7日15:00から横浜ベイサイドマリーナで「故大儀見薫さんを送る会」が
開かれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e2/3bcaf6d3bc864c7b6c927cb3605083b4.jpg)
会の主催者は、マヤの来日20周年パーティの時に、それこそ20年ぶりに再会
した、元セールトレーニング協会のI井さん。
もちろんその時には、大儀見さんを送る会が開かれようなどとは、これっぽっちも
思っちゃあいなかった。
会場に入るなり、I井さん曰く「このために、あの時再会したようですね」。
まさにそのとおりですねと新杉田駅で合流したMT氏とI井さんにご挨拶。
もしも、あの時お会いしてなかったら、こうしてベイサイドマリーナには来ていな
かったでしょう。
献杯用の飲み物は各自買って、持ち込んでくださいというシステムなので、
会場の下のマリンショップでビールを購入。
受付で記帳、会場のサロン入り口で、白いカーネーションをもらい、遺影に献花。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/11/4ab2e4fce8a0e7a828d9408f186ee62d.jpg)
サロンのベランダに先に来ていたOさんがいた。ヨッティングの編集長のM橋さん
も会場にいた。
さっそくベランダでビールを開ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/cb/195edc776d051882448d012680f0360a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/87/beb727d5226652990ed2c48e9dc343e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a5/2bc80072524ea4015b71d7bf6dd7805d.jpg)
15:30 I井さんのキーノート(基調)スピーチが始まる。
故大儀見さんの歩んできた道を、I井さんが、そのソフトな声と独特の柔和な口調で
紹介してゆく、ヨット界の重鎮であり日本のヨット、特に外洋ヨットと外洋レース
の普及啓蒙活動に尽力してきたこと、87年にメルボルン~大阪ダブルハンドレース
を企画して、出場し、優勝したこと。帆船を使った青少年の育成・教育の場として
日本セイルトレーニング協会を創設し、ポーランドグダニスク造船所建造の帆船
「海星」を購入し、日本のセイルトレーニング活動の始祖となったこと。
その志や、かつて受けた薫陶、人となりなど。
また、とおく海外から寄せられたメッセージの紹介も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/c4/c4595f1f02c4dd179eed3c4df9df4757.jpg)
文字通り、立錐の余地もなく集まった人々は、水を打ったように聞入る。
ある人は、深くうなずき、ある人は固く目を閉じ…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fe/fd0f88f8128ca55d6f5c04649229cce1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/20/f278e9727f6a6f87f4fc4a289851598f.jpg)
ワイキキヨットクラブのペナントとダーツの的の間にあるのが「時鐘(TIME BELL)」
タイムベル(時鐘)はかつては全ての船が、時を告げるために鳴らしていたもの。
鳴らし方も万国共通であったようだ。
私の“座右の書”である、英国の海洋小説「ホーンブロワーシリーズ」にも
霧の中、英国の軍艦一隻が、いつの間にかフランス艦隊の真っただ中にいることに
気づくシーンを、あちこちからこの時鐘の音が聞こえて来た事で表す印象的な
場面があった。
軍艦の出てくる映画などで「カンカン、カンカン」と2連打区切りで鐘の音が鳴る
シーンを覚えている方もいるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/2d/48d576cbc8c8f1aac5edf5439e113f1a.jpg)
いまでも帆船では、このタイムベルを鳴らして、時を告げる。
1点鐘は0時30分、2点鐘は1時、3点鐘は1時30分…と30分ごとに鳴る数
が増えて、8点鐘(4時)まで増え続け、4時30分はまた1点鐘となる。
この4時間で当直交代となるわけです。
この8点鐘で大儀見さんを送ろうと発案したのが、I井さんなのです。
16:00(午後4時=8点鐘)
ベイサイドマリーナ本館2階「マリンサロン」のタイムベルが8点鐘を打ちます。
時鐘担当は「海星」の元スタッフで、グアムレースで亡くなった名ヨットマンの
お嬢さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/dd/aede5a94b4c34bac382d70eca44488c4.jpg)
8点鐘を打つ瞬間のこの写真にだけ、何故かノイズが…霊が来ていたか
8点鐘を打って大儀見さんを送る集いのことを、I井さんが世界中の仲間に知らせ
たところ、海洋調査に使われている現在の「海星」(いまでもKAISEIという
名称)船上、大阪港、サンフランシスコ港など大儀見さんゆかりの場所で、
同じように8点鐘で大儀見さんを送る輪が出来たという。
「カンカン カンカン カンカン カンカン」
横浜、大阪、サンフランシスコ、メルボルン、世界各地で同じように追悼の
8点鐘の音が響いた。
前日6日(金)朝日新聞の夕刊に半5段の記事が載った。I井さんが仲間に輪を
広げる中に、かつて「海星」の記事を書いてくれた朝日の記者もいたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/53/6cb4cea779ecadec949e55b449b9e163.jpg)
そして献杯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/25/14ba888849f425c2f7e945f1eb4d6c03.jpg)
そして、参加者から大儀見さんの想い出のスピーチが続く。
私も、トイレに行ってる間にご指名頂いたようですが、タイミングが悪かった。
大儀見さんに初めてお会いしたのは、シーボニアだった。1989年ころか。
木造の小型ヨット“SIRENA”を整備中の大儀見さんを、広報誌か社内報に出てもら
うためのインタビューで、尋ねたのだった。
インタビューをお願いする、見ず知らずの、しかも突然の私の電話に
「じゃあ、今度の週末ハーバーで船の整備をしているから、そこにおいで」
と私の憧れの人だった大儀見さんは、快諾してくれたのだ。
いろいろな話を聞いたが、一番印象に残っているのが「海の上は“アンチエスタ
ブリッシュメント”の世界なんだよ」という話。誰にでも平等に風が吹き、波が
襲う。社長も平社員も同じ、ベテランも若者にも同じに、分け隔てないということ
を何度も口に出して話していたこと。
その時、彼はまだ西武百貨店の重役をしていたので、まさにエスタブリッシュメント
そのものであった訳ですが、一人で小さなヨットを手入れする姿に感銘した覚えが
あります。
そして、ある事件でセイルトレーニング協会理事長を辞職し、ヨット界からも
お名前を聞くことがなくなっていました。噂によれば、不遇な日々を送って
いたと聞いていましたが、まさに人生もアンチエスタブリッシュメントの航海と
達観していたのではないか、と思えるのです。
大儀見さん、どうぞ、天国でも良い風で航海を続けてください。
トイレに行かなければ、こういうお話をしたと思います。でも、最近人前で
話すのが苦手になっている上に、涙もろく、今こうしてブログを書きながらも
涙腺がうるうるしていて、本当は、ご指名から免れて良かったと思っています。
誰も泣いてる人なんかいなかったもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/af/ca117dc24147d3225e25c3365aef8460.jpg)
夕闇がそこまで来ています。セイルトレーニングの仲間の方が、最後の締めの
ご挨拶をしている最中に、僕らは失礼しました。
そして、大儀見さんの思い出話をするため、
MT氏、Oさん、M橋編集長、私の4人で、野毛の「秀吉」へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/65/55f29be1c9e63231b1d76c2b3ec650b5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/1e/da34856e5d515f68b7ebf02be1879c84.jpg)
鳥鍋、イカわたの醤油漬け、牛筋のメンタイ煮、骨せんべいは今日はヒラメ。
そして、献杯、に次ぐ献杯。
横浜では、少し抑えて飲んだため、MT氏と大船の駅中でワインで更に献杯。
無事にそれでも、鎌倉で降りて、しっかり家に帰りました。
開かれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e2/3bcaf6d3bc864c7b6c927cb3605083b4.jpg)
会の主催者は、マヤの来日20周年パーティの時に、それこそ20年ぶりに再会
した、元セールトレーニング協会のI井さん。
もちろんその時には、大儀見さんを送る会が開かれようなどとは、これっぽっちも
思っちゃあいなかった。
会場に入るなり、I井さん曰く「このために、あの時再会したようですね」。
まさにそのとおりですねと新杉田駅で合流したMT氏とI井さんにご挨拶。
もしも、あの時お会いしてなかったら、こうしてベイサイドマリーナには来ていな
かったでしょう。
献杯用の飲み物は各自買って、持ち込んでくださいというシステムなので、
会場の下のマリンショップでビールを購入。
受付で記帳、会場のサロン入り口で、白いカーネーションをもらい、遺影に献花。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/11/4ab2e4fce8a0e7a828d9408f186ee62d.jpg)
サロンのベランダに先に来ていたOさんがいた。ヨッティングの編集長のM橋さん
も会場にいた。
さっそくベランダでビールを開ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/cb/195edc776d051882448d012680f0360a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/87/beb727d5226652990ed2c48e9dc343e6.jpg)
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15:30 I井さんのキーノート(基調)スピーチが始まる。
故大儀見さんの歩んできた道を、I井さんが、そのソフトな声と独特の柔和な口調で
紹介してゆく、ヨット界の重鎮であり日本のヨット、特に外洋ヨットと外洋レース
の普及啓蒙活動に尽力してきたこと、87年にメルボルン~大阪ダブルハンドレース
を企画して、出場し、優勝したこと。帆船を使った青少年の育成・教育の場として
日本セイルトレーニング協会を創設し、ポーランドグダニスク造船所建造の帆船
「海星」を購入し、日本のセイルトレーニング活動の始祖となったこと。
その志や、かつて受けた薫陶、人となりなど。
また、とおく海外から寄せられたメッセージの紹介も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/c4/c4595f1f02c4dd179eed3c4df9df4757.jpg)
文字通り、立錐の余地もなく集まった人々は、水を打ったように聞入る。
ある人は、深くうなずき、ある人は固く目を閉じ…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fe/fd0f88f8128ca55d6f5c04649229cce1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/20/f278e9727f6a6f87f4fc4a289851598f.jpg)
ワイキキヨットクラブのペナントとダーツの的の間にあるのが「時鐘(TIME BELL)」
タイムベル(時鐘)はかつては全ての船が、時を告げるために鳴らしていたもの。
鳴らし方も万国共通であったようだ。
私の“座右の書”である、英国の海洋小説「ホーンブロワーシリーズ」にも
霧の中、英国の軍艦一隻が、いつの間にかフランス艦隊の真っただ中にいることに
気づくシーンを、あちこちからこの時鐘の音が聞こえて来た事で表す印象的な
場面があった。
軍艦の出てくる映画などで「カンカン、カンカン」と2連打区切りで鐘の音が鳴る
シーンを覚えている方もいるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/2d/48d576cbc8c8f1aac5edf5439e113f1a.jpg)
いまでも帆船では、このタイムベルを鳴らして、時を告げる。
1点鐘は0時30分、2点鐘は1時、3点鐘は1時30分…と30分ごとに鳴る数
が増えて、8点鐘(4時)まで増え続け、4時30分はまた1点鐘となる。
この4時間で当直交代となるわけです。
この8点鐘で大儀見さんを送ろうと発案したのが、I井さんなのです。
16:00(午後4時=8点鐘)
ベイサイドマリーナ本館2階「マリンサロン」のタイムベルが8点鐘を打ちます。
時鐘担当は「海星」の元スタッフで、グアムレースで亡くなった名ヨットマンの
お嬢さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/dd/aede5a94b4c34bac382d70eca44488c4.jpg)
8点鐘を打つ瞬間のこの写真にだけ、何故かノイズが…霊が来ていたか
8点鐘を打って大儀見さんを送る集いのことを、I井さんが世界中の仲間に知らせ
たところ、海洋調査に使われている現在の「海星」(いまでもKAISEIという
名称)船上、大阪港、サンフランシスコ港など大儀見さんゆかりの場所で、
同じように8点鐘で大儀見さんを送る輪が出来たという。
「カンカン カンカン カンカン カンカン」
横浜、大阪、サンフランシスコ、メルボルン、世界各地で同じように追悼の
8点鐘の音が響いた。
前日6日(金)朝日新聞の夕刊に半5段の記事が載った。I井さんが仲間に輪を
広げる中に、かつて「海星」の記事を書いてくれた朝日の記者もいたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/53/6cb4cea779ecadec949e55b449b9e163.jpg)
そして献杯。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/25/14ba888849f425c2f7e945f1eb4d6c03.jpg)
そして、参加者から大儀見さんの想い出のスピーチが続く。
私も、トイレに行ってる間にご指名頂いたようですが、タイミングが悪かった。
大儀見さんに初めてお会いしたのは、シーボニアだった。1989年ころか。
木造の小型ヨット“SIRENA”を整備中の大儀見さんを、広報誌か社内報に出てもら
うためのインタビューで、尋ねたのだった。
インタビューをお願いする、見ず知らずの、しかも突然の私の電話に
「じゃあ、今度の週末ハーバーで船の整備をしているから、そこにおいで」
と私の憧れの人だった大儀見さんは、快諾してくれたのだ。
いろいろな話を聞いたが、一番印象に残っているのが「海の上は“アンチエスタ
ブリッシュメント”の世界なんだよ」という話。誰にでも平等に風が吹き、波が
襲う。社長も平社員も同じ、ベテランも若者にも同じに、分け隔てないということ
を何度も口に出して話していたこと。
その時、彼はまだ西武百貨店の重役をしていたので、まさにエスタブリッシュメント
そのものであった訳ですが、一人で小さなヨットを手入れする姿に感銘した覚えが
あります。
そして、ある事件でセイルトレーニング協会理事長を辞職し、ヨット界からも
お名前を聞くことがなくなっていました。噂によれば、不遇な日々を送って
いたと聞いていましたが、まさに人生もアンチエスタブリッシュメントの航海と
達観していたのではないか、と思えるのです。
大儀見さん、どうぞ、天国でも良い風で航海を続けてください。
トイレに行かなければ、こういうお話をしたと思います。でも、最近人前で
話すのが苦手になっている上に、涙もろく、今こうしてブログを書きながらも
涙腺がうるうるしていて、本当は、ご指名から免れて良かったと思っています。
誰も泣いてる人なんかいなかったもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/af/ca117dc24147d3225e25c3365aef8460.jpg)
夕闇がそこまで来ています。セイルトレーニングの仲間の方が、最後の締めの
ご挨拶をしている最中に、僕らは失礼しました。
そして、大儀見さんの思い出話をするため、
MT氏、Oさん、M橋編集長、私の4人で、野毛の「秀吉」へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/65/55f29be1c9e63231b1d76c2b3ec650b5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/1e/da34856e5d515f68b7ebf02be1879c84.jpg)
鳥鍋、イカわたの醤油漬け、牛筋のメンタイ煮、骨せんべいは今日はヒラメ。
そして、献杯、に次ぐ献杯。
横浜では、少し抑えて飲んだため、MT氏と大船の駅中でワインで更に献杯。
無事にそれでも、鎌倉で降りて、しっかり家に帰りました。
遠い昔にシレナのクルーをしていました。シレナの他のクルーは来ていなかったのかもしれませんね。今回は日本を留守にして残念ながら欠席しました。大儀見さんは怖い、個性の強いオーナー兼スキッパーでいらして彼から多くの事を学びました。ヨットで少しながらも1人立ち出来るようになったのも、今もヨットに乗り続けていられるのも、大儀見さんのおかげです。私が日本に不在の15年間に色々とあったらしいようですが、私には日本に帰ってからもいつもの大儀見さんでした。私の家庭の事情でこの数年ご無沙汰していたのですが、いつもいつも気になっておりながらそのままに・・。シレナのクルーとしてスキッパーの大儀見さんの会に来てくださった事を感謝します。ありがとうございました。感謝です。
シレナのクルーだったのですか…大儀見さんはさぞ、怖いスキッパーだったのでしょうね。
今こそ、そういう怖いスキッパーが必要な時代になっているのでは、と思ってしまいます。
大儀見さんから直接、船上で薫陶を受けたわけでもないのに、とても大きな影響を受けた気がしています。大儀見さんは、これからもずっと忘れられない方として心に刻んで行く方です。