ドリームピックのウクレレ日記

ウクレレとヨットの大好きな「お腹の大きなオヤジさま」
dreampicのウクレレ日記。

大儀見さんを送る会 at YOKOHAMA BAYSIDE MARINA

2009年11月07日 23時02分12秒 | ヨットのこと
7日15:00から横浜ベイサイドマリーナで「故大儀見薫さんを送る会」が
開かれた。


会の主催者は、マヤの来日20周年パーティの時に、それこそ20年ぶりに再会
した、元セールトレーニング協会のI井さん。
もちろんその時には、大儀見さんを送る会が開かれようなどとは、これっぽっちも
思っちゃあいなかった。

会場に入るなり、I井さん曰く「このために、あの時再会したようですね」。
まさにそのとおりですねと新杉田駅で合流したMT氏とI井さんにご挨拶。

もしも、あの時お会いしてなかったら、こうしてベイサイドマリーナには来ていな
かったでしょう。

献杯用の飲み物は各自買って、持ち込んでくださいというシステムなので、
会場の下のマリンショップでビールを購入。
受付で記帳、会場のサロン入り口で、白いカーネーションをもらい、遺影に献花。
     

サロンのベランダに先に来ていたOさんがいた。ヨッティングの編集長のM橋さん
も会場にいた。
さっそくベランダでビールを開ける。

     


15:30 I井さんのキーノート(基調)スピーチが始まる。
故大儀見さんの歩んできた道を、I井さんが、そのソフトな声と独特の柔和な口調で
紹介してゆく、ヨット界の重鎮であり日本のヨット、特に外洋ヨットと外洋レース
の普及啓蒙活動に尽力してきたこと、87年にメルボルン~大阪ダブルハンドレース
を企画して、出場し、優勝したこと。帆船を使った青少年の育成・教育の場として
日本セイルトレーニング協会を創設し、ポーランドグダニスク造船所建造の帆船
「海星」を購入し、日本のセイルトレーニング活動の始祖となったこと。

その志や、かつて受けた薫陶、人となりなど。
また、とおく海外から寄せられたメッセージの紹介も。

    

文字通り、立錐の余地もなく集まった人々は、水を打ったように聞入る。
ある人は、深くうなずき、ある人は固く目を閉じ…


     

ワイキキヨットクラブのペナントとダーツの的の間にあるのが「時鐘(TIME BELL)」

タイムベル(時鐘)はかつては全ての船が、時を告げるために鳴らしていたもの。
鳴らし方も万国共通であったようだ。
私の“座右の書”である、英国の海洋小説「ホーンブロワーシリーズ」にも
霧の中、英国の軍艦一隻が、いつの間にかフランス艦隊の真っただ中にいることに
気づくシーンを、あちこちからこの時鐘の音が聞こえて来た事で表す印象的な
場面があった。
軍艦の出てくる映画などで「カンカン、カンカン」と2連打区切りで鐘の音が鳴る
シーンを覚えている方もいるだろう。


いまでも帆船では、このタイムベルを鳴らして、時を告げる。
1点鐘は0時30分、2点鐘は1時、3点鐘は1時30分…と30分ごとに鳴る数
が増えて、8点鐘(4時)まで増え続け、4時30分はまた1点鐘となる。
この4時間で当直交代となるわけです。
この8点鐘で大儀見さんを送ろうと発案したのが、I井さんなのです。

16:00(午後4時=8点鐘)
ベイサイドマリーナ本館2階「マリンサロン」のタイムベルが8点鐘を打ちます。
時鐘担当は「海星」の元スタッフで、グアムレースで亡くなった名ヨットマンの
お嬢さん。
     
     8点鐘を打つ瞬間のこの写真にだけ、何故かノイズが…霊が来ていたか

8点鐘を打って大儀見さんを送る集いのことを、I井さんが世界中の仲間に知らせ
たところ、海洋調査に使われている現在の「海星」(いまでもKAISEIという
名称)船上、大阪港、サンフランシスコ港など大儀見さんゆかりの場所で、
同じように8点鐘で大儀見さんを送る輪が出来たという。

「カンカン カンカン カンカン カンカン」

横浜、大阪、サンフランシスコ、メルボルン、世界各地で同じように追悼の
8点鐘の音が響いた。

前日6日(金)朝日新聞の夕刊に半5段の記事が載った。I井さんが仲間に輪を
広げる中に、かつて「海星」の記事を書いてくれた朝日の記者もいたのだ。


そして献杯。

     

そして、参加者から大儀見さんの想い出のスピーチが続く。
私も、トイレに行ってる間にご指名頂いたようですが、タイミングが悪かった。

大儀見さんに初めてお会いしたのは、シーボニアだった。1989年ころか。
木造の小型ヨット“SIRENA”を整備中の大儀見さんを、広報誌か社内報に出てもら
うためのインタビューで、尋ねたのだった。
インタビューをお願いする、見ず知らずの、しかも突然の私の電話に
「じゃあ、今度の週末ハーバーで船の整備をしているから、そこにおいで」
と私の憧れの人だった大儀見さんは、快諾してくれたのだ。

いろいろな話を聞いたが、一番印象に残っているのが「海の上は“アンチエスタ
ブリッシュメント”の世界なんだよ」という話。誰にでも平等に風が吹き、波が
襲う。社長も平社員も同じ、ベテランも若者にも同じに、分け隔てないということ
を何度も口に出して話していたこと。

その時、彼はまだ西武百貨店の重役をしていたので、まさにエスタブリッシュメント
そのものであった訳ですが、一人で小さなヨットを手入れする姿に感銘した覚えが
あります。

そして、ある事件でセイルトレーニング協会理事長を辞職し、ヨット界からも
お名前を聞くことがなくなっていました。噂によれば、不遇な日々を送って
いたと聞いていましたが、まさに人生もアンチエスタブリッシュメントの航海と
達観していたのではないか、と思えるのです。

大儀見さん、どうぞ、天国でも良い風で航海を続けてください。

トイレに行かなければ、こういうお話をしたと思います。でも、最近人前で
話すのが苦手になっている上に、涙もろく、今こうしてブログを書きながらも
涙腺がうるうるしていて、本当は、ご指名から免れて良かったと思っています。
誰も泣いてる人なんかいなかったもの。



夕闇がそこまで来ています。セイルトレーニングの仲間の方が、最後の締めの
ご挨拶をしている最中に、僕らは失礼しました。

そして、大儀見さんの思い出話をするため、
MT氏、Oさん、M橋編集長、私の4人で、野毛の「秀吉」へ。

     


鳥鍋、イカわたの醤油漬け、牛筋のメンタイ煮、骨せんべいは今日はヒラメ。
そして、献杯、に次ぐ献杯。
横浜では、少し抑えて飲んだため、MT氏と大船の駅中でワインで更に献杯。

無事にそれでも、鎌倉で降りて、しっかり家に帰りました。
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2 コメント

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大儀見さん (村上由美)
2009-11-12 05:26:21
I井さんがこのブログを紹介してくださったので、拝見しました。出席してくださって有難うございます。
遠い昔にシレナのクルーをしていました。シレナの他のクルーは来ていなかったのかもしれませんね。今回は日本を留守にして残念ながら欠席しました。大儀見さんは怖い、個性の強いオーナー兼スキッパーでいらして彼から多くの事を学びました。ヨットで少しながらも1人立ち出来るようになったのも、今もヨットに乗り続けていられるのも、大儀見さんのおかげです。私が日本に不在の15年間に色々とあったらしいようですが、私には日本に帰ってからもいつもの大儀見さんでした。私の家庭の事情でこの数年ご無沙汰していたのですが、いつもいつも気になっておりながらそのままに・・。シレナのクルーとしてスキッパーの大儀見さんの会に来てくださった事を感謝します。ありがとうございました。感謝です。
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re.コメント (dreampic)
2009-11-13 01:01:08
コメントありがとうございました。
シレナのクルーだったのですか…大儀見さんはさぞ、怖いスキッパーだったのでしょうね。
今こそ、そういう怖いスキッパーが必要な時代になっているのでは、と思ってしまいます。
大儀見さんから直接、船上で薫陶を受けたわけでもないのに、とても大きな影響を受けた気がしています。大儀見さんは、これからもずっと忘れられない方として心に刻んで行く方です。
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