ふたたび台湾旅行記に戻ります。今回は三日目からスタートです。
前日と違って、この日の朝は比較的のんびり。朝食時の混雑もなく、ゆっくり過ごすことができました。
午前中、高雄のホテルから台中駅まではバスでの移動。その時間を利用して、今も「台湾で最も尊敬されている日本人」と言われる八田與一のアニメ映画『パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜』が上映されました。
台湾総督府の土木技師だった八田與一は、古くから干ばつに悩まされてきた台湾南部・嘉南平原の治水・灌漑工事に、身命を賭して取り組んだ人物。初めは彼を信頼しなかった台湾の人々ですが、日本人も台湾人も分け隔てしない姿勢や、自ら率先して危険な現場に足を運ぶ姿に心を動かされます。そして遂に、10年の歳月をかけて大貯水池・烏山頭ダムが完成。嘉南平原一帯には地球半周にも及ぶ水路が張り巡らされ、雑草も生えない不毛の地は豊饒な大地に生まれ変わりました。
統治する側のエゴではなく、私心なく台湾の開発・発展のために尽くした八田技師と現地の人々との心の交流についついほろり。題名の「パッテンライ(八田來)」とは、台湾語で「八田がやって来た」という意味。主題歌「受け入れて」を担当していたのは一青窈さんでした。
豊かな穀倉地帯へと変貌を遂げた嘉南平原では今も、米はもちろん、サトウキビ、マンゴー、スイカやバナナなどが栽培されています。

台中からは、台湾新幹線(台湾高速鉄道 Taiwan High Speed Rail)で台北へ。
高雄から台北までの全長345kmを90分で結ぶ台湾新幹線。個人旅行では、とても効率的な移動手段だと思います。私たちは台中で1泊、高雄で1泊しましたが、上手く使えば台北から高雄までの日帰りも可能かもしれません。

駅の構内や新幹線ホームは日本と変わらない印象でした。線路はドイツ、システムは米国が手掛け、車両は日本が担当(700系がモデル)したので、日本の新幹線と同じく3席と2席のシートです。この日、車内は満席。途中で降りる人がいても、すぐに次の客が席を埋めていました。スーツケースなど、大きな荷物の置き場所が少なかったように思います。

台中から概ね1時間ほどで台北駅(台湾語で台北車站)に到着。1891年に開業した台北駅は、何度も移動や改築を経て、1989年に現在の駅舎が竣工しました。

駅舎全体はこんな感じです。台湾高速鉄路(高鉄THSR)、台湾鉄路管理局(台鉄TRA)及び台北捷運(MRT)が地下に乗り入れる台北駅は、敷地面積も利用者数も台湾随一。台湾北部の交通の要衝となっています。

台北駅からは、バスに揺られながら山道を辿って十分(シーフェン)に向かいました。十分は、ノスタルジックな町並み散策や天燈上げで有名な人気の観光地です。

バスを降りて、中心街の十分老街(シーフェンラオジェ)に向かう坂道。すでに長蛇の列ができていました。

そんな人混みをかき分けるように、タクシーは進んでいきます。

線路の両側に広がる十分老街。実際、1時間に1本くらい列車が通るので、観光客はその合間を縫って線路上を散策し、天燈上げを体験します。この日も混みあっていましたが、コロナ前はこれどころではなかったそうです。

私たちは見ることができなかった列車の通過。日本人の感覚からすると、驚きの光景ですよね。(写真は「台湾に行きたいわん!」のサイトからお借りしました)

ずらりと並んだ天燈屋さんの一軒に入り、いよいよ天燈上げ体験の始まりです。

天燈には4面あり、私たちもツアーでご一緒したご夫妻と一緒に願い事を筆書きしました。

私たちの天燈にも火がともされ、いよいよ天燈上げの瞬間です。

勢いよく空に舞い上がっていく天燈。手を離すタイミングが少し遅れてしまったのですが、幸いバランスを崩すことなく上がってくれました。

十分老街の空に昇っていく天燈を見上げていると感慨もひとしお。想像以上に感動的な体験でした。
次は、九份でノスタルジックな町並みを散策します。
前日と違って、この日の朝は比較的のんびり。朝食時の混雑もなく、ゆっくり過ごすことができました。
午前中、高雄のホテルから台中駅まではバスでの移動。その時間を利用して、今も「台湾で最も尊敬されている日本人」と言われる八田與一のアニメ映画『パッテンライ!! 〜南の島の水ものがたり〜』が上映されました。
台湾総督府の土木技師だった八田與一は、古くから干ばつに悩まされてきた台湾南部・嘉南平原の治水・灌漑工事に、身命を賭して取り組んだ人物。初めは彼を信頼しなかった台湾の人々ですが、日本人も台湾人も分け隔てしない姿勢や、自ら率先して危険な現場に足を運ぶ姿に心を動かされます。そして遂に、10年の歳月をかけて大貯水池・烏山頭ダムが完成。嘉南平原一帯には地球半周にも及ぶ水路が張り巡らされ、雑草も生えない不毛の地は豊饒な大地に生まれ変わりました。
統治する側のエゴではなく、私心なく台湾の開発・発展のために尽くした八田技師と現地の人々との心の交流についついほろり。題名の「パッテンライ(八田來)」とは、台湾語で「八田がやって来た」という意味。主題歌「受け入れて」を担当していたのは一青窈さんでした。
豊かな穀倉地帯へと変貌を遂げた嘉南平原では今も、米はもちろん、サトウキビ、マンゴー、スイカやバナナなどが栽培されています。

台中からは、台湾新幹線(台湾高速鉄道 Taiwan High Speed Rail)で台北へ。
高雄から台北までの全長345kmを90分で結ぶ台湾新幹線。個人旅行では、とても効率的な移動手段だと思います。私たちは台中で1泊、高雄で1泊しましたが、上手く使えば台北から高雄までの日帰りも可能かもしれません。

駅の構内や新幹線ホームは日本と変わらない印象でした。線路はドイツ、システムは米国が手掛け、車両は日本が担当(700系がモデル)したので、日本の新幹線と同じく3席と2席のシートです。この日、車内は満席。途中で降りる人がいても、すぐに次の客が席を埋めていました。スーツケースなど、大きな荷物の置き場所が少なかったように思います。

台中から概ね1時間ほどで台北駅(台湾語で台北車站)に到着。1891年に開業した台北駅は、何度も移動や改築を経て、1989年に現在の駅舎が竣工しました。

駅舎全体はこんな感じです。台湾高速鉄路(高鉄THSR)、台湾鉄路管理局(台鉄TRA)及び台北捷運(MRT)が地下に乗り入れる台北駅は、敷地面積も利用者数も台湾随一。台湾北部の交通の要衝となっています。

台北駅からは、バスに揺られながら山道を辿って十分(シーフェン)に向かいました。十分は、ノスタルジックな町並み散策や天燈上げで有名な人気の観光地です。

バスを降りて、中心街の十分老街(シーフェンラオジェ)に向かう坂道。すでに長蛇の列ができていました。

そんな人混みをかき分けるように、タクシーは進んでいきます。

線路の両側に広がる十分老街。実際、1時間に1本くらい列車が通るので、観光客はその合間を縫って線路上を散策し、天燈上げを体験します。この日も混みあっていましたが、コロナ前はこれどころではなかったそうです。

私たちは見ることができなかった列車の通過。日本人の感覚からすると、驚きの光景ですよね。(写真は「台湾に行きたいわん!」のサイトからお借りしました)

ずらりと並んだ天燈屋さんの一軒に入り、いよいよ天燈上げ体験の始まりです。

天燈には4面あり、私たちもツアーでご一緒したご夫妻と一緒に願い事を筆書きしました。

私たちの天燈にも火がともされ、いよいよ天燈上げの瞬間です。

勢いよく空に舞い上がっていく天燈。手を離すタイミングが少し遅れてしまったのですが、幸いバランスを崩すことなく上がってくれました。

十分老街の空に昇っていく天燈を見上げていると感慨もひとしお。想像以上に感動的な体験でした。
次は、九份でノスタルジックな町並みを散策します。