パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

テクマルに期待

2006-02-06 23:47:19 | Weblog
 ムハンマドネタで結構閲覧数が伸びたみたいだが、ムハンマドはネタ切れなんで、また住友不動産ネタに戻ります。

 今日は再び富久町。途中、「天壇」というラーメン屋で昼食。柄谷行人の前の奥さんがママをしているスナック「クレッシェンド」(ンー、あまり正確に覚えていない。間違っていたら、後で訂正します)の隣りにあり、よく前を通るのだが、入ったことはなく、一度食べてみようと思っていたが、入ったら、広い厨房で、ちっちゃなお婆さんが一人、孤軍奮闘している。あちゃー、まずったかなと思ったが、出されたタンメン(ラーメン屋では身体のためを思って野菜の多いタンメンを頼むことにしている)に驚いた。植木鉢みたいなでっかく、重いドンブリをお婆さんがえっちらおっちらもってきた。しかも、ギリギリいっぱいつまっている。食べたら、案外うまい。今度また来よう。

 せっかく歩くんだからと、100円ショップで買ったステップカウンター(万歩計のこと。ただ「万歩計」はヤマサという開発メーカーの登録商標なので、他のメーカーは使えない)を腰につけ、出発進行。チラシ配付も5回目とあって、だんだんなれてきたみたいで、これまでの最多327軒配ることができた。疲れ具合も大分減った。
 そして、歩き回ること二時間余、事務所に戻ってメーターを見たら、なんとカウンターの数はわずか780。な、なんちゅー…。がっくし。780なんて、5、6分歩いたら簡単に達してしまう。所詮100円ショップか。
 改めて机をかきまわしたら、以前、フリマで買ったオムロンの万歩計(こちらは「テクマル」という)が出てきた。歩き方の癖でカウンターの数字が変わることを予測して、プラス/マイナスを調整することができるようになっているので、事務所の周囲を数を数えながら歩き回って調整した。さすがオムロン。
 明後日、このテクマルくんをお供に、再挑戦だ!

出口無し?

2006-02-05 11:02:08 | Weblog
 旧『月光』レズビアン特集のインタビュー、その他、リンクを張り直しました。興味のある方は、クリック、どうぞ。
『月光』インタビュー
Queer Japanの目次
レズビアン雑誌『カミーラ』編集長のインタビュー

 ところで、「デンマークのマスコミが掲載したイスラムの予言者、ムハンマド(マホメット)をテロリストに見立てた風刺マンガに対するイスラムの反発激化。事態収拾のメドたたず。」というニュースが世界を駆け巡っているが、それに関連して、ヨルダンの雑誌だか新聞の編集者が、「デンマークの国旗を焼いたり破いたり、大使館を焼き討ちしたりしている人々は、誰も問題のマンガをみていない」という理由で、「まずは、見てみようじゃないか」と問題のマンガを掲載して、たちまち首になってしまったという。もちろん、掲載誌も没収になったのだろうが、この報道を読んで、ちょっと笑ってしまった。後生、「ムハンマドのパラドックス」とかで語り伝えられるのだろうか、などと。しかし、これこそが「イスラム問題」の根っこにある問題を示しているとも言える。ヨルダンの編集者は、大変な勇気をもってそれを指摘したのだが、残念ながら時期早尚ということになってしまった。(そんなに「時間」はないと思うのだけれどね)

 たしかに、問題のマンガを見たことのあるイスラム人(変な言い方だな…つまり、イスラムを信仰している人々ということだ)は、指導階層にあるほんのひとにぎりだけで、一般大衆はまったく見ていない。しかし、これは大衆の知的怠慢というのではなくて、偶像(イメージ)崇拝の厳禁というイスラムの教義からきている。
 しかしよく考えると、予言者ムハンマドは、あくまでも神の仲介人であって、神(アラー)そのものではない。あくまでも「人間」なのだから、その「似姿(イメージ)」を描いたって何の問題もないはずだ。実際、イスラムの指導者層は、「人々の尊崇を集めている、民族の歴史的英雄を侮辱した」とか、「人々の尊敬を集めている宗教指導者を侮辱することの不適切さ」と論点を一般論にずらして抗議しているのだが、一般大衆は、ムハンマドへの侮辱=アラーへの侮辱と受け取っている。なぜなら、神の仲介人たり得る人間は、天地創造以後、神の直接支配で歴史が終わる終末にいたるまで、ムハンマドただ一人ということになっている(誰がきめたかというと、ムハンマド、その人なんだけど)から、実質上、ムハンマド=アラーってことになってしまう。
 これは、ムハンマドが教義を確立する際に見のがしたか、または意図的に仕組んだ論理的陥穽であり、イスラムが世界でトラブルを巻き起こす根本原因であって、これをただすためには絶対に宗教改革(宗教の世俗化)が必要なのだが、現状では、その兆しすら見えない。いや、トルコなど、「世俗化」の試みもないではないけれど、それは、「資本主義の導入による国力の発展」という視点から考えられているだけで、神学的には、復古調(イスラム原理主義)が幅をきかせている。
 というわけで、どこをどう探しても「出口無し」に見えるが、これからどうなるか。

 ちなみに、「神学論争」というと「無駄な論争」の代名詞になっているけれど、近代化に当たっては絶対必要な論争であったのだ。何故なら、それのみが「生活のスタイル」の根本変革を可能にするからだ。「宗教」は、社会の規模の種類、大小を問わず、そこに生まれ、生きている人々の生活スタイルをきめている。言い換えると、それが「宗教」の社会学的定義だ。「儒教」が「宗教」とみなされているのも、それが人々の生活スタイルを規定しているという意味で、「宗教」とみなされているのだ。日本も同じだ。日本人の生活スタイルは儒教と仏教のミックスだけれど、それを「世俗」として受け入れているのは、鎌倉時代の法然、親鸞らによる仏教の世俗化と、江戸時代における封建制度の確立に伴う、儒教の日本化があったからだ。(大陸の大家族制をコントロールするため、「老幼の秩序」をイデオロギー化した本家中国の「儒教」と、封建制を支える機能集団としての「家」の維持を目的に、江戸時代に形成された日本の「儒教」は、まったく似て非なるものである)

 ……で、ぶっちゃけた話、「神学論争」を軸にした宗教改革が望み薄なら、国力増強のための資本主義化とそれを支える民主主義の導入という「外的要請」が、イスラムの世俗化という目的を達成することができるかどうかということになり、ブッシュのアメリカはそれを狙っているわけだ。そして、新宿の片隅から「支持しま-す」と私は発信しているわけだ。なぜって、今のところ、それ以外に方法があるとは思えないからなのだが……。(もちろん、「近代化」なんて、必ず遂行しなければならないことでもないだろう、という意見もあるだろうが、でも、イスラム社会の大半の人々が、「オレたちは前近代の住人のままでいいのだ!」と考えているとも思えないのだ)

世界に羽搏く「月光」!(お知らせ)

2006-02-03 10:36:50 | Weblog
 前にちょっと紹介した、アメリカの青年で、日本におけるゲイ文化、とくにレスビアン社会の研究をしているジェームズ君が、旧月光の「レスビアン特集」から、「ジャーナリストYさん」のインタビューを英訳し、下記のサイトで紹介されているので、お知らせします。英語の勉強にもなりますよ。


月光からのインタビュー:
http://wwwsshe.murdoch.edu.au/intersections/issue12/welker1.html

他にも…

12号"Queer Japan"特集の目次:
http://wwwsshe.murdoch.edu.au/intersections/issue12_contents.html
12号から『カーミラ』というレズビアン雑誌の編集長とのインタ
ビュー:
http://wwwsshe.murdoch.edu.au/intersections/issue12/welker2.html

が載っています。

 ついでに、昨日書き忘れたことを。

 余丁町の古いけれど、かなり立派なお屋敷の玄関に住友不動産のチラシを持って近付いたら、そこの家の人らしい、白髪の上品そうなお婆さんが外出先から帰ってきた。そのお婆さんは、私を見て、「広告は結構ですの」とやんわり言った。私は、「あ、そうですか」と軽くおじぎをして、そのまま通り過ぎ、2、30メートル歩いて角を曲がると、また大きな屋敷があったので、そこの郵便ポストにチラシを入れた時、奥からさっきのお婆さんが現れ、私の顔を見てちょっとびっくりしながら、「こっちも、あたしの家なの、ほほほ」と笑った。いや、うらやましい。

 一日二回の投稿になったけど、では。

女系天皇、是か否か

2006-02-03 00:22:55 | Weblog
 久しぶりの雨で繰り延べになっていた住友不動産のチラシ配付に出かけた。今回は、新宿区余丁町。新宿区健康部健康いきがい課(しかし、なんちゅー名前)から私に浴びせられた「一定のご年齢に達した方」なる呪詛を払拭すべく、意地になって歩きに歩いて、たったの309軒。ギャラに直して、たったの1500円。
 しかし、新宿区は、世田谷区とか中野区とか杉並区のような一般的住宅地とちがい、同じ住宅でもどこかいわくありげなものが多い。路地の奥へ踏み分け踏み分け進むと、「ジョン」とかのカタカナの表札が出ていたり。「ややや、かようなところにバテレンが隠れ棲みおるか!」てな感じ。

 ところで、不動産絡みでちょっと貴重な話を聞いた。
 数日前に「ノンリコースローン」について書いたけれど、これは、日本の場合、遺産相続絡みで行われることがほとんどらしい。どういうことかというと、不動産を相続したが、相続税が払えないとか、一つしかない不動産を巡る争いをさけるために、現金化して分割したいといった場合、その不動産を担保に金融機関にお金を借りることになるが、そんな際に「ノンリコース」が実施されるらしい。ぶっちゃけた話、「担保狙い」がみえみえなのだが、これはやはり、借り手、貸し手の双方がリスクを共有するという、「ノンリコース」の精神にもとるものだと思う。

 雑誌『諸君!』を立ち読み。特集は「女系天皇」。『諸君!』は女系天皇反対かと思ったが、今回の特集は必ずしもそうではない。
 女系天皇反対論は、もっぱら2000年(かどうかはわからないが)に及ぶ伝統が破壊されるというものだが、現在の天皇制は、世界に稀な長い歴史的伝統をもつとはいえ、その伝統に加え、日本の近代化の礎としての役割こそ、天皇家の「新たな伝統」として考慮すべきであって、その中で女系天皇問題も考えるべきだろうと私はこれまで考えてきたのだが、『諸君!』の今月号はそんな私の意見に近いものが多かった。
 ぶっちゃけた話、もし戦後の天皇家が、美智子様、雅子様と続いた「民間」からの嫁取りではなく、旧態依然で、旧華族の令嬢から皇太子妃を選んできたとすると、天皇家の人気がどこまで維持されたかどうか、かなり疑わしいと言わざるを得ない。要するに、「伝統の墨守」が天皇家の主な任務であるというのは、確かにその通りなのだが、かといって、「人気」などは不要とはなかなか言い難い。要するに、「人気」あってこそ、というのが大衆社会の現実なのだ。江戸時代(江戸時代も一種の大衆社会だが)のように、ひっそりと京都御所で伝統儀礼にいそしみ、来るべき日に備えるというあり方もないではないが…、でも今そんなことをしてたら、たちまち忘れ去れるだろうなあ…。
 具体的には、篠沢秀夫教授の案だが、愛子天皇の将来の伴侶は、近代以降断絶した形になっている旧宮家(有栖川宮とか秩父宮とか)を復活させて選択肢を増やした上、そこから選ぶようにすればよいというもので、私はこれでいいんじゃないのと思う。結婚相手を制限するのは憲法違反と言う人もいるだろうが、そもそも天皇家は家督相続が許されている日本唯一の例外的な「家」なんだし、そんなことを言ったら天皇家の存在そのものが憲法違反になる。憲法の第一条で定められてるってのに。まあ、第9条だけでなく、いかに現行憲法が矛盾だらけかってことなのだが。

 それはさておき、司馬遼太郎は、何の問題に関してであったかは知らないが、「最後は、大衆に従うのがよい」と話していたらしい。女系天皇の是非を巡る座談会でこの発言を聞かされた半藤一利とかいう評論家は、「司馬さんも変なことを言う。私は反対だ」とかいきまいていたが、司馬遼太郎の考察はなかなか深いものがあると私は思う。

ハッピー・バースディ・ツー・湯ー(泣)

2006-02-01 21:41:41 | Weblog
 恐怖の誕生日がまぢかに迫りつつある今日午前、郵便ポストに、新宿区健康部健康いきがい課発行の「ふれあい入浴引き換え券」なるハガキが一枚、入っていた。曰く、「新宿区では、一定のご年齢に達した方などに対して、《新宿区ふれあい入浴証》による公衆浴場での入浴サービスを行っています」云々。
 「一定のご年齢」……って、そうなんだろうけどさあ……「月4回まで無料で入浴できます」というから、ちょうど月4回が標準回数の私の風呂代はただになっちゃうわけで、その点はまことに有り難く、日本の自治体の住民サービスのきめ細かさはまさに世界一であると絶賛もうしあげたいけど、こっちは、まだ30台くらいの若者みたいな気持ちでいるんで、「ふれあい入浴証引き換え券」なんてもってったら、番台の、ちょっとその気の入っていそうな、ちらちら私に視線を送る、怪しいお兄ちゃんが私の事をどう思うか、いや、なんとも思わないだろうが、私の主観としては、なんか出しづらい(引き換え券を)。「利用できる所――新宿区内の公衆浴場」とあるから、別の風呂屋へ行くか…。

 しかし、この文章を読んで、南原さんもとうとう、と、笑うか、泣くか(?)しているやつだって、いずれ「一定のご年齢」には達するんだからな、遅いか早いかの違いだけで……って、これが大きいんだよな。

風邪小僧

2006-02-01 00:52:28 | Weblog
 バッチイ話だが、ケツの穴が痒い。掻きむしったりすると、ちょっと血が出たりする。それで、切れ痔の軟膏を買って塗ったら、すっかり納まった。薬が良く効く体質ってありがたいと思ったが、2、3回塗ったところで、チューブ入りのその軟膏をなくしてしまった。セメダインなどより3まわりくらいは大きいチューブだったので、すぐ見つかるだろうと思ったが、全然見つからない。数カ月前、部屋内移動を実施した時、これで見つかるだろうと期待したが、ダメ。痔の軟膏といえども、一本1000円くらいするので、ほんの数回使っただけで新たに買うのもしゃくというか、貧乏なんで、そうぽんぽん買えない。ともかく、どこかにあるはずなので見つからないはずはないと、さらに探したが、それでも見つからない。
 その後、ケツの穴の痒さが増してきたので、ついに昨日、買った。買った、塗った、効いたってシーザーじゃないっつの。ま、ともかく、一回塗っただけで安眠できた。相変わらず薬の良く効く有り難い体質はそのままである。
 でも、よく考えると、風邪薬はあんまり効いたためしがない。私の風邪は抗ヒスタミン剤でないとだめな場合が多いのが、その理由だ。通常の風邪は、寝ている間、結構、甘美な気持ちになったりするが、抗ヒスタミン剤でないと利かない風邪の場合は、かなりしんどいので、注意している。
 冬夏問わず、ちょっと油断すると、たちまち風邪にかかってしまう、小学校時代には、「風邪小僧」なんて呼ばれていたこともあった私である。