ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ひきつづき、『風立ちぬ』のこと。②

2019-04-19 | ジブリ

 二郎と菜穂子とが汽車のデッキで出会うのは、まさに関東大震災の日だから1923年(大正12年)9月1日なんだけど、このとき二郎は20歳で、東京帝国大学の学生。いっぽう菜穂子は13歳くらいなんですね。せいぜい中学生なんだ。
 風に飛ばされた二郎の帽子を菜穂子が受け止め、礼を述べる二郎に悪戯っぽく微笑んで “Le  vent  se   lève,” という。
 二郎はすこし面食らったあと、“  il  faut  tenter  de  vivre.” と、続きを返す。
 意味は、二郎があとから呟くように「風が立つ。生きようと試みなければならない。」20世紀前半を代表するフランスの詩人(にして批評家)ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」の最後のほうに出てくる有名なフレーズです。
 このフレーズが日本で有名になったのは、堀辰雄が自作の小説『風立ちぬ』のエピグラムに引用して、「風立ちぬ。いざ生きめやも。」と、えらく格調の高い文語調の訳をつけたから。
 ただ、格調高いのはいいんだけど、これだと「風が立つ。いざ! うーん、とはいうものの、はてさて。生きようかなァ、どうしようかなァ」みたいなニュアンスになる。原文の力強い調子とは別物になっちゃうわけ。でも『風立ちぬ』という小説のもつアンニュイな空気には、むしろそっちのほうが相応しい。だからこれは誤訳じゃなく、あえてそう意訳したのでは? とも言われてますが。
 堀の小説『風立ちぬ』は、もちろんアニメ『風立ちぬ』の「原作」のひとつでもある。でもこれが発表されたのは1938(昭和13)年。アニメの中での二郎と菜穂子の出会いから、15年もあとのことです。2人が出会った時分には、まだヴァレリーの翻訳なんて出てないし、そもそもそんなに知られてなかった。「古典的教養」なんかじゃなく、ほんとに最先端の文学だった。だから、専門外なのにこれを知ってる二郎も凄いし、菜穂子はさらに凄いですよね。じっさいには、いかに良家のお嬢様でも、あんな中学生はいなかったでしょう。
 お絹さんは当時の用語でいうところの「女中さん」ですね。さいきんの日本もまたそうなりつつありますが、昔は厳然たる階級社会だったので、貧しい農家の娘なんかがけっこう幼い頃から都会のお屋敷に雇われて、住み込みで家事や子育ての手伝いをする。そうして妙齢になったら適当な相手を世話してもらってその家から嫁いでいく。そういう制度ができあがっていた。二郎の家にも、それらしき「女中さん」がいましたね。
 お絹さん、あのとき20歳の手前くらいかなあ。そうすると二郎とほぼ同い年だけど。
 菜穂子にとっては、主従とはいえ姉みたいな存在で、いわゆる「姉(ねえ)や」ってやつでしょう。
 二郎が直接に助けたのは菜穂子ではなくお絹のほうで、彼の情感としても、ストーリーの上からも、初めのうち菜穂子とお絹は渾然一体というか、まだ未分化のままでいる。2年後に、学校まで礼状を添えてシャツと計算尺を返しに来たのもお絹のほうだしね。
 下宿で待ってた「若い娘」にしても、お絹でも菜穂子でもなく妹の加代だったし、あのあたり、宮崎監督は観客をはぐらかして遊んでるようにも見えました。
 そのあとは卒業~入社、前途ある優秀な技術者として身を立てていく二郎の描写が続いて、ヒロイン菜穂子がふたたび二郎および観客の前に現れるのは、1933(昭和8)年のこと。出会いから数えてちょうど10年が経過している。そのあいだ、二郎はまるっきり菜穂子のことを忘れてたわけですが、菜穂子のほうはそうではなかった。
 ここで時系列をおさらいすると、二郎が「三菱内燃機株式会社」に入ったのが1927(昭和2)年。これは実在の堀越二郎氏の経歴とも一致してます。作中でも描かれてたように、世間ではあちこちで取り付け騒ぎが起こっていた。芥川龍之介が自裁した年でもありますね。
 二郎が本庄らとともに遠路はるばる「ユンカース社」に視察に出向いたのが1929(昭和4)年。世界恐慌の始まった年だ。あ。もちろん渡航手段は船ですよ。
 夜、二郎と本庄が気晴らしのためにホテルを出て散策していたとき、民家の窓からシューベルトの「冬の旅」が聴こえてきたあとで、なにか不穏な捕り物騒ぎに巻き込まれそうになりますね。
 逃げていく男と追いすがる一団との影が、一瞬、大きくビルの壁に映し出される場面、それこそフリッツ・ラングばりの表現で、「凝ってますなあ。」と、映画好きならニヤリとするところ。
 追っかけていた男たちの中に、昼間、格納庫で二郎たちの視察を邪魔した男がいたのは、つまり彼はユンカース社の人間じゃなく、機密漏洩を防ぐための警察関係者だったということですね。ちなみに彼が吐き捨てたセリフは “ Geh  zurück  nach   japan! (とっとと)日本に帰れ! ” です。
 だからあのあと捕まった男はスパイであった。どこの? 当時のドイツの軍事機密を命がけで盗もうとするのは、とうぜんソ連のスパイでしょう。
 ところで、「堀越二郎」のもうひとりのモデル、小説家・堀辰雄が東大の国文科を卒業したのもこの年です。堀辰雄は堀越二郎よりも1年下で、かつ、病弱ゆえに休学したので、こんなに遅れたんですね。
 1932(昭和7)年、二郎は上司の服部および黒川から、「七試艦上戦闘機」の設計主務者に選ばれる。これも実在の堀越二郎さんと同じ。ただし、アニメではそんな台詞はなかったけども、じっさいに完成した七試艦上戦闘機は、堀越二郎が「鈍重なアヒルだ……」と自嘲するほど不格好な機体でした。しかも、試作した2機はいずれも大破してしまう。
 それでアニメの二郎は失意のあまり、おそらくは入社以来はじめての長期休暇をもらって、静養のために軽井沢へと赴くわけですね。
 そしてここから、アニメの「堀越二郎」は、実在した技術者・堀越二郎から、作家・堀辰雄および堀辰雄の描いたフィクションのほうへと傾斜していく。すなわちその地で菜穂子と「運命の再会」を果たし、静謐ながら激しい恋が始まるわけです。
 それが、上にも述べたとおり1933(昭和8)年のこと。