パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

錯覚、それとも……

2006-07-17 23:13:56 | Weblog
 ここのところ、アクセス数、伸び悩み。引っ越しのため、ギャラリーを壊したかと思うと、新規開設の内装工事だの、ISBN取得だの、おふくろの新盆だの、その他にもいろいろあって、気を入れて書いている暇がないせいか。正直なものである。

 一昨日、福田アナウンサーの司会のゴールデンタイムのバラエティクイズ番組で、「錯覚」をとりあげていた。「錯覚」とは、要するに、外界の客観的情報と、視覚を通して得られた情報が、脳が介入する結果、外界とはまったく別様なものになるということで、たとえば、人為的にゆがませた部屋の中に子供と大人を、適当な位置に立たせると、子供のほうが大人より大きく見えたりする。これは「エイムズの部屋」という有名な錯覚現象で、上原さくらが、「わー、面白い。わたし、こういうの好き」と叫んでいたが、本当に、にわかには信じ難いほどである。「エイムズの部屋」でググるといくらでも実例を見ることができるので、お暇な方は、ぜひ御覧下さい。

 ところで、さくらちゃん、「鏡に映った像」は錯覚でしょうか? 鏡に映った「花」を摘もうとしても、そこに「花」があるわけではないのだから、錯覚だ……と言えるでしょうか? あるいは、水に棒を突っ込むと、棒が曲がって見えるが、錯覚でしょうか?
 答。錯覚ではありません。なぜなら、鏡像や水の中で歪んで見える棒は、単純な光学的現象として説明できるもので、それを見る側の「脳」が創造(想像)して作ったものではないからですね。
 と、まあ、ここまで説明すると、もっとおもしろい番組になったのだが、まあ、「エイムズの部屋」を出しただけで良しとしよう。

 ところで、他の番組で、御盆の恒例、「芸人さん」のお化け話をやっていたが、今回のはちょっと怖かった。
 アパートに一人でいる時、玄関のチャイムが鳴った。普通は出ることなく、放っておくのだが(え? そうなの?)、しつこく鳴るので、出てみると、誰もいないが、瞬間、自分の脇を何かが通っていった感じがした。しかし、別に気にすることもなく、部屋に戻ると、窓のカーテンが、ちょうど「人の形」にふくらんでいる。この芸人さんは霊感が強く、除霊の為のお香をいつも持っているので、すぐにそれを炊いたら、そのふくらみはふっと消えた。そして、その晩、寝ていると、別れた女性の顔が自分に被い被さってきた……というもの。
 寝ている時に云々というのは、ちょっと蛇足の感がなきにしもあらずだったが、カーテンが人の形にふくらんでいるというのは、シンプルで、想像しやすいし、なかなか怖かった。

 怪談ではないが、芥川竜之介のお母さんだか、お祖母さんだかが若い頃(幕末)、日本各地に「お札」が舞い落ちるという事件が頻発したが、「どうせ誰かがいたずらで播いてるのよ」と言って、物干台に上がって、自分でお札を播いてみせたところ、その上から、本当にお札が落ちて来た、というもの。引っ越しの際の拾い読みの中で見つけたもので、「お話」の定番だが、芥川も、こういう「お話」を書いていれば、自殺せずにすんだかも知れない。

 ところで、こんなことを書いたのは、実はチャップリンが霊感が強く、その体験談をH・G・ウェルズに話したところ、「偶然だよ」とあしらわれてしまったと、自伝に書いているので、それを紹介しようと思って、その前振りのつもりだったのだが、もう遅い。新宿に帰らねば。明日にしよう。