ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

宇宙よりも遠い場所・論 10 Dear めぐっちゃん 後編

2018-12-07 | 宇宙よりも遠い場所
 名場面を数え上げたら両手の指をぜんぶ使っても足りない「よりもい」だけど、この「旅立ちの朝」も上位に入るのは間違いない。ただ、ほかの名シーンがおおむね爽やかなのに比して、これだけは強い苦みを含んでいるために、どうしても好きになれない、という人もいるかもしれない。
 ぼく自身、初見のときは正直いって抵抗をおぼえた。しかし何度も見返すうちに、めぐっちゃんとキマリ、それぞれの心情が胸に迫ってきた。やはりここを抑えておかないと、全編のラスト、めぐっちゃんから送られてきたあの画像の真意がきちんと見えてはこない。
 このシーン、まず2人の表情がすばらしい。キマリの表情の動きがここまでリアルに細かく描かれるのは、あとは第12話のあのシーンだけだ。そして、それと同じくらい重要なのはやはりセリフだ。つくづく花田十輝氏の才能を感じた(花田清輝のお孫さんらしい。やはり才能ってのは遺伝するのか)。
 編集はせず、なるべく忠実に文字に起こしてみよう。「絶交だ、って言ったんだ」の次からである。

「なんで? どういうこと?」
「オマエさあ、まだ気づいてないのか?」
「え?」
「南極(報瀬のことだ)と新宿まで行ったって、なんで噂になったんだと思う。オマエだれかに話したか?」
「ううん」
「最初に南極に会った時に、なんで100万円持ってるって上級生が知ってた? 母親がなんで南極行くって、オマエが言うより先に知ってた?」
「……なんで?」
「(叫ぶ)私以外にないだろう! とっとと気づいて、オマエが激怒して……そうなるんだろうなって、思ってた。いつだろうって」
「なんで……?」
「でも、オマエも南極たちも、ぜんぜんバカみたいに気づかないで」
「なんで!」
「知らねえよ! 最初にオマエが南極に行くって言ったとき、なんでこんなに腹が立つんだって思った。昔からキマリが何かするときは、私にぜったい相談してたのにって」
「うそ……待って」
「いやな思いさせて悪かった。謝る。ごめんなさい。……きのう、キマリに言われて、やっと気づいた。くっついて歩いているのはキマリじゃなくて、私なんだって。キマリに頼られて、相談されて、呆れて、面倒みるようなふりして、偉そうな態度とって。……そうしてないと、何もなかったんだよ、私には。……自分に何もなかったから、キマリにも何も持たせたくなかったんだ。だめなのはキマリじゃない。私だ。ここじゃない所に向かわなきゃいけないのは、私なんだよ!」





 文字にしたらけっこうすらすら読めてしまうなあ。これにあれだけの感情を吹き込む声優さんってのはやっぱりすごい。楽譜という記号の連なりに生命を吹き込む演奏家みたいなものだ。
 さて。言うべきことは色々あるが、まず事実関係から確認したい。めぐっちゃんが、「ひどい噂」としてキマリたちに告げたのは、「資金集めのためにコンビニで万引きしてる」と「歌舞伎町で男の人と遊びまくってる」の2点。そもそも実際にそんな噂が流れてたかどうかが疑わしいとぼくは思っているけれど(めぐっちゃんがキマリの気を引くために大げさに言ったのだろう)、万が一それがほんとだったとしても、それを流したのはめぐっちゃんでは決してない。そこはめぐっちゃんの名誉のためにも特筆大書しておきたい。
 めぐっちゃんが周囲のだれかに漏らしたのは、①報瀬が100万円持っていること。②キマリたちが歌舞伎町に行ったこと。それだけだ。あと、何らかの形でキマリの母に南極のことを伝えた。たしかに不用意だし、陰険といえば陰険なのかもしれないが、許しがたいほどではあるまい。
 もし変な噂が立ったとしたら、それは「尾ひれがついた」というやつである。
 めぐっちゃんは、きっと昨夜は一睡もせずに考え詰めて、そのままここに足を運んだはずだ。「絶交宣言」だけはしようと決意を固めていたろうが、ほかの言葉は、この場でキマリと向き合って、対話するなかで生まれたものである。
 罪悪感や反省の念を「絶交宣言」という形でしか表現できないのは、持って生まれた性格であり、また、キマリと彼女との関係のありようの結果なのでもあろう。それに、たぶんに偽悪的なところもあって、必要以上に毒気のある、きつい言い回しを使ってしまう。
 だから、えげつなく響くことばをひとつひとつ掘り下げていくと、意外なくらい清冽な真情がみえてくる。
「オマエも南極たちも、ぜんぜんバカみたいに気づかないで」とは、「オマエたちってほんとに良い奴だよな」という意味だ。
「なんでこんなに腹が立つんだって思った」とは、やはり、親しい幼なじみが自分から離れて他の友達のほうに行ったことへの寂しさや嫉妬をあらわしてるんだろう。
 それでキマリは「うそ……待って」という。無邪気な彼女は、どれほど自分がめぐっちゃんを傷つけてたか、このときやっと気づいたわけだ。
 そして最後の長台詞。めぐっちゃんはここで、自分がキマリをずっと依存させていたこと、しかも、そうすることで自分自身もまたキマリに依存していたことを述べる。いわゆる共依存だ。
 たいへんな自己省察だといわねばなるまい。高2でここまで自らの内面を抉って核心を取り出せるひとはそういない。ある種の母親なんかだったら、一生そんな事実に向き合うことなく子供を支配下に置き、母子ともに、それに心地よく甘んじたまま臨終の日まで過ごすかもしれない。
 それだけの重みが裏にあるからこそ、このシーン、たんなる女子高生ふたりの感傷ごっこではなくて、普遍性をもってぼくなんかの胸にも迫ってくるわけだ。
 さらにめぐっちゃんは「ここじゃない所に向かわなきゃいけないのは、私なんだよ」とまで言う。13話のラストは、それが口先だけに終わらなかった証である。


 だが、ぼくがもっと恐れ入ったのはこのあとの脚本だ。

「じゃあな……」
「めぐっちゃぁん! 一緒に……いこう」
「どこに?」
「なんきょくぅ!」


 この「なんきょくぅ!」には参った。むちゃくちゃな呼びかけなんだけど、たしかにそうだ、キマリならここで絶対こう言うはずだ。ほかのセリフは考えられない。
 めぐっちゃんは答える。
「バカいうなよ、やっと一歩、踏み出そうとしてるんだぞ、……オマエのいない世界に」
 これも、「バカいうなよ、今からどうやって準備するんだ。間に合うわけないだろ?」では台無しになるところである。
 このあたり、2人ともに泣き声だ。泣きながらめぐっちゃんに駆け寄っていくキマリ。ところがそこに、しっかりした声のキマリがモノローグをかぶせる。
キマリ「私たちは、踏み出す」
 ほかの3人も、それぞれ家を出て空港へと向かう。その映像にかぶせて、
報瀬「今まで頼りにしていたものが、何もない世界に」
日向「右に行けば何があるのか、家はどっちのほうかもわからない世界に」
結月「明日どこにいるのか、明後日どこを進んでいるか、想像できない世界に」
キマリ「それでも踏み出す!」
 めぐっちゃんに後ろから抱きつくキマリ。耳元に口をよせ、ささやく。「絶交、無効」



 そして振り返らずに走り去る(腕でちょっと顔を拭うが)。
顔を上げためぐっちゃんも、もう泣いてはいない


 それにしても、「なんきょくぅ!」と「絶交、無効」。この簡潔な二つの台詞に込められた思いをほどいていけば、400字詰め原稿用紙10枚あまりになるだろうなあ。
 これだけでも十分圧巻なのだが、このアニメはそこで留まらない。だめ押しのように、第1話の冒頭、あの幼稚園の砂場の情景がフラッシュバックするのだ。

 澱んだ水が溜まっている。
 それが一気に流れていくのが好きだった。
 決壊し、解放され、走り出す。澱みの中で蓄えた力が爆発して、すべてが動き出す。





 『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』じゃないけれど、そこはキマリとめぐっちゃんとの最初の出会いの場所だったのだ(めぐっちゃんは、「一緒に遊ぼう」ではなく「遊んでもいいよ」と言った)。
 あとは走って、走って、一目散に空港へ。そこにはもちろん、あの3人が待っている。

 (エンディングテーマ「ここから、ここから」が流れて……)
 すべてが、動き出す!



 これまで観てきたすべての映画、すべてのアニメのなかで、「青春の旅立ち」を描くうえでの演出として、これ以上のものをぼくは知らない。

 めぐっちゃんは、「友達」や「友情」の負の側面、陰の部分を一身に負ったキャラなので、視聴者の反感を買いやすいかもしれない。けれどもし彼女がいなければ、この作品は今よりもずっとコクの薄いものになったろう。
 この第5話のサブタイトルは、「Dear my friend」だ。friendは単数形だから、報瀬たちではなく、めぐっちゃんのことである。それが、報瀬が母に向かって送り続ける「Dear お母さん」と対になっている。それくらい大切な存在ということだ。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素晴らしい記事をありがとうございます (よしよし)
2019-01-05 23:15:45
本日ひょんなことでこちらの連載を発見し一気に拝読しました。各エピソードを丁寧に分析していくボリュームたっぷりの記事で、いちファンとして楽しく読ませていただきました。感謝の気持ちと、今後の記事も心から楽しみにしておりますということをお伝えしたく、自分にとって特に印象的だったこちらの記事にコメントしている次第です。

5話の旅立ちのシーンは作品全体の中でも特に好きで何度も観ているのですが、こちらの文字起こしを読んだことで台詞回しの秀逸さを改めて確認しました。それとともに、抑揚・震え・タイミングなどといった声の演技だからこそ表現できる部分の重要性と演じている声優さんたちの巧みさもよりはっきりと認識できました。自分の初視聴時を思い返すと、私もキマリの「なんきょくぅ!」とそれに対するめぐっちゃんの泣き笑いの返答、そして絶好宣言をねじ伏せる独善的とも言えるキマリの「絶好、無効!」に心を揺さぶられたことで「このアニメはもしかして名作かも知れない…」と思い始めたのでした(この予感は続く6、7話で確信に変わることになりました)。苦味を含む別れを旅立ちへの高揚と希望へと鮮やかに転換するラストのモノローグも含めて、本当に見事なシーンだと思います。
返信する
ありがとうございます。 (eminus(当ブログ管理人))
2019-01-06 00:36:44
 コメントありがとうございます。
 関係者とか、ファンの方から、「なにを勝手なことをやっておるのか」といつか怒られるんじゃないか、と思いながら書いてるもんで、こう言って頂いて、たいへん心が安らぎました。
 この作品はもちろん、多くの良質なファンに恵まれていますが、どんな名作にもアンチの方というのはいるもので、批判の声も一部にはあります。ただ、それが真っ当なものならよいけれど、見たところどうも、明らかな曲解や、飛ばし見による理解不足からくるものが多い。
 そこでこういうものを書き始めたのですが、やるとなればやはり、できるだけ魅力をきちんと伝えたい。しかしネタバレといえば、これほどのネタバレもないわけで、「いいのかなあ、これ……」とは、常に思っているのです。
 あと、「その解釈はおかしい」「自分はそうは思わない」といった趣旨のコメントってものもとうぜん想定されるし、色々とまあ、ドキドキしながらやってます。だからほんとに嬉しいです。
 南極でのエピソードに傾注したかったので、序盤の「舘林編」はけっこう急ぎ足になりました。この5話でも、ゲームの話は割愛しちゃってるんですよね。それについてはラストでふれることになるかと思っていますが……。
 11話と12話はあまりにも中身が濃いので、本来なら畏れ多くて要約などはできないのですが、ここまできたからには最後までやらせて頂く所存です。ひきつづきよろしくお願いいたします。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。