もうすぐ3月。桃の節句が近づいていますね。福岡県でもひな祭り関連イベントを行う地域が多いです。佐賀県との県境、水郷の町 柳川もそのひとつで、2月11日から4月3日までの期間、「柳川 雛祭り さげもんめぐり」が行われています。
写真は、日本初の雛のぼり・姫武者幟、長尺さげもん絵巻と野外さげもん展示が行われている「沖端舟溜り」と呼ばれる広場です。手前の4本の幟(のぼり)が雛のぼりと姫武者幟、さげもん絵巻と野外さげもんは、その後方に展示されています。

柳川は、明治を代表する詩人 北原白秋生誕の地。生家は江戸時代から続く商家で、白秋の父の代は筑後地方有数の酒造業を営んでいました。

白秋生家の入口を入ると、造り酒屋らしく酒樽と一升瓶が並んでいます。「潮」という名の日本酒は、北原家が醸し柳川藩御用達だった酒を復活させたもので、白秋生家・記念館で購入できます。

入口から続く土間。左の板の間は、使用人たちが食事をとった場所だそうです。

お座敷に飾られた雛人形やさげもん。柳川地方では女の子が生まれた家の初節句に、子供の健やかな成長を願い、ひな壇と一緒に色とりどりのさげもんを飾って盛大に祝う風習があります。

さげもんに吊るされる様々な飾りは、縁起が良いとされる鶴や亀をはじめ、うさぎやひよこ、這い人形などの布細工で、無病息災や良縁などの願いが込められているそうです。

鮮やかな色あいの糸で巻かれた柳川まり。旧柳川藩主立花家に仕えていた腰元たちの嗜みとして作られていたもので、七色の草木染め糸を用いた草木まりが原型と言われています。

生家の奥にある北原白秋記念館にも入ってみました。写真は、詩人北原白秋と作曲家山田耕筰の人生を描いた映画『この道』の一シーン(主演:大森南朋さん、EXILE AKIRAさん)。映画に出演した小島藤子さん、エグザイルのAKIRAさんが資料館に来館したときのサインが入っています。

《追記》
耕筰との友情を主軸に、波乱に満ちた白秋の半生を描いた、映画『この道』。記念館に展示されていた写真、終盤の印象的なシーンだったので追加しました。映画の最後で、エグザイル ATSUSHIさんが「この道」を静かに歌いあげます。印象に残る歌声でした。

記念館を出て生家を見ると、正面に「からたち」が植えられていました。

~からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ~
『からたちの花』は、作曲家 山田耕筰の少年時代の思い出を白秋が詩にしたもので、このからたちがモデルではないそうです (^-^)ゞ

白秋生家の後は柳川の町を散策。ひと足先に柳川に行かれたtangoさんのブログから想像はしていましたが、どこも閑散としていて掘割に浮かぶどんこ舟も寂しそうに見えました。

「御花(おはな)」の愛称で親しまれる旧柳川藩主立花家のお屋敷。この時期、例年なら人や車で一杯なのですが、ほとんど人と出会うこともなく、どこの駐車場もガラガラ。
御花の入口や順路、飾りつけまで例年とは変わっていて、寂しく感じられました。

100畳敷の大広間。日本家屋にしては天井が高く作られています。

掘割の水を引き入れた池を約280本のクロマツが囲い、立体感のあるつくりとなっている松濤園。この日は姿がありませんでしたが、冬場は多くの野鴨がこの池に飛来します。

明治43年に立花家の迎賓館として建てられた西洋館。鹿鳴館様式の流れをくむ造りで、明治の面影を今に伝える貴重な建築物です。

立花伯爵家に伝わる華麗な雛飾り・さげもんの数々。

柳川藩主、明治以降は伯爵となった立花家の華やかな暮らしぶりが伝わってくるようです。

精緻に手づくりされた柳川まり。

紅白の輪に吊るされる7本のさげもん飾り。それぞれの糸に7つ、計49個の縁起物が飾られます。これに加えて、中央に大きな柳川まりを2個吊るして51個にするのは、人生50年と言われた時代にあって、少しでも長生きしてほしいという親の願いを込めたものと言われています。

干菓子を思わせるこんな飾りもありました。

御花の敷地内にある立花家史料館。柳川藩主時代から伯爵家時代にわたる立花家の史料や美術工芸品を展示しています。
立花宗茂は、戦国大名で初代柳川藩主。柳川市では、宗茂のNHK大河ドラマ招致に取り組んでいるそうです。

武具や甲冑などだけではなく、雛人形や雛調度も展示されていました。


さげもんめぐりに関連する各種イベントのスケジュールは柳川雛祭りさげもんめぐり観光案内HPをご覧ください。
新型コロナによって各地の観光客が激減していますね。柳川もその影響をまともに被っているようでした。
立花家資料館も白秋生家も厳しい運営難で、閉館の危機に瀕しているそうです。職員の給与カットや国の雇用調整助成金で凌いでいますが、それも限界に近いというネットニュースを目にしました。新規感染者を抑制しつつ、ワクチンの効果が現れるまで何とか持ちこたえてほしいと思います。
写真は、日本初の雛のぼり・姫武者幟、長尺さげもん絵巻と野外さげもん展示が行われている「沖端舟溜り」と呼ばれる広場です。手前の4本の幟(のぼり)が雛のぼりと姫武者幟、さげもん絵巻と野外さげもんは、その後方に展示されています。

柳川は、明治を代表する詩人 北原白秋生誕の地。生家は江戸時代から続く商家で、白秋の父の代は筑後地方有数の酒造業を営んでいました。

白秋生家の入口を入ると、造り酒屋らしく酒樽と一升瓶が並んでいます。「潮」という名の日本酒は、北原家が醸し柳川藩御用達だった酒を復活させたもので、白秋生家・記念館で購入できます。

入口から続く土間。左の板の間は、使用人たちが食事をとった場所だそうです。

お座敷に飾られた雛人形やさげもん。柳川地方では女の子が生まれた家の初節句に、子供の健やかな成長を願い、ひな壇と一緒に色とりどりのさげもんを飾って盛大に祝う風習があります。

さげもんに吊るされる様々な飾りは、縁起が良いとされる鶴や亀をはじめ、うさぎやひよこ、這い人形などの布細工で、無病息災や良縁などの願いが込められているそうです。

鮮やかな色あいの糸で巻かれた柳川まり。旧柳川藩主立花家に仕えていた腰元たちの嗜みとして作られていたもので、七色の草木染め糸を用いた草木まりが原型と言われています。

生家の奥にある北原白秋記念館にも入ってみました。写真は、詩人北原白秋と作曲家山田耕筰の人生を描いた映画『この道』の一シーン(主演:大森南朋さん、EXILE AKIRAさん)。映画に出演した小島藤子さん、エグザイルのAKIRAさんが資料館に来館したときのサインが入っています。

《追記》
耕筰との友情を主軸に、波乱に満ちた白秋の半生を描いた、映画『この道』。記念館に展示されていた写真、終盤の印象的なシーンだったので追加しました。映画の最後で、エグザイル ATSUSHIさんが「この道」を静かに歌いあげます。印象に残る歌声でした。

記念館を出て生家を見ると、正面に「からたち」が植えられていました。

~からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ~
『からたちの花』は、作曲家 山田耕筰の少年時代の思い出を白秋が詩にしたもので、このからたちがモデルではないそうです (^-^)ゞ

白秋生家の後は柳川の町を散策。ひと足先に柳川に行かれたtangoさんのブログから想像はしていましたが、どこも閑散としていて掘割に浮かぶどんこ舟も寂しそうに見えました。

「御花(おはな)」の愛称で親しまれる旧柳川藩主立花家のお屋敷。この時期、例年なら人や車で一杯なのですが、ほとんど人と出会うこともなく、どこの駐車場もガラガラ。
御花の入口や順路、飾りつけまで例年とは変わっていて、寂しく感じられました。

100畳敷の大広間。日本家屋にしては天井が高く作られています。

掘割の水を引き入れた池を約280本のクロマツが囲い、立体感のあるつくりとなっている松濤園。この日は姿がありませんでしたが、冬場は多くの野鴨がこの池に飛来します。

明治43年に立花家の迎賓館として建てられた西洋館。鹿鳴館様式の流れをくむ造りで、明治の面影を今に伝える貴重な建築物です。

立花伯爵家に伝わる華麗な雛飾り・さげもんの数々。

柳川藩主、明治以降は伯爵となった立花家の華やかな暮らしぶりが伝わってくるようです。

精緻に手づくりされた柳川まり。

紅白の輪に吊るされる7本のさげもん飾り。それぞれの糸に7つ、計49個の縁起物が飾られます。これに加えて、中央に大きな柳川まりを2個吊るして51個にするのは、人生50年と言われた時代にあって、少しでも長生きしてほしいという親の願いを込めたものと言われています。

干菓子を思わせるこんな飾りもありました。

御花の敷地内にある立花家史料館。柳川藩主時代から伯爵家時代にわたる立花家の史料や美術工芸品を展示しています。
立花宗茂は、戦国大名で初代柳川藩主。柳川市では、宗茂のNHK大河ドラマ招致に取り組んでいるそうです。

武具や甲冑などだけではなく、雛人形や雛調度も展示されていました。


さげもんめぐりに関連する各種イベントのスケジュールは柳川雛祭りさげもんめぐり観光案内HPをご覧ください。
新型コロナによって各地の観光客が激減していますね。柳川もその影響をまともに被っているようでした。
立花家資料館も白秋生家も厳しい運営難で、閉館の危機に瀕しているそうです。職員の給与カットや国の雇用調整助成金で凌いでいますが、それも限界に近いというネットニュースを目にしました。新規感染者を抑制しつつ、ワクチンの効果が現れるまで何とか持ちこたえてほしいと思います。