大河ドラマ『軍師 官兵衛』も、九州を舞台に物語が展開されるなど、いよいよ佳境に入ってきましたね。8月31日の放映で初登場した宇都宮鎮房(しげふさ)が治めていたのが、福岡県から大分県に跨る豊前一帯。今回訪ねたのは、福岡県築上町にある旧藏内邸。明治時代に筑豊を拠点とした炭坑業で財を成した藏内家の邸宅です。藏内家は、代を遡ると宇都宮氏の家臣だった家柄ですが、江戸時代に帰農し、明治18年から炭坑業に関わって成功を収めました。

藏内邸の正門。門を通して玄関が見えます。

次郎作、保房、次郎兵衛3代の居館であった藏内邸の案内板。

玄関前に置かれた灯籠は、優に人の背丈を越える大きさです。

大きく軒が張り出した玄関。この部分だけで、普通の家一軒分くらいありそうです(笑)

土間と玄関間を合わせて15坪。土間はすべて大理石、天井には屋久杉が使われています。

玄関を抜けるとすぐの応接間からの庭の眺め。

応接間に付随するように造られた茶室。

至るところに生花が飾られていました。

広く張り出した軒先。波目様に組まれた幾何学模様が印象に残りました。

茶室から見る応接間。どの部屋からも庭が眺められるよう、L字型を幾つも連ねた複雑なつくりです。

こちらは、同じく茶室から大広間を見たところ。

応接間から大広間に繋がる廊下から、茶室の外観が見えます。黒っぽい白壁は、漆喰に墨を混ぜたもの。敷地内を流れる豊かな地下水による湿気を防ぐための対策だそうです。

18畳間が二つ続く大広間。天井の高さにびっくり (^-^)ゞ

大広間を囲む長く広い縁側。緩やかな丸みを帯びた弓型天井が、優美さを演出していました。

縁側からは、広い庭園を一望できます。この池の水は、川から引き込み、地下水路を通して注がれています。このため、常に流れがあり、澱むことがないのだそうです。

大広間の縁側だけではなく、すべての廊下や縁側の天井も、様々な意匠が凝らされていました。中央から左右に傾斜を持たせて、まるで屋根のようです。

何もかもが大きい旧藏内邸。廊下に渡された梁も、丸ごと一本の巨大なもの。

梁の上の曲面が力強さを感じさせます。

各部屋の欄間も、それぞれ意匠が異なります。

屋久杉の自然の朽ち木で作られた欄間。

裏表から立体的に彫り込まれています。


調度品も、貴重な重要文化財。

すべての電灯は、三つ巴の家紋入り。特注品です。


湯ぶねも床も、腰壁も、すべて大理石。

洗面所も・・・・・。

庭園越しに見る大広間。

茶室の前の百日紅。

旧藏内邸を取り囲む長閑な田園風景。

首を垂れる稲穂。収穫も間近です。

反対側の田んぼはまだ青々しく、あぜ道を挟んで対照的な風景でした。

近くの山里で、たわわに実る栗を見つけました。

秋らしい風景に接すると、暫し暑さを忘れて癒されます (^-^)ゞ

秀吉の九州討伐の論功により、この地を所領として与えられた黒田官兵衛と長政親子。これに対し、源頼朝に豊前の総地頭を命ぜられ、16代400年に亘りこの地域を治めてきたのが宇都宮氏(城井谷を本拠地としたため、別姓『城井(きい)』)。鎮房は、領民から『きい殿様』と呼ばれて親しまれた名君ですが、秀吉の命に逆らって本領安堵を願い出たことから、新たに入封した黒田と一戦を交えることになり、一旦和睦したものの、最後は黒田の居城、中津城で謀殺されました。築上町は、大河ドラマ『軍師 官兵衛』を機に、そうした対立の歴史を逆手にとって、官兵衛側にとっては敵陣であることをウリに、様々な町おこしを図っています。今回は、旧藏内邸だけの散策でしたが、次の機会は、宇都宮鎮房が築き、天然の要塞と言われる城井ノ上城址などにも足を延ばしてみたいと思います。

藏内邸の正門。門を通して玄関が見えます。

次郎作、保房、次郎兵衛3代の居館であった藏内邸の案内板。

玄関前に置かれた灯籠は、優に人の背丈を越える大きさです。

大きく軒が張り出した玄関。この部分だけで、普通の家一軒分くらいありそうです(笑)

土間と玄関間を合わせて15坪。土間はすべて大理石、天井には屋久杉が使われています。

玄関を抜けるとすぐの応接間からの庭の眺め。

応接間に付随するように造られた茶室。

至るところに生花が飾られていました。

広く張り出した軒先。波目様に組まれた幾何学模様が印象に残りました。

茶室から見る応接間。どの部屋からも庭が眺められるよう、L字型を幾つも連ねた複雑なつくりです。

こちらは、同じく茶室から大広間を見たところ。

応接間から大広間に繋がる廊下から、茶室の外観が見えます。黒っぽい白壁は、漆喰に墨を混ぜたもの。敷地内を流れる豊かな地下水による湿気を防ぐための対策だそうです。

18畳間が二つ続く大広間。天井の高さにびっくり (^-^)ゞ

大広間を囲む長く広い縁側。緩やかな丸みを帯びた弓型天井が、優美さを演出していました。

縁側からは、広い庭園を一望できます。この池の水は、川から引き込み、地下水路を通して注がれています。このため、常に流れがあり、澱むことがないのだそうです。

大広間の縁側だけではなく、すべての廊下や縁側の天井も、様々な意匠が凝らされていました。中央から左右に傾斜を持たせて、まるで屋根のようです。

何もかもが大きい旧藏内邸。廊下に渡された梁も、丸ごと一本の巨大なもの。

梁の上の曲面が力強さを感じさせます。

各部屋の欄間も、それぞれ意匠が異なります。

屋久杉の自然の朽ち木で作られた欄間。

裏表から立体的に彫り込まれています。


調度品も、貴重な重要文化財。

すべての電灯は、三つ巴の家紋入り。特注品です。


湯ぶねも床も、腰壁も、すべて大理石。

洗面所も・・・・・。

庭園越しに見る大広間。

茶室の前の百日紅。

旧藏内邸を取り囲む長閑な田園風景。

首を垂れる稲穂。収穫も間近です。

反対側の田んぼはまだ青々しく、あぜ道を挟んで対照的な風景でした。

近くの山里で、たわわに実る栗を見つけました。

秋らしい風景に接すると、暫し暑さを忘れて癒されます (^-^)ゞ

秀吉の九州討伐の論功により、この地を所領として与えられた黒田官兵衛と長政親子。これに対し、源頼朝に豊前の総地頭を命ぜられ、16代400年に亘りこの地域を治めてきたのが宇都宮氏(城井谷を本拠地としたため、別姓『城井(きい)』)。鎮房は、領民から『きい殿様』と呼ばれて親しまれた名君ですが、秀吉の命に逆らって本領安堵を願い出たことから、新たに入封した黒田と一戦を交えることになり、一旦和睦したものの、最後は黒田の居城、中津城で謀殺されました。築上町は、大河ドラマ『軍師 官兵衛』を機に、そうした対立の歴史を逆手にとって、官兵衛側にとっては敵陣であることをウリに、様々な町おこしを図っています。今回は、旧藏内邸だけの散策でしたが、次の機会は、宇都宮鎮房が築き、天然の要塞と言われる城井ノ上城址などにも足を延ばしてみたいと思います。
