先般、布施弁天住住職の生家である板橋の不動院に赴き、父君である30世下村清智住職に連れ4人でお会いしてまいりました。板橋といっても東京の板橋ではく、茨城県の旧伊奈町(現つくばみらい市)の板橋にある真言宗豊山派の清安山産不動院願成寺(せいあんざんふどういんがんしょうじ)で、地元はもとよりこの辺の人から板橋のお不動さんとして親しまれてきました。ここは関東三大不動尊のひとつであり、北関東36不動尊霊場の第36番目の結願の寺でもあります。なお、不動院縁起によると、大同3年(808年)弘法大師が諸国行脚の折、錫をご聖塚にとどめ、一刀三礼の古式に則って自ら彫刻なされたのご本尊の不動明王とのこと。
その名のとおり不動院は、この不動明王と両童子像がご本尊で、このご本尊は昭和25年に国の指定重要文化財となっています。藤原期、定朝様式のすぐれた彫刻で、憤怒像にしては、珍しい穏和な表情と姿をしているのが特長です。そこから、子育ての仏様として、昔から地元の人から愛されていたのかもしれません。
私どもがお伺いした時は、祝日で、七五三や生まれた間もない子のお宮参り等でひっきりなしで、参拝者が訪れていました。私ども、柏の地域では、柏神社や諏訪神社や八幡神社とかでは見慣れた光景ですが、お寺様ではあまり見かけない風景です。しかも、神社に負けない人手にはびっくりしました。なりやまない太鼓の音。こんな、忙しい時に、いくら、事前にアポイントをとっておいたとしても、大変ご迷惑を掛けてしまったようです。
三男の法之氏は、柏の布施弁天のご住職になり、不動院は、清智氏と長男の方、次男の方の三人で営んでいるようです。
お忙しい最中、いろいろとお話を伺うと同時に加持祈祷している本堂に案内してもらい、その行事を面お前で見せていただきました。30分ごとに祈祷が行われ、本堂の中は、着飾った赤ちゃんや子供さんたちで一杯。もちろん、若いお母さんたちも着飾り、本堂内は実に華やかでした。
その中で安産子育、成長安全、赤ちゃん初詣の祈願が厳かに行われていましたが、自分たちは護摩を炊く現場には立ち会えませんでした。しかし、天井は真っ暗。天井の梵字が読み取れなくなっているところもありました。
さて、この辺のことを細かく書いていくと、本来の目的の文化財の保護のことが書けなくなりそうなので、当日の様子は割愛させていただきます。
さて、不動院のご本尊は先にも紹介したとおり国の重要文化財ですが、建物の本堂、三重塔、楼門は茨城県の指定重要文化財となっております。三重塔は昭和35年、本堂は昭和40年、楼門は昭和49年に県の文化財に指定されております。
建物の古い順番は、本堂は文禄年間(1592~1595)に建立された二重屋根入母屋造りで朱塗りです。楼門は、元禄年間(1688~1703)の建立で、入母屋造り二重垂木、銅板葺で左右に阿・吽の仁王像が安置されています。そして、一番新しいのが、三重塔で安永元年(1772)の建立で、極彩色の彫刻を施されています。先般は、三重塔の補修が行われ、県が5割、市が3割、お寺が2割負担したようです。そして、これから楼門の補修が行われますが、全てを部品ごとに解体し、補修・塗装して、元あったように組み立てる。昔のままの状態のまま、昔の状態に戻すというのが補修の目的らしい。ですから、なにも新しいものは、付けてはいけない。つくった当時のままにして、今後、何十年、何百年と保存していく。これが、文化財の保護だと聞き、全員納得しました。この補修費用あれば、現在ある以上の楼門を作れるらしいと聞き、昔のものを保存し、伝えていく難しさを改めて知らされました。いうのは、易いが、行うのはーーー。
なお、この補修にあたっては、当然、文化財の補修の専門業者に頼んでいることはいうまでもありません。この文化財の保存・補修費用は、当不動院の場合は、ご住職のご説明から察し、県が5割、市が3割、お寺さんが2割程度負担しているようでした。布施弁天も、早く、そのようになればいいねと4人で話し合いながら、帰路に着きました。
その名のとおり不動院は、この不動明王と両童子像がご本尊で、このご本尊は昭和25年に国の指定重要文化財となっています。藤原期、定朝様式のすぐれた彫刻で、憤怒像にしては、珍しい穏和な表情と姿をしているのが特長です。そこから、子育ての仏様として、昔から地元の人から愛されていたのかもしれません。
私どもがお伺いした時は、祝日で、七五三や生まれた間もない子のお宮参り等でひっきりなしで、参拝者が訪れていました。私ども、柏の地域では、柏神社や諏訪神社や八幡神社とかでは見慣れた光景ですが、お寺様ではあまり見かけない風景です。しかも、神社に負けない人手にはびっくりしました。なりやまない太鼓の音。こんな、忙しい時に、いくら、事前にアポイントをとっておいたとしても、大変ご迷惑を掛けてしまったようです。
三男の法之氏は、柏の布施弁天のご住職になり、不動院は、清智氏と長男の方、次男の方の三人で営んでいるようです。
お忙しい最中、いろいろとお話を伺うと同時に加持祈祷している本堂に案内してもらい、その行事を面お前で見せていただきました。30分ごとに祈祷が行われ、本堂の中は、着飾った赤ちゃんや子供さんたちで一杯。もちろん、若いお母さんたちも着飾り、本堂内は実に華やかでした。
その中で安産子育、成長安全、赤ちゃん初詣の祈願が厳かに行われていましたが、自分たちは護摩を炊く現場には立ち会えませんでした。しかし、天井は真っ暗。天井の梵字が読み取れなくなっているところもありました。
さて、この辺のことを細かく書いていくと、本来の目的の文化財の保護のことが書けなくなりそうなので、当日の様子は割愛させていただきます。
さて、不動院のご本尊は先にも紹介したとおり国の重要文化財ですが、建物の本堂、三重塔、楼門は茨城県の指定重要文化財となっております。三重塔は昭和35年、本堂は昭和40年、楼門は昭和49年に県の文化財に指定されております。
建物の古い順番は、本堂は文禄年間(1592~1595)に建立された二重屋根入母屋造りで朱塗りです。楼門は、元禄年間(1688~1703)の建立で、入母屋造り二重垂木、銅板葺で左右に阿・吽の仁王像が安置されています。そして、一番新しいのが、三重塔で安永元年(1772)の建立で、極彩色の彫刻を施されています。先般は、三重塔の補修が行われ、県が5割、市が3割、お寺が2割負担したようです。そして、これから楼門の補修が行われますが、全てを部品ごとに解体し、補修・塗装して、元あったように組み立てる。昔のままの状態のまま、昔の状態に戻すというのが補修の目的らしい。ですから、なにも新しいものは、付けてはいけない。つくった当時のままにして、今後、何十年、何百年と保存していく。これが、文化財の保護だと聞き、全員納得しました。この補修費用あれば、現在ある以上の楼門を作れるらしいと聞き、昔のものを保存し、伝えていく難しさを改めて知らされました。いうのは、易いが、行うのはーーー。
なお、この補修にあたっては、当然、文化財の補修の専門業者に頼んでいることはいうまでもありません。この文化財の保存・補修費用は、当不動院の場合は、ご住職のご説明から察し、県が5割、市が3割、お寺さんが2割程度負担しているようでした。布施弁天も、早く、そのようになればいいねと4人で話し合いながら、帰路に着きました。
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