パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

引っ越しの合間にあれこれ

2006-07-08 21:30:40 | Weblog
 壁紙を2枚貼ったところで、急にカッターを紛失。大分探したのだが見つからないので、作業を中断、
ブログを更新することにした。

 王監督、胃癌手術へ。王監督ほどの有名人ならば、普通は医師が病状を説明したりすると思うのだが、なぜか誰も現れない。精密検査の結果待ちということなのだろうが……長島派ではなく、王派の私としては、不吉な予感に心が乱されてしまう。
 長島がお見舞いの電話を入れたら、「年相応だよ」と明るく返事をしたそうで、ちょっとホッとしたが、行きつけの飲み屋のおやじが、つい最近、王さんがボトルを2ヶ月分前払いしていってくれたが、今までになかったことだったので不思議に思ったが、報道で病気のことを知り、当分、お店に来れないという意味だったのだと気がついたと、涙をこらえて話していて、おいおい、ちょっと気が早いよ、と言いたいが、王派の私としては、おやじの気持ちはよくわかる。
 
 報道ステーションを見ていたら、みのもんたがゲストで現われ、びっくり。しかも、中国の北朝鮮に対する宥和的というか、甘々というか……な態度について、北朝鮮と中国の経済関係が近年深まっていることが背景にあるのではないかという、現地取材を交えた報道ステーションの推測を、「そんなことあるわけないでしょ」と一笑にふしていた。「特別扱いしなければならないほど、北朝鮮の市場は大きくないですよ」と。みのの言う通り(笑)。古館、ちょっとは反論しろよ。
 
 グレアム・グリーンの『第三の男』をパラパラと読む。んー、あんまりおもしろくない。翻訳のせいもあるかもしれない。たとえば、「雪がしとしと降っている」などと書いてある。雪は、普通、「しんしん」と降るのではないか。それとも、「しとしと」であるべき理由があるのだろうか。途中を端折って、最後の頁をめくったら、冒頭と同じ、墓場の場面で、二、三週間前の雪もすっかり溶けて云々と書いてあった。てことは、つまり、「雪」はストーリーが語られている間の重要な小道具として用いられているわけで、だとしたら、やっぱり「しんしん」と降ってくれないと雰囲気が出ない。

 同時進行で、『チャップリン自伝』を読む。これはおもしろい! 最初、古本屋で下巻(新潮文庫)を百円で買ったのだが、その時、上巻はないかと聞いたら、ないと言われた。ないから、安いのだといった感じ。中途半端だなと思い、迷いつつ、百円ならと買ったのだが、読みはじめたら実におもしろい。それで上巻も読んでみたいと思って本屋に行ったら、あることはあるのだが、かつて上下巻として出していたもののうち、上巻のみを二章ほどカットした上、『若き日のチャップリン』と副題を添えて、再度出したのだという。新潮社も随分変なことをするが、下巻を買っておいてよかった。