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ルイガノ旅日記

あちこち出かけた場所で目にとまったもの、
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ミュンヘン ビアホールをめぐる旅(その6) ~ ノイシュヴァンシュタイン城

2017年07月21日 | 海外旅行
草原に佇む奇跡のヴィース教会のあとは、ロマンティック街道日帰りツアーのハイライト、ノイシュヴァンシュタイン城です(^^)/
麓にあるチケットセンター。掲示板に城内ガイドツアーの予定が表示されています。ここからお城までは、バス、馬車、徒歩の3ルートがありますが、私たちのツアーは、行きはバス、帰りは徒歩のルートを選びました。


ちょっと馬が見えにくいですが、チケットセンターの前にある馬車の停車場です。


ここがバス停。このバスでお城に向かいます。うねる山道を登って行程約10分。歩くと、結構大変かも……(^-^;


バス停の正面に見えるのは、ホーエンシュヴァンガウ城。ノイシュヴァンシュタイン城の建設を命じたルートヴィヒ2世が、父親のバイエルン王マクシミリアン2世、その王妃マリーとともに、多感な少年時代過ごした場所です(誕生したのは、ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮、ニンフェンブルク城)。


お城のシンボルは白鳥。ちなみに、「シュヴァン」とはドイツ語で白鳥という意味です。


バスを降りるとすぐそばにあるマリエン橋は、絶好のビューポイント。マリエン橋とは、「マリーの橋」という意味で、ここはルートヴィヒ2世の母マリーお気に入りの場所で、息子への誕生日のプレゼントとして、ここに木の橋を渡したのだそうです(今かかっているのは鉄製の橋)。


ノイシュヴァンシュタイン城の遠景。ディズニーのシンデレラ城のモデルになったと言われるのも、わかるような気がします。


ここからの写真を撮るために望遠レンズを持って行ったのに、想像していたほど距離が離れていなかったため、一番近距離側でいっぱいいっぱい。せっかくなので、この1枚だけ撮ってきました(笑)


眼下の渓流。


その下流側には、こんな滝壺も……。


マリエン橋からお城まで、ゆっくり歩いて15分くらい。道すがら、ときどきノイシュヴァンシュタイン城が姿を現します。


壁面にバルコニーが見えますが、このバルコニーからの眺めが素晴らしかったです。


城の袂をぐるりと回ると、入口に到着。


すでにたくさんの観光客が、予約したガイドツアーの順番を待っていました。


城内は撮影禁止ですが、窓やバルコニーからの風景は撮影OK。バルコニーからはアルプゼー湖と、その向こうにドイツアルプスが一望できます。湖畔の高台に立つのは、先ほどバス停から見上げたホーエンシュヴァンガウ城。


ガイドツアーを終え、帰りは歩いて駐車場へ。途中まで、馬車と同じ道を歩きます。


振り返り見るノイシュヴァンシュタイン城。パラセールが、気持ちよさそうに上空を舞っていました。


赤い屋根のイタリアン・レストラン。ここでお昼を済ませてから出発です。


ピザとスープで遅めのランチを……。


ここで出されたのは、ケーニッヒ・ルードヴィッヒ醸造所のヴァイスビア。1260年、時のバイエルン公ルードヴィッヒ2世(ルートヴィヒ2世と名前が似ていますが、時代も名前のスペルも違います(^-^;)が設立した醸造所がルーツで、今も王室末裔が経営しているのだそうです。


ノイシュヴァンシュタイン城の建設を命じたのは、第4代バイエルン王、ルートヴィヒ2世。父マクシミリアン2世の急逝により、18歳の若さで即位したルートヴィヒ2世は、国民の期待とは裏腹に、次第に政治への関心を失い、現実から逃避して自分の精神世界に埋没するようになります。太陽王と呼ばれたフランスの絶対君主ルイ14世に傾倒し、中世の騎士道に憧れを抱き続けた若きバイエルン王は、後年、自分自身の夢の城を築くことに熱中。そのひとつが、このノイシュヴァンシュタイン城ですが、41歳という若さで非業の死を遂げたため、未完のまま工事は中断されました。君主としての責任を果たすことなく、築城に情熱を傾けて国家の財政を逼迫させたルートヴィヒ2世は、後に「狂王」と呼ばれることになります(ガイドさんの説明では、城造りは国王の私財と年金で行ったもので、国の予算を浪費したという非難は当たらないとのことでした)。国民を顧みることなく夢想に人生を費やしたルートヴィヒ2世。遂には、王位を追われる原因となったノイシュヴァンシュタイン城が、今ではドイツの重要な観光資源となっているのですから、不思議な因縁ですね。
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