パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

私も追悼するのだ

2008-08-09 19:53:00 | Weblog
 北京オリンピックの開会式は、4兆円かけたんだそうだ。これは、鳥の巣とかいうスタジアムの建設費も込みの金額かもしれないが、万里の長城、阿房宮なんかをつくった国だし、聖火台で燃えている炎なんかも、従来の数倍の勢いで燃えているように見えるし(ちょっと見ていて怖くなったほど)で、あり得ない数字ではないのかもしれない。

 しかし、つい一月前のG8で、討議された地球温暖化問題なんかどこ吹く風だ。

 もちろん、開会式だろうがなんだろうが、「もったいない」精神で簡素に行えば地球の危機を救うことができるとは思わないが。(グルジアで「戦争」が勃発したようだが、「もったいない」では止めさせられないだろう)

 それはさておき、赤塚不二夫が死んだ。

 ずっと植物人間状態だったのだから…と思っていたが,必ずしもそうではなかったらしい。しかし、到底、漫画家として現役に復帰することはあり得なかった…というか、赤塚の漫画家としての絶頂期は1970年を挟んだ10年程度だという。

 改めて考えると,たしかにそうかもしれない。

 1964年(昭和39年)「おそ松くん」で小学館漫画賞受賞
 1967年「天才バカボン」連載開始

 「バカボン」の後、「モーレツあ太郎」と続き…って、本当だ。私としては,「おそ松くん」と「天才バカボン」につきると思っていたが、別に、「私としては」じゃなくて、実際にそうだったんだ。

 もちろん、「モーレツあ太郎」もそれなりに人気はあったんだろうが、正直言って、途中から読むのをやめ、古谷三敏の「ダメおやじ」と、少年チャンピオンの「トイレット博士」に鞍替えしたのだ。(その後、「がきデカ」が登場、当初はハマるものの、途中で離脱、「マカロニほうれんそう」で決定的にギャグ漫画を見ることはなくなった)

 この古谷と赤塚の関係というのが,私にはよくわからないのだが、漫画家としての才能は古谷のほうがはるかに上だろう。そう考えると,「ダメおやじ」という漫画の本当の作者は誰だろうという話になるが、実際の話、私の心の中では「ダメおやじ」は赤塚漫画なのだ。

 しかし、ダメおやじ以降の古谷が、すっかりサラリーマン向けのうんちく漫画(なんで、うんちく漫画って、「サラリーマン向け」なんだろう?…いやまあ、そんな風に私には感じられるというだけだが)に転向してしまったことを考えると,「おそ松くん」のチビ太とイヤミ、「天才バカボン」のバカボンのパパを生み得た赤塚の方がやっぱり上だったということになる。

 とはいえ、ギャグ漫画として本当に心の底からくったくなく笑ったのは、赤塚漫画ではなくて、つのだじろうの「ブラック団」だったりするのだが、まあ、これはたまたまハマってしまったということかもしれない。(ウィキで調べたら、ブラック団は、赤塚が「おそ松くん」で漫画賞をとった時に少年サンデーで連載されていた。)

 というわけで、じゃあ、赤塚漫画の魅力は何かということになるが、たぶん、「知と情」なんだろうと思う。

 バカボンほどクールで知的な人物が他にいるだろうか、チビ太、イヤミのようにすべてに熱く,本気で向かうことのできる人がいるだろうか?

 …なんちて

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