パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

責任者、出てこい!

2007-04-04 16:03:57 | Weblog
 三春ビルの隣接ビル一階の書道教室に掲示されている作品が、数日前から、「身体の神秘」から、「責任を持つ」に変わった。

 偉いぞ、「6年・乃理子」ちゃん。着実に成長しているね。

 しつこいようだが、植木等は、「無責任ソング」のヒットでブレイクしたわけではない。

 元来、「無責任ソング」は流行歌の系譜としては、「東京音頭」、「お富さん」などに連なるもので、その特徴として、底抜けの悪魔的な虚無思想がある。そして、それに関わった歌手は、その後、流行歌手としての生命を断たれてしまう場合が多い。「お富さん」の春日八郎なんかは、その典型で、誰もが、春日八郎は「お富さん歌手」として終わったとみていた。春日八郎自身もそう思っていたところが、「別れの一本杉」でカムバックした。この時、関係者は口をそろえて「奇跡だ!」と驚いたそうだ。

 植木等も同じで、「無責任ソング」のヒットにも“拘わらず”、人気を持続できたと言うべきなのだ。
 何故か? それは、一つには、植木等の、「無責任男」にあるまじき、スキャンダル一つない超真面目な人柄がもたらした「人徳」のおかげかもしれない。だから、マスコミは、植木の死後、彼の「真面目さ」をしきりに強調しているのだ。

 マスコミの、この「健忘症的無責任体制」は、美空ひばりの例がもっとも顕著だ。
 今でこそ、美空ひばりを悪く言うマスコミは皆無だが、彼女のデビュー以来、朝日新聞、NHKを筆頭に、どんなに美空ひばりを叩いたか。もちろん、美空のほうにも暴力団との関わりとか、つけ込まれる隙がないではなかったが、それならそれで、「彼女には暴力団との関係という汚点があったから我々はそれを問題にして批判したのです」とはっきり言えばいいのに、朝日、NHKは、そういった自らの行為については口を拭って、世間に合わせて、美空ひばり万歳!ばかりだ。

 若い人は知らないだろうが、美空ひばりは、デビュー仕立ての6、7歳の頃から、「良識的マスコミ」による排撃運動を終始受けてきたのだ。彼らは、「なぜあんな子供らしさのまったくない、片輪じみた少女歌手を野放しにするのだ」と非難し続け(美空ひばりにそういうゲテモノじみたところがあることを私は否定しない)、美空の母親は、その新聞記事を切り抜いて娘の財布に入れ、「臥薪嘗胆」よろしく、それを毎日読みかえしては、歯を食いしばってがんばるんだと言って聞かせたという。
 その記事を書いたのは、詩人のサトーハチローだが、サトーは、やがて、レコード会社の依頼で美空ひばりのために歌詞を書いた。その時、ひばりは母親と抱き合って、「勝った!」と叫んだそうだが、さっき書いた暴力団がらみのバッシングは、またその後で、それについては、「勝った!」と勝ちどきをあげるような一瞬はなかったかもしれないが、今回もまた、「勝った」にはちがいない。

 でも、彼女自身がマスコミの中で生きているからには、「勝った!」と公に叫ぶわけにはいかない。何故なら、彼女が「勝った」と公に宣言することは、マスコミに「負け」を宣告することだが、マスコミは、仮にそんな事態になったとしても、それを封じ込めてしまうことができる。それどころか、あることないこと捏造して、「負け」を「勝ち」に変えることもできる。マスコミには、そういう「特権」がある。
 だからこそマスコミは、自らの責任について、常に自覚的でなければならないのだが、実際には、「特権」に胡座して、自らの責任については牛馬風を決め込むばかりだ。

 最近の例で言えば、例えば、「沖縄戦における住民の集団自決における日本軍の関与」を教科書記述から削った問題がある。

 詳しくは省くが、この文部省の決定に対し、ほとんどすべてのマスコミが、「命令」はなかったとしても、日本軍の存在がそれを強いたことはまちがいないと言って、教科書記述の変更を非難した。
 しかしそもそも、集団自決(自殺)を「玉砕」と形容して、軍民一体の自殺を後押ししたのはどこの誰だったか。マスコミ、具体的に言えば、朝日新聞じゃないか。

 当時、自殺攻撃の局面に追い込まれていた日本兵は、朝日新聞に「玉砕」という文字を発見して、大いに感激したという話を聞いたことがある。自分達の死が、故郷の人々に「玉砕」という「美しい言葉」で伝えられることを喜んだのだ。ということは、朝日新聞は、「玉砕」という言葉を編み出したことで集団自決を大いに煽ったのである。
 しかし、言葉=イメージの魔力に囚われてしまう弱点は人類共通のものだし、そもそも私は、月光文化3号に書いたように、「特攻攻撃」という自殺戦法を、太平洋戦争において、日本が唯一なし得た「戦略的行為」として、肯定しているのだが、一方で、「玉砕」という言葉によって、言葉が本来になうべき重要な何か(=思想)が決定的に失われたことも確かだ。そういう意味で、言葉の専門家である朝日新聞をはじめ、全マスコミは決定的に反省しなければならない。

 こんなに気張って書く積もりは全然なかったのだが……。

 最後に、英会話美人教師殺人事件について。

 彼女が、どこかの飲食店で個人レッスンを行ったあと、犯人と一緒に犯人の家に行ったことについて、「何故彼女は犯人の家にいったのか、その理由を解明することが事件の謎を解く鍵だ」みたいなことをテレビのモーニングショーなどで言っていたが、「何故、被害者が犯人の家に行ったのか」なんて、殺されることがわかっていたら、行くはずもない。そもそも、今回の事件のどこに「謎」があるのか。犯人が、今、大々的に報じられている男ではない可能性があるのだったら、話は別だが……。

 まあ、もし、今回の事件に「謎」があるとしたら、それは、警察官が9人もいて、なぜ取りのがしてしまったのかという事だろうな。

 責任者出てこい!