呼べるかどうかは難しいところですが、少なくともそれは「アジア」ではない。いうならば、ヨーロッパには成しえた民主化が、アジアの大国ではできなかった。それこそがヘーゲルのいう「アジア的停滞」の遺制なのだ……という論評も、当時は為されていたように思いますけども。
それにしても、「民主化」とは「資本主義化」とイコールなのでしょうか? 当時のぼくは「同義ではないが、まあコインの裏表だろう。」と考えてましたが、その後の中国が進んだ道は、「改革開放(いわば第2次の)」という名の「民主化なき資本主義化(市場原理主義導入)」という人類史上かつてないものでした。「そんなことはできっこない。いずれ破綻する。」というのがもっぱらの評判だったけれど、しかし中国は90年代初頭には「世界の工場」となり、さらに21世紀には、13億人強の規模をもつ「世界の市場」へと発展していく。
それでも、「資本主義が進めば否が応でも民主化する。」と、アメリカでさえずいぶんと楽観していたようですが、その見通しはずいぶんと甘すぎた……というのが、習近平氏の登場後、ここ何年かの実情でしょう。人類史上、ほかに例のないことが起こっている。そして、そんなことを可能にしてるのは、ほかにもいくつか理由はあるが、なんといってもハイテクでしょうね。14億の人口を余すところなく管理できるほどのハイテクノロジー。そして今や、それを他国に向けて輸出してもいる。
コロナがこんなにも蔓延したのは、中国共産党の隠蔽体質ゆえであるのは間違いなくて、改めて世界はこれで、一党独裁国家の怖さを骨身に沁みて思い知ったはずなんですが、上で述べた経緯を考え合わせると、これから事態がすんなりと良い方向にむかうのかどうか、ぼく個人はなかなか明るい未来が見えません。
今のところ、まあ、そんな感じでしょうか。
『サクラダリセット』は、河野裕という方のライトノベルが原作で(角川書店・全7巻)、SFと呼ぶにはあまりにも物理法則その他を超えているため、「青春ファンタジー」としか言いようのない小説ですが、作品内で設定されたルールの範疇においてはきわめてロジカルに構築されており、とても知的でクールな良作ですね。論理的であり、また倫理的でもある。原作の文体はいかにも村上春樹くさいのですが(なにしろヒロインのひとりの名前が「春埼(はるき)」ですしね)、変な話、これほどストーリーテリングが巧くて、心地よくエンタテイメントしていたら、中途半端に純文学で/中途半端に大衆小説でもある春樹さん自身の作品よりも、こちらのほうが粋じゃないかとさえ思います。
お元気そうで何よりです^^
おお。多少、ご体調の方も気になっていましたので、お元気そうで安心いたしました。
ブログ更新が滞っていたことの裏には、中国共産党に対するご心配があって・・・・とのことで、お察しいたします。ただまあ、これに関しては、害が高じて衆目に明らかになったときには、終局が近いということですから、実は私はそこまで心配していません。(もちろん、最大限の警戒は必要だと自戒してはおりますけど) 中国の経済力はその多くが外資による投資と貿易によるものであり、その貿易も「低い技術力でも作れるものを安く売る」ことで成立してきたものですから、外国が一斉にそっぽを向けば砂上の楼閣のように瓦解します。そうならないように、共産党政府は様々な宣伝工作や欺瞞を行ってきましたし、またこれからも行っていくでしょうが、それも最早限界に近付いているでしょう。
もう、中国が今後の世界で覇権を握る可能性は残されていません。頼みとしていたアフリカ諸国ですら、一部を除いて中国の評判は落ちつつあります。後は、じわじわとゆるやかに、破局へ向かって坂を下っていくのみでしょう。
・・・・と思う一方で、中国の宣伝工作の凄まじさは侮れない、と警戒する気持ちもぬぐえないのは確かです。この日本でもいまだに親中勢力が(今は情勢が悪いのでおとなしくしていますが)至る所に浸透していますし、武漢肺炎対策で株を上げた台湾でもそうです。世界各国に親中勢力はいて、情勢が好転すれば彼らも息を吹き返し、今度はより巧妙に、中国に覇権をもたらすべく暗躍し始めるでしょう。
武漢肺炎により「対中国」で世界が盛り上がっているこの時に、ある程度の形を作っておかねば、中国の反撃によって情勢が覆されないとも限らない・・・・。(もちろん共産党はそれを狙っているはずですし)
すなわち、世界にとって、今が中国の覇権主義を封じ込める絶好のチャンスなのです。そしてチャンスというものは、ものにできずに逃せばピンチにすり替わります。
そうならないように、今の私は固唾をのんで情勢を見守っている、という感じですね。今のところ、トランプさんも安倍さんも、対中国では上手くやっていると思いますし、その点ある程度安心はしていますが。(恐らくこの点に関しては、eminusさんと私で感じ方に違いはあるのだと思います)
このアメリカと中国の覇権を掛けた対決は、武器を持たぬ戦争と言っていいでしょうし、お互い核兵器を背にしているとはいえ、軍事力で威圧しあった米ソ冷戦とも違います。経済力と国際ルールを駆使した戦争形態はどう表現すればいいでしょうかね。
戦争とはわからない隠然たる戦争だから「隠戦」とか。
国際ルールと法律を駆使した「法戦」か。
経済力を用いた「貨戦」
お互い静かな顔をして戦う「静戦」
「冷戦」との対比で考えると、「静戦」がしっくりくる気もするんですが、字面が弱いんですよねえ・・・・。英語では「サイレント・ウォー」だから、そっちのゴロは悪くない。
・・・・と思ってググってみたら、8年前の香港映画がヒットしましたw 国共内戦時代のスパイものなんだってw なんというか、色々合いすぎていて怖いw
ともあれ我々有権者にできることは、選挙でしっかり候補者を見て選択することですね。有益な選択をできるための目を養うこと。それにネット時代の今では、総理に直接自分の声を届けることもできる。(私はやったことはありませんが) また、折に触れ、発言できる場では自身の考えを発言してく。相手の意見も良く聴いて、良きを採り悪しきを捨て、自身の意見を磨き上げていく。そういった地道な草の根の取り組みで、国民の意識を底上げしてく。民主主義の手続きこそが、胡乱に見えて結局は大きな力になる。私はそう確信しています。
そんなわけで、私自身は中国共産党の覇権主義を警戒しつつも、基本的には「民主主義が勝つ」と楽観しています。たとえすべてが悪く働いて、中共が勝利を収めたとしても、それは一時の勝利に過ぎないでしょう。全世界を敵に回して勝てる国家があるはずはありませんから。
・・・・なんだか以前に私自身が書いたこととだいぶ違うことを書いてますね(爆)。あの時は武漢肺炎がここまでの事態になるとは思っていませんでしたので。
たったの数か月間で、世界は劇的に変わってしまったということですかね。
eminusさんも、今回の事態に対し、何らかの回答をご自身の中に見出されることを念じております。
>サクラダリセット
作品名は知っていますが、視聴したことはありません。なんというか、やはり純文学を嗜まれるeminusさんとしては、こういった雰囲気を持つ作品に食指が動かされるのでしょうねえ。
私としてはほとんど知らない作品であるのですが、eminusさんがこの作品のどこに惹かれたのか、大いに興味はありますね。また機が訪れたら、ご感想を書いて下さると嬉しいです。
☆☆☆☆☆☆☆
ぼくからのご返事 20.06.17
サブタイトル「1989」
そうですね。ご提案のネーミングをお借りするならば、「隠戦」であり「法戦」であり「貨戦」であり「静戦」であり、もとよりハイテク戦であり情報戦であり宣伝戦であり、それらすべてを併せたものでしょう。いまアメリカで起こっているデモにせよ、その背後に何らかの影を感じます。もともと不安要因は伏在していたには違いないけれど、まったくの自然発生とは思えぬし、なにひとつ焚き付けもなしにここまで燃え広がるとも思えません。
ところで、1989年は日本において「昭和」が終焉した歴史的な年ですが、世界史レベルでみても、ポーランドなどで「民主化」の動きが進むなか、11月10日には東西ベルリンを隔てる壁が崩壊し、さらに他の東欧諸国においても相次いで共産党政権が倒れていきました。それが2年後(1991年)のソ連解体へとつながる。ほんとうに激動の年であったと思います。
しかし、それらの流れと並行して、あるいはいくらか先駆けて、中国でも民主化の動きは起こっていたのです。改革派だった胡耀邦元総書記の死をきっかけに、10万人ほどの群衆が天安門広場に集まりました。その情況が2ヶ月ほど続き、6月4日に軍によって鎮圧される。いわゆる天安門事件です。
つまり、ソ連およびその影響下にあった東欧諸国は「改革」を果たして「民主化」へと舵を切ったのに、中国はそれを断固拒否した。民主化へのうねりを完全に圧し潰した。いま思うと、あれはつくづく歴史の分岐点でしたね。
ソ連および東欧諸国を厳密な意味で「ヨーロッパ」と呼べるかどうかは難しいところですが、少なくともそれは「アジア」ではない。いうならば、ヨーロッパには成しえた民主化が、アジアの大国ではできなかった。それこそがヘーゲルのいう「アジア的停滞」の遺制なのだ……という論評も、当時は為されていたように思いますけども。
それにしても、「民主化」とは「資本主義化」とイコールなのでしょうか? 当時のぼくは「同義ではないが、まあコインの裏表だろう。」と考えてましたが、その後の中国が進んだ道は、「改革開放(いわば第2次の)」という名の「民主化なき資本主義化(市場原理主義導入)」という人類史上かつてないものでした。「そんなことはできっこない。いずれ破綻する。」というのがもっぱらの評判だったけれど、しかし中国は90年代初頭には「世界の工場」となり、さらに21世紀には、13億人強の規模をもつ「世界の市場」へと発展していく。
それでも、「資本主義が進めば否が応でも民主化する。」と、アメリカでさえずいぶんと楽観していたようですが、その見通しはずいぶんと甘すぎた……というのが、習近平氏の登場後、ここ何年かの実情でしょう。人類史上、ほかに例のないことが起こっている。そして、そんなことを可能にしてるのは、ほかにもいくつか理由はあるが、なんといってもハイテクでしょうね。14億の人口を余すところなく管理できるほどのハイテクノロジー。そして今や、それを他国に向けて輸出してもいる。
コロナがこんなにも蔓延したのは、中国共産党の隠蔽体質ゆえであるのは間違いなくて、改めて世界はこれで、一党独裁国家の怖さを骨身に沁みて思い知ったはずなんですが、上で述べた経緯を考え合わせると、これから事態がすんなりと良い方向にむかうのかどうか、ぼく個人はなかなか明るい未来が見えません。
今のところ、まあ、そんな感じでしょうか。
『サクラダリセット』は、河野裕という方のライトノベルが原作で(角川書店・全7巻)、SFと呼ぶにはあまりにも物理法則その他を超えているため、「青春ファンタジー」としか言いようのない小説ですが、作品内で設定されたルールの範疇においてはきわめてロジカルに構築されており、とても知的でクールな良作ですね。論理的であり、また倫理的でもある。原作の文体はいかにも村上春樹くさいのですが(なにしろヒロインのひとりの名前が「春埼(はるき)」ですしね)、変な話、これほどストーリーテリングが巧くて、心地よくエンタテイメントしていたら、中途半端に純文学で/中途半端に大衆小説でもある春樹さん自身の作品よりも、こちらのほうが粋じゃないかとさえ思います。
アニメ版は尺の問題などで章の順番を思いきって入れ替えたうえに、いくつかの台詞を削ったり、逆に増やしたりもしておりますが、原作の本質を損なうことなく、アニメ独自の魅力を湛えています。ところどころデッサンがおかしかったり、アクションがぎこちないシーンもありますが、とにかく絵はきれいだし、構成と台詞がしっかりしてるので、安心して観ていられますね。
じつは2017年にはアニメ版の放送にあわせて前後編の実写映画版も公開されていて、いまgyaoで無料放送されているので、こちらも視聴しましたが、「やはり実写化ってのは難しいなあ。」というのが率直な感想です。これはほとんど別物と言わざるをえませんね。ぼくにとっては何よりもアニメ版が主眼で、その補填として原作がある……という感じです。原作者には申し訳ないことですが。
じつは2017年にはアニメ版の放送にあわせて前後編の実写映画版も公開されていて、いまgyaoで無料放送されているので、こちらも視聴しましたが、「やはり実写化ってのは難しいなあ。」というのが率直な感想です。これはほとんど別物と言わざるをえませんね。ぼくにとっては何よりもアニメ版が主眼で、その補填として原作がある……という感じです。原作者には申し訳ないことですが。