季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

虫の声

2009年09月20日 | その他
今年の夏は例年よりも短かった。夜更けに風呂につかると庭先の虫の声がひときわ目立つ。ああ、雑草を抜かなかったのは正解だったなあ、と思うひと時である。来年も抜かないでおこう、と覚悟を決めるひと時である。決して怠けていたのではない、この安らぎのひと時を望むが故である、と思い込めるひと時である。

去年も同じことを書いた。しかしもっとずっと後であった。

今年の夏は例年より短かったといったけれど、ではどうしてそんなことが分かるのだろう。去年虫の音について書いたのがもっと後になってからだ、というのもどうして分かるのだろう。

僕が本気でそう問いかけたならば、皆さんは重松はついにボケたと確信するはずです。大丈夫、まだボケてはいませんから。

言うまでもない、カレンダーがあれば、今日はまだ9月中旬だということが示される。去年の記事を辿ってみればいつ書いたかも知れる。

虫のことを書き出して去年云々を言っていたら本居宣長に「真暦考」という文章があることを思い出した。暦というものが無かった上代について述べたものである。

暦というものは便利なもので、これを持たなかった古の人はさぞかし不便であっただろう。ひとはすぐそんな風に考えるけれどもそれは違うと宣長は言う。

その木の実がなるのは、その季節のその頃、この草が生えるのは、いつのいつごろ、その草が枯れるのは、何時の何時頃などと知って、あるいは田の作物や畑の作物に関しても、稲の刈り時は何時頃、麦の穂が熟すのはこの頃、というように理解し、あるいは鳥が南方へ行ったり帰って来たりを見、虫が穴に入ったり出てきたりを知るなど、すべて天地の様子から、時節に従って、移り変わるものによって、季節の何時頃と定めていた。

宣長はこう書いている。

さらに

それでは古の人は親しい人の命日も分からず不便ではないか、と論じる者に対し次のように言う。

暦を持たぬ時代、あの木の葉が散り始めた日にあの人は死んだ、人々はそう決めていたから、次の年も、また次の年もその木の葉が散り始めた日が命日であった。そういう大らかな受け取り方をしていて過たなかった、と。

例えてみればこういうことだ。

今日僕が死んだとしよう。虫の声がたけなわである。暦が無い時代であれば来年ふたたび虫の声が高くなったとき、僕に親しい人は「去年の今日あの男は死んだのだ」と思い出すであろう。(実際はだれも思い出さないかもしれないがね、それはまた別のことだ)

今日僕たちは暦を使っているために、来年が猛暑でこの時期にかんかん照りであっても僕の命日として記憶を新たにするであろう。

いったいこれは正しいことであるか。こう宣長は問いかける。いや、積極的に古の人の感じ方に寄り添ってみると言った方が正確だ。

暦に従った命日とあらゆる情と結びついた古代の命日と、いったいどちらが人間として正確といえようか。

むろんこの世から暦を追放することはできない相談であるが、宣長の言うところは何の難しさもないと合点するだろう。

暦が正しいではないか、というような態度を宣長は漢心(からごころ)といって嫌った。

桜をこよなく愛でた宣長について触れたから、時期はずれだが山桜の写真を載せておく。季節はずれのブログだ、時期はずれの写真もご愛嬌だろう。

コメント
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