パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

島尾敏雄=光源氏説

2007-04-02 21:28:12 | Weblog
 土曜日の千駄ヶ谷のフリーマーケットで『戦後主要作品全集』という、小説のアンソロジー本を50円で買った。椎名麟三、野間宏、花田清輝の三人が「編集委員」で、発行元は月曜書房という、たぶん、今はない出版社である。
 “戦後主要作品全集”とあるけれど、発刊は昭和24年。終戦後、わずか4年にしてもう、「戦後」として括り出そうとは、随分お先走った企画だなと思った。やっぱり日本人はせっかちなのか、それとも、人間の“時間意識”なんて、そもそもそんなものなのか。

 それはともかく、私が、“50円”とはいえ、お金を出して買おうと思ったのは、編集委員の一人に、今、ちょっとハマている花田清輝の名前があったことと、掲載されたメンバー、石川淳、武田泰淳、安部公房、島尾敏雄といった面々に興味があったからだ。

 それで、今回は、島尾敏雄の『出孤島記』を。

 実は、私は、島尾敏雄とは、向こうは全然知らないだろうが、縁がないではないのだ。しかし、作品はほとんど読んだことがない。『死の棘』を半分ほど読んだくらいで、この時は面白いと思ったが、途中で本をなくしてしまい、手に入れようと思えばいつでもどこでも手に入るのだが、腰折れ状態でそのままとなっている。
 あと、特攻ボートの隊長さんだった時の、いわゆる「特攻隊もの」は、いずれも最初の数頁を読んだだけで、正直いって、“かったるく”て、読むのをやめてしまっていた。

 『出孤島記』は、この特攻隊もののもっとも早い作品のようだが、読んでいて例のごとく「かったるくて」やめようかと思った。三日間、それまで毎日上空を爆音を響かせて通過していた米軍機は影も形もなく、日本軍の本部からの連絡もない。その顛末は、私を含め、読者はみなわかっている。「出発はついに」訪れないのだ。「かったるい」と思うのは当然だろう。

 そう思っていたのだが、今回はもう少し我慢してみようと思って読んでいるうち、「あれ?」と思った。

 隊長さんの「私」は、静かな三日間の最後の日の昼間、勝手に基地の外に出て行く。番兵が見張っているが、相手は「隊長」。ささげ銃で、「私」を見送る。
 その「私」がどこに行くのかというと、島の娘「N」のもとだ。(Nは、先日亡くなった島尾敏雄の奥さん、ミホさんのこと)

 《私はの中に迷いこんだ。
  ……
  私は生垣にはさまれたまひるのうちの道をぐるぐる歩いている。
  何か強いかほりの樹木のにほひが鼻をうつてくる。そのにほひは……もうNにつながっている。Nはまひるでも、深夜と同じように(それまで隊長は、深夜、何度もNのもとを訪れていたのだ―南原註)私を待っているに違いない。Nにとつての生活は、ただ待つていることだけなのであった。……》

 あれれれ……? どこかでみたような既視感が……。『源氏物語』?

 牽強付会が過ぎるかな? いや、そんなことはない、たぶん……。

 そもそも島尾隊長は、学徒出身将校(少尉)に過ぎないが、日本軍中央より命令を受けて南の島にやってきたのであって、その権威は、この島においては、古代律令制のそれに等しい。……なんて理屈を書くと、牽強付会の度が過ぎる。ここは、次のような場面を味わってもらった方がよいだろう。

  私は日の照る干潮時の浜辺を、背中を陽にこがして歩いた。屋敷はひっそりして、樹木ののびる時のむんむんするにほひに満ちていた。薔薇が乱れ咲き、虫どもがにぶい羽音をさせて蜜を気侭に散らして歩く。
  私は書院の縁のほうにまわる。そして沓脱石の上を見た。
  そしてそこにNの沓をのせていない合図で、屋敷うちに誰も邪魔するもののいないことを知るのであった。
  ……
  書院の座敷きの障子は開け放されてあった。
  座敷きの中に縁近く机が置かれ、その上におはじきが散らばって、書物が開かれたままになっていた。

 この後、島尾隊長は、屋敷の裏で黒砂糖を砕いて食べているスリップ姿のNを見つけ、しばし、「Nの生活をかいま見る=覗き見る」のだが、この辺の、Nの住居(なぜか、“書院”なんていかにも平安風の言葉を使っている。あと、“沓”とかも、単に「趣味」に止まらない意図的なものを感じるのだけれど……)と、その周辺のたたずまいの描写、島尾隊長の行動(覗き見る)など、いかにも源氏風なのだ。

 といったところで、時間がなくなったので……また。