パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

私、日本人ですが

2008-01-03 20:26:09 | Weblog
 誰もいない事務所に来てパソコンを立ち上げたら、いつもと違う丸い地球のアイコンが出てきて、これは、毎年お正月の恒例なのだが、そのまま点滅して進まなくなった。あれ? ヤバいと思っているうちに、?マークに変わって点滅し始めた。これは、起動ソフトが見当たりませんという警告で、HDがダメになる前兆とかで、ともかくヤバい。対処方法は、OSを入れ直すしかないのだが、一応、外付けのハードディスクに必要なものはコピー保存してあるはずなので、いざとなったら、本体を買い直せばいいと考えた。MacのG4、最近は5,6千円で売ってたりするのだ。
 しかし、システムソフトの入れ替えとか面倒くさいことは確かだが、いろいろ考えているうち、ふと画面を見ると、いつの間にか?マークが消えて、ハッピーニューイヤー、謹賀新年の画面になっていた。

 新年早々ヒヤヒヤさせやがって、であるが、「年をまたいだ」ことが、何らかの形で影響したのだろうか。でもネットにつなぐ前に起きたことだから、そんなこともないのだろう。ということは、やはりメカのトラブルをどこかで抱えているのかもしれない。

 秋葉原のヨドバシカメラの前の歩道を歩いていると、ヨドバシカメラの警備員が、大きく手を左右に広げて、私の行く手を遮った。駐車場から車が出てきたので、交通整理をしているのだが、感じ悪いったら、ありゃしない。そうするように命じられているのだろうが、何も手を広げなくたっていいじゃないか。「でも、手を広げないと、皆さん、するりと渡ってしまわれるんですよ」とか言うかもしれない。たしかに、そうだろう。でも、てことは、要するに、あなた方、「交通整理」を担当してる方には悪いが、あなた方のしてることが不用だってことなのだ。それこそ、車の運転手,歩行者の「自己責任」なのだ(法的には運転手側に全責任があるのだろうが)。まさか、日本人に、それができないわけではあるまいに。

 もっとも「効率的」には、交通整理員がいたほうがいいのだろうとは思う。でも、歩道を歩いていて、いきなり行く手を拒まれる不快感に比べたら、少しくらいの混乱なんか、全然OKだぜ、と思うのだ。どうも、ここらへんの感覚は、私は、どうしても日本人と合わない。日本人なんだが。

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