パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

激動の一週間

2008-10-11 21:26:25 | Weblog
 「激動の一週間」の締めくくりが三浦和義の自殺とは!

 本当に,まったく夢にも思わなかった展開だ。

 誰か、三浦元社長の履歴経歴を徹底的に調べあげてノンフィクションを一本ものにしてくれないかなあ…とか思う人も多いと思うが,彼は果たしてモンスターなんだろうか? 根っからの犯罪者、反社会的人格の持ち主、「24」のバウアーのお父さんみたいな…ちょっと見過ぎか。

 正直言ってあんまりモンスターという印象はなかったのだが,今回の自殺でちょっと変わった。三浦和義は、根っからの犯罪者で、世間を欺いて一生を終えることができれば万々歳、それが危なくなったら自殺するか、そのどちらかだと若い頃からずっと決めていたのではないか。

 ところで、「夢にも思わなかった」という、その夢を久しぶりに見た。

 このところ、不眠状態が激しくて、夢を見るほど寝た記憶がないのだが、昨日、髪の毛をカットした夢を見た。

 夢で自分を見たのははじめてだ。本当に私に似ているかどうかよくわからないのだが、「自分」という意識はあった。その髪の毛を切った私を見て私は、まあまあ、これでいいかな、と思ったのだったが、なんでこんな夢を見たかというと、「タモリ倶楽部」の安斎が長髪をバッサリ切って出てきたのだ。

 彼は,定期的に短髪にしていたように思うが、以前の短髪は忘れてしまったので、はじめて見たようなものなのだが、案外よかった。すっきりしている。

 彼は、いわゆる五分刈りにしていた。実は私も一度五分刈りに近いくらいまで、自分でカットしたことがある。やるつもりはなかったのだが、右を刈りすぎたの左を、左を刈りすぎたと思って右を…の繰り返しで、最後、エイってやってしまったのだ。

 ちょうど夏で,随時、水道の蛇口に頭を突っ込んで水をかぶることができるのは、実に気持ちよかったが、はっきり言って似合うとはあんまり思えなかったので一度きりで終った。

 夢の中の私は五分刈りではなく、ごく普通の長さにしていた。五分刈りにしていた時のことを思い出して、夢でもそれは避けたのだろう。

 「プリズンブレイク」なんかを見ると、囚人はみんな五分刈りにしている。もしかしたら、三浦元社長は、それが嫌で自殺したのかもしれない。なんちゃって。でも、彼はお洒落だから、それもアリかも。

人間だもの

2008-10-10 22:25:45 | Weblog
 ブックオフで、「日銀は誰のものか」を百円で購入。

 著者は中原伸之。志水、福井の両総裁の元で理事を勤めていた人で、量的緩和を積極的に推進した人だ。

 量的緩和というのは、よく知らないのだが、たしか銀行が大量に買い込んでいる日本国債を日銀が買い入れるという政策だったと思う。ということは、銀行に金が流れるということで、これが「量的緩和政策」だ。

 この中原氏の姿勢は当初孤立無援だったが、やがて支持者が増え、というか、背に腹は変えられぬということか、ともかく中原氏の提言は福井氏の総裁就任後認められ、日本経済は長期低迷を抜け出ることガできたと評価されている。

 「日銀は誰のものか」は読み始めたばかりなのだが、二ケ所ほど印象的だったところをあげると、「マスコミは日本経済崩壊とか言って人々の不安を煽るけれど、経済というのはそもそも、人々の暮らしそのものなわけだから、人々が生活するのをやめない限り、崩壊するわけがないんです」というくだり。

 なるほど、そうだ。というか、私も以前からそう思っていた。

 マスコミは、崩壊崩壊というけれど、いったい何をもって崩壊と言うのか。身長170センチの人の身長が0センチになるわけはない。

 って、変なたとえだが、まあそういうわけだ。

 もうひとつは、日銀理事をやめてから、欧米の記者たちがインタビューにやってきて、「日銀は外国の著名な経済学者の意見をなかなか聞こうとしなかったのは何故か?」「中原さんは量的緩和を主張したが、何故採用が遅くなったのか?」と聞いてくる。

 これに中原氏は、「日本ではすべてが必然的に起こるのです。ですから、私は一切説得はしませんでした」と答えたところ、欧米の記者氏は興味津々といった表情で私の言葉を聞いていた、というのだ。

 「24」なんか見ると、説得されるか、説得するかのドラマだから、「説得はしません」「やるべきことは必然的に決まるのです」という中原氏の言葉は、欧米人にはいかにも不思議に、あるいは神秘的にすら聞こえただろう。

 しかも、その日本が、ポリネシアの小さな島か何かだったらいざ知らず、依然としてアメリカに次ぐ、経済大国だものなあ。アメリカをスペシャルと考えれば、世界一だ。その国の決定システムが、説得ではない、というのだから、不思議に思うだろう。

 もちろん、中原氏の言っていることは、「満場一致システム」を哲学的に言い換えただけなのだけれど、理屈をいくら言っても駄目だが、では理屈を言わないのがいいかというと、そうでもなくって、「説得はしない」という中原氏だって、持論を伏せて言わなかったというわけではないだろう。むしろ積極的にあちこちで発表したが、それで「説得」しようとしなかったということで、実際は、「持論」をじわじわと「空気」にまで仕上げていったわけだ。

 この日本式決定システムは、現今の欧米の金融危機を見ると、もしかしたら悪くないやり方なのかもしれないとか思ったりする。「24」なんか見てると、いかにもリーダーシップが水際立っているが、成功すればかっこいいが、失敗も多いだろうと思う。

 しかし、総じて言えば、理屈を戦わせて結論を得るという方法が王道だと思うし、そうなるべきだとは思う。

 「24」で言うと、今回、大統領主席補佐官を勤めた、ちょっとおたくっぽいぽちゃぽちゃした白人の小男の言動が一番現実的だと思った。

 盗聴をしている男女がセックスを始めて、「長いな、いつ終るんだ……」とか、実に現実的な感想で……いや、これは関係なかった。

 緒形拳って誰かに似ていると思っていたら、あれだ。「人間だもの」の相田みつお先生。

 顔は知らないので似ているかどうかわからないが、人間として、似てそう。

緒形拳の訃報で思い出したこと

2008-10-08 20:08:30 | Weblog
 緒形拳が亡くなった。肝ガンだそうで、でも、どこも肝臓ガンと書いてないのは何故か。肝ガンと肝臓ガンはちがうのだろうか。

 それはどうでもいいが、ここ五、六年、緒形は見るたび、はっきり言って……外見が汚くなっていた。ホームレスみたいだ、と思った人は少なくないと思うのだけれど……。

 病気かな、ガンかなとは少し思っていたのだけれど、目がらんらんと輝いている……いや、「輝いている」というのとはちがう。そんなにいいものではない。イヤーな感じの視線だ。

 はっきり言って、私、緒形拳て、あんまり好きじゃなかったです。

 ガンにおかされ、それが「外見」に現れていたにもかかわらず、「役者魂」のようなものでそれを覆い隠し、だれにもわからなかったというのは、「役者」としてすごいのかも知れないが、なんか、ちょっとちがうのではないかという感じがしないでもない。あんなに肩肘はって演技することもないじゃないかと。正直言って、緒形直人のほうが好きだ。

 代表作と言えば、やっぱり「復習するは……」じゃない、「復讐するは我にあり」だろう。あれは私も好きだけど、テレビでその一場面を流していたのを見たら、カラーだった。あれ? 白黒映画だとばかり思っていた。

 監督の今村昌平も、あんまり、というかまったく好きじゃないのだが、それは要するに、作品のイメージが原寸大でしかないのだ。カラーで撮っても、白黒としてしか覚えていないということはそういうことなんだろう。

 緒方拳の出演映画で一番好きなのは、石井隆監督の「GONIN」シリーズのうちの一作だ。たぶん、「2」あたりじゃなかったかと思うが、町工場の経営者で、借金絡みか何かで愛妻(多岐川裕美)をやくざに殺され、日本刀を引っさげてやくざの親分の家に乗り込んでぶった切っちゃう。すごい迫力だった。

 でも、この映画で一番好きだったのは、「カメラ」だった。特に町工場の中の風景なんか、なぜだかわからないが、とても好きだった。今見ても同じ感想を持てるかどうかはわからないが、今村なんかより、石井隆のほうがはるかに映画作家として上だと思うが……。

 でも「エジソンは偉い人」と同じのりで、「今村昌平は偉い人」と決まっちゃってる。

 緒形拳も、同様の位置にいるが、ただ「最高」といってりゃわけじゃないだろう、と言っても無駄だなあ。空しいぞ。

 実は、緒形拳というと、どうしても思い出してしまうのが、猿の真似が得意で、映画のストーリーを一人で語ることで名をうった芸人……なんていったかなあ……彼もガンで若くして死んでしまったが、彼を思い出してしまう。

 一言で言うと、貧相なんだ。

 貧相つながりで言うと、サッカーのガンバの監督、西野某も貧相だなあと髭そりのコマーシャルポスターを見るたび思ってしまう。ハンサムなのかなあ……? 死んだアイルトン・セナも、世間ではハンサムといわれてるみたいだが「貧相」な部類に入るんじゃないかあ。

 でも、「貧相男」が、必ずしも女にもてないとはいえない。代表的なのがフランク・シナトラだ。概してチビの猿顔男はもてるらしい。99の岡村とか……。じゃあ「嵐」の二宮は? 

 と、まあ勝手なことを言ってますが、一昨日の「24」で、核スーツ爆弾を爆発させようとした犯人は、最後にバウアーと格闘になって工場クレーンの鎖に首を巻かれて死んでしまったが、これを見ていて思い出した。

 ほんの二、三ヶ月前だと思うが、携帯で呼び出された息子が、指定された自宅を兼ねる工場に行くと、父親がクレーンに無惨に釣り下げられていたという映画もどき(自宅を兼ねている工場が殺人現場になるという設定は、映画「GONIN2」そのままだ)の事件だ。あれはどうなっちゃったんだ。あれも、迷宮入りか? 

まさか…

2008-10-04 22:23:51 | Weblog
 バウアーの父親が…というのは嘘。グラハムが頑強に口を割らないでいるとき、「なぜ、ここまで頑張らなければならないんだ?」くらいの台詞は、前振りとして、あってもよかった。

 それにしても、ここまではやらないだろうと思うようなストーリー展開を実際にやっちゃうのがすごいなーと思う。

 野坂昭如が、週刊誌の連載エッセイを書く際のコツとして、ネタを出し惜しみするな、出し惜しみしなければ,次の回のネタも自ずと出てくる、といったようなことを書いていたが、「24」の脚本家たちもそんな心理なのかな?

 それにしても、日本のドラマのつまらなさよ!…って、私は、日本のテレビドラマというものをほとんど見たことがないのだけれど。(NHKの銀河ドラマシリーズというのを見たことはある。緒形拳の息子のデビュー作となったものとか、結構面白かった)

 2,3日前、浅草キッドの「社会工場見学」という深夜番組がある。めっきり見たい番組がなくなってしまって、わずかに、この「社会見学」か、テレビ東京の「もやサマ」を残すのみなのだが、この「工場見学」シリーズでドラマ制作の現場リポートというのをやったのだが、これが面白かった…というかなんというか。

 ドラマ制作をもの作りの現場に見立てたところが、まず着眼点としてよかったと思うのだが、1時間ものドラマ一本作るのに、企画段階を含めれば、半年はたっぷりかかるらしい。自家用自動車が1日に何千台も作られるというのになんという非効率。

 もちろん、それはしょうがないことなのだが、驚いたのは浅草キッドの二人の現場スタッフに対する低姿勢ぶり。

 監督,カメラマンらの主要スタッフに対して、まさに平身低頭で、カメラマンがかつてウルトラマンシリーズをとっていたことがわかるや、まさに「あなたは私の神様ですよ」と、おだてあげる。

 浅草キッドの二人だけでなく、これまで一度も顔を見せたことのない番組プロデューサーが彼らにつきっきりで、「このたび、これこれこのような企画を立てまして、浅草キッドの二人を連れてきたのでよろしくお願いします」と、両手をもみしだきながら挨拶し,後ろから二人がおそるおそる現れるという念の入りよう。

 もちろん、半分は演出,演技なのだろうが、半分は、おだて上げないと番組制作に協力してくれないような、傲慢な雰囲気が現場にあるのだろうと思った。

 他の「工場」では、こんなことは絶対にない。

 「こちとら、菓子を作ってるんじゃないやい」と言うだろうが、だからこそ、スタッフの自由な精神が結集しないといいドラマなんて作れないだろう。

 そんな「自由な精神」など、かけらもない。ただ上意下達あるのみ。そんなんで、「面白いドラマ」なんて作れるはずがないだろう。

 そのくせして、反体制を気取っている。

 私はかつて映画志望だったのだが、もし、こんなところに就職したところで、1分もいられなかったであろうと思った。

またはじまった…

2008-10-02 21:42:04 | Weblog
 「24」。

 どういう放送形態になっているのかよくわからず、途中を抜かしたりしてしまうが、今回も、いきなり小型核爆弾の爆発から始まった。

 しかし、実際にドラマの中で核爆弾が爆発するのは、キューブリックの「博士の異常な愛情」以外では、はじめて見たような気がする。そんなことはないかな?

 放映を見た翌日、ニュースで、今、もっとも数多く戦術核爆弾(いわゆるスーツケース爆弾)をもっているのは旧ソ連のロシアだと知ったが、物語でも旧ソ連製のスーツケース核爆弾をテロリストグループが手に入れて云々となっていた。まあ、当たり前の設定と言えばそうなんだが。

 いずれにせよ、見ていて、今後,世界のどこかで戦術核爆弾が爆発する可能性は極めて高いように思ってしまった。少なくとも,アメリカを始めとする主要国の中枢部では百パーセントあるという前提を共有していて,「24」のシナリオライターはそれを知っているのではないか、とか。

 ドラマに入り込み過ぎ? まあそうかもしれないが、真の黒幕風が、バウアーの弟だったり、バウアーの父親が核爆発に関与していたりという、普通だったら、「おいおいあり得ない話だろ」と思うようなストーリーが、案外好きなのだ。

 その「あり得なさ」に、逆にリアリティを感じてしまうのだ。

 なんて言うと、陰謀史観になってしまうのだが…。