パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

戦争の「思想「と「現実」

2009-08-06 12:09:53 | Weblog
 NHKだが、一昨日はビルマ戦線、昨日は特攻潜水艇「回天」のドキュメンと、及び、同作戦を生き残ったおじいさんが(当然みな90歳前後だ)インタビューを受けて喋っていた。

 たぶん、その前にも、ナントカ作戦がとりあげられていたのだろうが、なんで続けて?

 と思ったら、今日は原爆記念日(というのか?)だった。

 この調子で8月15日まで「忘れてはならない」とか言って、続けるのだろうが、なんか釈然としない。

 そもそも、戦争というのは、それに参加した一兵卒にしてみれば、同僚たちを相手に行なう一種のサバイバルゲームだ。

 かくれんぼ、鬼ごっことと同じ。

 鬼に見つかった奴、捕まった奴が脱落し、最後まで見つからなかった奴が「勝者」だ。

 ということは、NHKの番組で喋っているもと一兵卒のおじいさんたちは、実は「勝者」なのだ。

 そんな人に「戦争」の本質を聞いてなんになるか。

 ビルマ戦線は、まさに「生き地獄」だったという。

 でも、その「生き地獄」を耐え抜けば、戦争に勝てるぞ!

 指導者はそう思った。

 もちろん、「思った」だけで、それが実現する可能性は極めて低かった。

 しかし、ゼロじゃない。

 指導者はそう思ったのだ。

 それが「戦争」の思想だが、一兵卒にとってみれば、戦争は「思想」ではない。「現実」だ。

 その「現実」を運良く生き抜いたものが、最終的に勝者となる、そういうゲームだ。

 そういう観点から考えると、「特攻隊」は若干異なる。

 なぜなら、「生き残り」が許されないのだから。

 こりゃ、たまらん。

 もっとも「現実」には、機械が故障したり、天候が悪化したりなどのいろいろな要素がからんで、特攻隊の「生き残り」も存在するのだけれど。

 特攻隊の生き残りには、「やくざ」になって連中がすくなくないというが、それも当然かもしれない。

 要するに、戦争の現実である「生き地獄」の局面を多く抱えた国が、大概の場合は敗者となるのだけれど、しかし、本質的な意味では、「生き地獄」の多寡は戦争の勝敗とは関係がない。

 たとえば、ナポレオン,ヒトラーの侵略を打ち破ったロシア、まさに「生き地獄」の中で勝利を得たのだ。

 もちろん中国もそうだ。

 と、そんな風なコメントを松平アナあたりのナレーションで、最後に1つ入れると、恒例の「終戦ドキュメント」も、従来とは随分ちがって面白く話題を呼ぶだろう、と、そんなことを考えた。

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