ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ニーチェ……「現代思想」の源流。

2016-07-31 | 哲学/思想/社会学
 何とも大上段に構えたタイトルですが……。まあ昔の記事なんで、ぼくも若かったってことですね……。


ニーチェ……「現代思想」の源流。



初出 2010年07月26日


 ぼくの学生時代はいわゆる「現代思想」ブームの真っ只中で、ご多分に漏れず、ぼくもすっかりこれにかぶれていた。火をつけたのは『構造と力』の浅田彰(57~)、『チベットのモーツァルト』の中沢新一(50~)のお二人だろうが、柄谷行人(41~)の論考「マルクス その可能性の中心」が「群像」に掲載されたのは1974(昭和49)年のことだから、下地はすでにその辺りから少しずつ整えられつつあったということになる。

 厳めしい「哲学」が、「思想」、それも「現代思想」と呼びかえられることで、古色蒼然たる「教養」から、ぼくたちの暮らす時代と社会とをビビッドに解析してくれる武器へとチェンジアップした。そんな気がした。この辺りの状況に興味がおありの若い方には、仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』(06年刊。NHKブックス 1020円+税)をお薦めしたい。

 奇しくもこの「ブーム」は、バブル前期、すなわち高度消費社会の到来と期を一にしていた。いや、日本における高度消費社会の到来が、「現代思想」を受け容れる空気を醸していたというべきか。しかもさらにややこしいのは、「現代思想」の異名というべき「ポスト構造主義」なる用語が、時代区分を表す社会学用語としての「ポストモダン」と二重写しになっていたことだ。ここの所に、いささかの混乱の生じる要因があったことは間違いない。

 たとえば栗本慎一郎(41~)がバタイユを援用して消費社会を賞揚するかのごとき著作を出したり、仏の社会学者ボードリヤールによる左翼批判=資本主義擁護(?)の言説が紹介されたりしたこともあり、「現代思想」とは、社会変革への志を捨て去ったばかりか、現状に対する根源的な批判精神すら持たず、自分たちを取り巻く豊かな社会をただ追認するだけの知的遊戯、であるかのような誤解が一部に生まれた。少なくとも、生まれる余地は十分にあった。

 もとより専門家や優秀な大学院生といったプロやセミプロのレベルではそんな誤解はなかったろうが、一般の真面目なマルキストは大体において良からぬ感情を抱いていたと思われる。じっさいにぼくも、そのような方の一人から、浅田氏に対する手ひどい嘲罵を聞いたことがある。それも仕方のないことだったと思うのは、その頃は、「世界認識の方法」というと、マルキシズムがやっぱり主力だったからである。むろんチェルノブイリもアフガン侵攻もあって、ソ連の威光などとっくの昔に地に落ちていたけれど、世界システムを総体として把握し、しかもそれを変革せしむる手段を説いた理論といえば、マルキシズム以外ありえなかった。

 「その頃は」と書いたけど、今だって、そんな理論はほかにない。要するに、「世界システムを総体として把握し、しかもそれを変革せしむる手段を説いた理論」は、もう少し後、91年のソ連崩壊(と、中国の市場経済導入)によるマルキシズムの失効をもって、人類史から消え去った。そしてそれが、「ポストモダン」ということの意味(のひとつ)であり、そのような、いわば「ポスト・マルクス」の時代を語ろうと(苦闘)する言葉の運動こそが、「現代思想」だということになる。

 ポストモダン社会を語ろうと(苦闘)する言葉の運動が現代思想で、「ポスト構造主義」は、現代思想を代表する最有力の思潮なのだから、両者がとかく混同されがちだったのも無理はない。じっさい、80年代の中庸から後期にかけて、この日本においては、「現代思想」と「ポスト構造主義」とはほぼ同義語の扱いだった。そうはいっても当時のぼくが、いわゆる「ポスト構造主義」の邦訳文献を懸命に読み漁っていたかというと、残念ながらそうではない。とてもじゃないがそれほど優秀ではなくて、せいぜい日本人の書き手による啓蒙書・解説本の類いを読んでいたくらいだ。

 ただ、柄谷行人は好きでよく読んでいた。理解できたか否かはともかくとして、文庫の形で出版されたものはぜんぶ読んだはずである。たぶん自分がいちばん影響を受けた著述家は柄谷氏だろうと思うのだが、しかし氏の論考は、おそらくはその気質ゆえか、概して抽象度の極めて高いものになりがちであり、狭い意味での「思想」や「文化」の領域を超え出ることはなく、現実の「社会」や「経済」や「政治」を批判的に考察するうえで、(少なくともぼくにとっては)さほど役に立たなかった。

 この点においては浅田、中沢といった人たちの言説も同じで、「豊かな社会のなかで戯れているだけ」という旧来からのマルキストによる非難は、誤解の産物とはいいながら、まるっきり的外れと言い切れぬところもあったのだ。

 さて、それら構造主義~ポスト構造主義を主に扱う「現代思想」の啓蒙書なり解説本を読んだとき、決まって出てくるのがニーチェの名だった。フーコーもデリダもドゥルーズも、みんなニーチェに多大な影響を受け、大なり小なり、彼の方法論に依拠する形で自身の思想を展開しているというのである。ぼくがニーチェを、全集を買ってまで読もうと思ったのはひとえにそのせいであり、けしてニーチェ自身の著作を読んで感銘を受けたからではない。

 ちばてつやの名作『おれは鉄兵』のなかに、旧制高校の学生のごとき風貌をもった「但馬」という人物が出てくる。この人、ニーチェにえらく耽溺しており、授業中、本を読みながら「む、むむむむ、むーっ」と知的興奮のあまり唸り声を上げたりもするのだが(読んでいるのはおそらく『ツァラトゥストラかく語りき』であろう)、そんな経験はぼくにはない。竹山道雄の名訳になる新潮文庫のツァラトゥストラは高一のとき買うには買ったが、高邁すぎてさっぱり入っていけなかった。いわゆる「現代思想」ブームがなければ、ぼくにはたぶんニーチェはずっと無縁のままだったと思う。言い換えるなら、あの当時の最先端の西欧思想家たち(の解説書)から、ぼくはニーチェの価値を教わった。

 ニーチェはむろんドイツ人であり、ドイツ語で著作を遺したけれど、先に名を挙げたフーコーもデリダもドゥルーズも、みなフランス系である。このあいだにはハイデガーという媒介者がいるのだが、話が錯綜するのでそこは別の機会に譲ろう。ニーチェがフーコー、デリダ、ドゥルーズといった猛者たちに圧倒的な影響を与え、マルクス、フロイト、フッサール、ソシュールと並んで「現代思想の源流」の一つと見なされているのは、彼が形而上学の、それも近代的な形而上学の、なおも言い換えるならば、「西欧的な意味における《人間》という理念」への、最初にして最大の批判者であったからだ。しかしこれでは表現を圧縮しすぎて、予備知識がなければ何のことだか分からない。

 そこでまず、その形而上学とは何かということになる。アリストテレスの『形而上学』に端を発するこの概念は、実体(=真に存在するもの)を探究する学問であり、ひいては、自然を超えたもの(見かけ=仮象の世界の背後にある真理、もしくは真なる存在)についての学問である。アリストテレスはいうまでもなくプラトンの弟子だが、このような考え方をプラトニズムと称する。たとえば花と呼ばれるものは、薔薇であっても百合であっても向日葵であってもすべて花だし、仮に名前を知らぬものであれ、一瞥すれば大抵の場合われわれはそれを花と認めうるけれど、それはわれわれの棲むこの世を超えた、何処とも知れぬ彼方の世界(それは彼岸あるいは天界かもしれない)に、「花の本質」(この「本質」のことをイデアという。アイデアの語源だ)が存在しており、それがこちらに投影されているからだというわけである。

 ……いやその発想は変だろう、花というのはただ単に素人が外観を見たり匂いを嗅いだりして決めるもんじゃなく、植物学者がいろいろ調べて定義づけるものじゃないのか。現に、一見すると花弁のようでも、じつは葉っぱの変形したものだという種類もたくさんあるではないか。そう反論したくなる人は、きっと科学的な思考が身についた近代人であろう。たしかに花だの野菜だのといった具象物ならそういう批判が出て然るべきだが、それではたとえば、「正義」とか「愛」といった実体のない概念の場合はどうであろうか。普遍的な理念が存在せず、すべては人間の恣意に委ねられていて、国の数だけ、民族の数だけ、組織の数だけ「正義」が成り立つというのは危険な事態ではあるまいか? 人の数だけ「愛」が入り乱れてるとしたら、われわれの社会生活は、おそろしく乱脈なものになってしまうではないか?

 あえて極端な言い方をしてみたけれど、そんな具合に考えていくと、「イデア論」(プラトニズムのことをそう呼んだりもする)はけっして哲学史上の一つの考えとして片付けられるものじゃなく、人間の思考の主要なパターンであることが分かる。われわれはやはり心のどこかで、あまねき正義が存在すると信じているし、模範とされるべき愛の姿が存在すると思ってもいるはずだ。いっぽう、「花のイデアなんてものはなく、カテゴリーとしての《花》は、植物学者がいろいろ調べて定義づけるもの」といった考えのほうは「唯名論」と呼ばれるのだが、哲学史とは、ある意味、この「イデア論」と「唯名論」との壮絶な闘いの記録ともいえる。中世における普遍論争ってのもこれだし、高校の倫理社会の授業で習った「大陸合理論」と「イギリス経験論」との対立というのも要するにこれだ。

 これら両者は究極においてどちらが正しいというよりも、人間の認識の二大形式というより仕方ないんじゃないかとぼくは思う。たしかに近代の科学は唯名論的思考のうえに成り立っているが、しかし例えば、「これらはどちらが正しいか?」と問う時のこの「正しさ」というのは、まさにイデア論的なる概念ではないか? イデア論の発想を完全に捨象して物事を思考することは誰にもできない。つまりわれわれ近代人は、唯名論を理性のベースに置きつつも、なお深層ではイデア論を決して捨て去れないのである。それは、イデア論が人間存在の本質に根付いているからだ。

 それはまた、どれほど科学が発達しようと、宗教が決して無くならないことからも分かる。すべての宗教は、例外なくイデア論である。「あの世」も「霊界」も「来世」も「浄土」も「天国」も「地獄」も「アストラル界」も、プラトニズムの説く「彼岸」のさまざまなバリエーションにほかならない。じつはニーチェには、「キリスト教は通俗化されたプラトニズムである。」というショッキングな箴言があって、ぼくなどはこれを、例の「神は死んだ。」よりもっと重要なものだと思っているが、日本ではそれほど広まっていない。「神の死」を頂点とするニーチェの哲学は、じつはプラトニズムへの、言い換えれば、荘厳なる大聖堂のごとき「形而上学」の体系に向けての、全霊を賭した宣戦布告でもあった。

 ここでようやく先ほど述べた「ニーチェは、西欧的な意味における《人間》という理念への、最初にして最大の批判者であった。」というくだりに到達できた。「形而上学」に対する徹底的な批判が、なぜ、西欧的な意味における《人間》という理念への批判となるのか。鋭い人ならお分かりのとおり、それは、形而上学そのものが、《人間》の《理性》の産物にほかならないからである。犬や猫はもちろん、どれほど高度な類人猿であれ、形而上学を持ち合わせてはいない。すなわち、形而上学を産み出すに足る《理性》を有していないということだ。

 だから「知の考古学者」ミシェル・フーコー(1926 昭和1~ 1984 昭和59)は、ニーチェの「系譜学」の方法を押し進め、《狂気》や《監獄》の研究を通じて《近代》や《理性》の成立過程を暴き出した。「哲学者=批評家」ジル・ドゥルーズ(1925 大正14~ 1995 平成7)は、《理性》にかえて《欲望する機械》や《器官なき身体》といった新奇な概念を導入することで、ニーチェの「力(への)意志」の哲学を継いだ。「哲学者」ジャック・デリダ(1930 昭和5~2004 平成16)は、ニーチェの「形而上学批判」のプログラムを「ロゴス中心主義」批判として発展させ、この上もなく犀利かつ緻密に、ほとんどパラノイアックと呼びたいほどの執拗さをもって、《理性》が《真実》を語ってしまうプロセスを脱臼させ続けた(脱構築)。ニーチェが現代思想の源流(のひとつ)であり、マルクス、フロイト、ソシュール、あるいはダーウィンとも並んで、「20世紀に決定的な影響を与えた思想家」と称される所以は、ここのところに存するのだ。



もういちど、ポストモダンについて。(ニーチェ……「現代思想」の源流  補足)

初出 2010年08月01日



 Q&Aサイト「教えて! goo」の会員のなかに「ghostbuster」という方がおられる。どこかの大学で文学を講じていらっしゃるとお見受けするが、この方の解答がとても勉強になるのでよく見ている。


 こちらでは、概念としての「ポストモダン」とニーチェとの関わりについて、とてもうまく説明されている。
ポストモダンとは何か?
https://otasuke.goo-net.com/qa1396521.html
 なるほど。簡潔にして的確。どうもぼくは文章がくだくだしくなっていけない。この方の説明を要約するとこんな感じだ。

「ポスト・モダニズムとは、何よりもまず、モダニズム/近代性を批判的にとらえ、脱近代化を推し進めようとする理論の総称である。いっぽう、ポスト構造主義とは、学問的方法もしくは思考方法を指す概念だから、所属する人物は重なり合いつつも、その用語が対象とする領域は異なる。

「ポスト・モダニズムを考えるとき、それが批判しようとしている《近代》、あるいはモダニズムがどのようなものなのか、どのようにとらえるのか、ということが問題になる。そのばあい、必ずといっていいほど引用されるのが、ジャン=フランソワ・リオタールの定義だ。

 『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム』(水声社)のなかで、リオタールはこう言っている。

 近代とは、

 ①愛による原罪からの解放というキリスト教の物語

 ②認識による無知や隷属からの解放という啓蒙の物語

 ③労働の社会化による搾取と疎外からの解放というマルクス主義の物語

 ④産業の発展による貧困からの解放という資本主義の物語

 といった、《大きな物語》が信じられた時代である。そして、ポスト・モダンの状況とは、その物語が信じられなくなったような状況である。

「ポストモダンの運動は、こうした《大きな物語》が信じられなくなった状況において、複数の小さな物語を生み出すこと、そしてその複数の物語を異種混合させ、差異を増殖させ、未だ知られざるものを探求し続けることによって、回答を出すのではなく、新たな問題を浮かび上がらせていくことを目指す。

「このポスト・モダニズムを考えていくとき、非常に重要になってくるのがニーチェの思想だ。ポストモダニズムとは、《ニーチェの哲学の長たらしい脚注》(テリー・イーグルトン)にすぎない、という見解すらある。

「ヨーロッパの近世から近代に至るまでの哲学は、数学を理想とし、《自我》や《理性》という原理から、演繹的に導かれた知の体系を築いていこうとした。こうしたありかたに、いちはやく批判を投げかけたのがニーチェであった。これこそポスト・モダニズムのエッセンスとなるような考え方ではないか、というわけだ。」




 引用および要約はここまで。基本的には語調を整えただけが、「阻害」を「疎外」に改めるなど、ぼくの裁量で訂正した部分もあるので、文責はダウンワード・パラダイスに帰すものと致します。ともあれ、この「数学を理想とし、《自我》や《理性》という原理から、演繹的に導かれた知の体系」こそが、ぼくが前回の記事で述べた《形而上学》だということになる。




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