布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

手賀沼近辺の2つの将門神社

2007-03-03 | 歴史
下手賀沼を挟んだ対岸,手賀沼の北地区(我孫子市日秀)と南地区(柏市岩井)にはそれぞれ将門神社なるものがある。利根川を越えたここ旧相馬郡にも多くの将門逸話が伝わっており,そこで,2つの将門神社と同地区に隣接するいくつかの将門逸話についても紹介します。
<柏市岩井地区の将門神社について>
沼南地区の竜光院となりに写真の将門神社があります。将門次女の椿姫が逃れてこの地に潜伏したという。ここに彫られている放駒の彫物は見事です。如春尼の地蔵堂なるものが将門神社境内にあるそうです。春姫は、尼となり、如春尼と名乗り、ここに地蔵堂を建て将門の菩提をともらったそうです。堂内には九曜の紋があるそうです。また,隣の竜光院には,将門の一族と関わりのある墓もあるとのこと。
<我孫子市日秀地域の将門神社について>
天慶3年に将門が戦死した時,その霊が日秀の郷に現れ、「吾は平親王将門の魂である、今よりこの地に止まり村中の老幼を守るであろう」と言って消え失せたという。湖北村誌によれば、将門が対岸から騎馬で手賀沼を乗り切って、この日秀で朝日を拝したといわれており,将門没後その遺臣たちが,そこで,ここに石祠を建て,将門の霊を祭ったというのが起源だそうです。もちろん,祭神は平将門で,旧日秀村の村杜。
<車ノ前五輪塔(柏市大井地区)について>
この塔は柏市の指定文化財(有形文化財)で大井の福満寺南側の境外地にある100m四方の森、通称「妙見さま」と呼ばれる妙見堂跡地にある。ここに,将門の愛妾の車ノ前が遺児とともに隠れ住み,将門の信仰していた妙見菩薩を祭った妙見堂を建てたといわれている。さて,この五輪塔は、総高160cmで、材質は小田御影石で,花輪にあたる笠石に欠損があるものの県下有数のもので,当時この地域を治めていた豪族の墓で,室町時代初期に建てられたと考えられている。なお,今でも妙見堂跡では,地元の人々が例年2月に将門の命日と称して妙見講を行っている。
<日秀観音堂の首曲地蔵について>
この観音堂は将門神社から北へ500メートルで成田街道に面したところにあり、ここには,将門調伏を祈願した成田不動尊を嫌い、成田方向に顔をそむけた首曲がり地蔵がある。今でも檀徒は、成田詣ではしないという。
<岩井戸(将門の井戸)について>
伝承として,承平2年、将門がひらき,軍用に供した井戸といわれている。湖北村誌によれば,「中相馬七ヶ村には七つ井戸と称して、必ず一村一個有せり」とされる七つ井戸のひとつで,日秀では岩井戸と呼ばれている。しかし、今は老樹とともにその面影をとどめているのみ。
以上、将門の娘、愛妾が出てくる手賀沼近辺の将門神社を中心に将門にかかわる逸話を紹介したが、今後もこの近辺に残る将門逸話を紹介します。
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