ビートルズの、「リなんとか版」が世界的に大きな話題になっている最中、その改めてクリアになった音源を使ったビートルズの,録音スタジオにおける録音風景をドキュメントタッチにまとめた長時間番組をNHKで見た。
「英語で喋らナイト」の前メンバー、松本アナによる、「貴重な映像を、新しい音源でたっぷりお楽しみください」という前口上で始まったが,いやはや、お言葉通り、たっぷり楽しませてもらいました。
しかも、CM抜きで。
彼らのデビューは東京オリンピックの前、ローマオリンピックの頃にはもう立派なプロとして活躍し、1968年~1970年の、いわゆる「若者の反乱」時には、彼らの過激な変遷は終わりを迎え、世間の喧噪をよそに、成熟しようとしていたのだった。
随分古くから活躍していたのだなあと思ったが,振り返ってみれば、時系列的には何の不思議もない。
番組では彼らの全アルバムを紹介していたが,うち、私が持っていたのは「ラバーソウル」一枚だけだ。
実は,私が買ったレコード,CDは、このビートルズの「ラバーソウル」一枚だけだが、買った店を覚えている。
高田の馬場の「ムトー」というレコード屋で、「ムトー」は、この少し後に高田の馬場駅前を焼きつくした大火事で燃えてしまった。
高田の馬場の大火事のことなんか、誰も覚えてないだろうなあ。
今,同駅の駅前が「ビッグボックス」なんかがあって、ちょっとしゃれているのは、この「大火」のおかげだ。その証拠に,反対側は今だに昔風のごちゃごちゃした街並のままだ。
それはともかく、そんなことを覚えているくらい、「ラバーソウル」には強い衝撃を受けた。
実のところ、それまで、「抱きしめたい」とか、「シーラブズユー」といった初期のビートルズは、女の子たちがキャー^キャー騒いでいるだけの、いつの時代にも存在する、単なるポップシンガーだと思っていた。
だとしたら、なんで「ラバーソウル」を買ったのかというと,多分ジャケット写真のせいだと思う。
それはともかく、「ラバーソウル」にすっかり満足してしまった私は「これ以上のものはありえない」という強い信念を持ち、そのために、次に出た「リボルバー」とか、通称「ホワイトアルバム」はスルーしてしまったのだが、番組を聞いていたら,なんと、ビートルズの定番曲が多数収められていることにびっくりした。
さて、「リボルバー」「ホワイトアルバム」をスルーしてしまった私は、その次に出た「サージャントペパー」でビートルズにカムバックしたのだったが、しかし、今聞くと、「サージャントペパー」は今いちかもしれない。
「サージャントペパー」は姉貴が買い、それを何と、裏に住んでいたロック評論家のM矢が、「実は持ってないんだぁ~、貸して~」と言って借りていったことを覚えている。
しかし、私の一番好きなのはやはり「ラバーソウル」。
それと、最後の「アビーロード」だ。
そして、この「アビーロード」が出たのが1970年。
40年も前だ!
アンビリーバボーとはこのこと。(「あんびりーばぼー」とひらがな入力したら、「アンビリーバボー」に直接変換された.アンビリーバボー!)
ところで、番組を見ていて思ったのだが、民放各局は完全にNHKに水をあけられたなと。
かつて、というか、今でも民放各局は、NHKを官僚体質故に世間の動き、変化についていけないと思っているのかもしれないが、ついていけていないのは民放のほうだ。
何故か?
答えは簡単だ。
民放はスポンサーに縛られているが、このことに安住し、自分のリスクでことを行なうということをすっかり忘れてしまった。
たとえば、今回NHKが放送した「ビートルズ特番」のような番組は、たぶん、非常な高額だと思うが、このような高額な番組を買うことにスポンサーは、そう簡単にはクビを縦に振らないだろう。
まして、「ビートルズ」は、ビッグネームだがオールドネームである。
スポンサーというのは,そういうところが気になるものだ。
だとしたら、局側が自身のリスクで「買い付け」を決断するしかないが、自分でリスクをとるという当たり前のことをすっかり忘れ、自分の不作為をすべてスポンサーのせいにし、おんぶだっこですべてをやりすごしてきたことが習い性となっている民放には、とてもそんなことはできない。
ともかく民放は今やスポンサーとの関係を根本から考え直すことからはじめなければならないのではないかと、おせっかいなことを、これでまたヨーコ・オノの懐にしこたま入るのだろうなあなどと思いながら,考えたのである。
「英語で喋らナイト」の前メンバー、松本アナによる、「貴重な映像を、新しい音源でたっぷりお楽しみください」という前口上で始まったが,いやはや、お言葉通り、たっぷり楽しませてもらいました。
しかも、CM抜きで。
彼らのデビューは東京オリンピックの前、ローマオリンピックの頃にはもう立派なプロとして活躍し、1968年~1970年の、いわゆる「若者の反乱」時には、彼らの過激な変遷は終わりを迎え、世間の喧噪をよそに、成熟しようとしていたのだった。
随分古くから活躍していたのだなあと思ったが,振り返ってみれば、時系列的には何の不思議もない。
番組では彼らの全アルバムを紹介していたが,うち、私が持っていたのは「ラバーソウル」一枚だけだ。
実は,私が買ったレコード,CDは、このビートルズの「ラバーソウル」一枚だけだが、買った店を覚えている。
高田の馬場の「ムトー」というレコード屋で、「ムトー」は、この少し後に高田の馬場駅前を焼きつくした大火事で燃えてしまった。
高田の馬場の大火事のことなんか、誰も覚えてないだろうなあ。
今,同駅の駅前が「ビッグボックス」なんかがあって、ちょっとしゃれているのは、この「大火」のおかげだ。その証拠に,反対側は今だに昔風のごちゃごちゃした街並のままだ。
それはともかく、そんなことを覚えているくらい、「ラバーソウル」には強い衝撃を受けた。
実のところ、それまで、「抱きしめたい」とか、「シーラブズユー」といった初期のビートルズは、女の子たちがキャー^キャー騒いでいるだけの、いつの時代にも存在する、単なるポップシンガーだと思っていた。
だとしたら、なんで「ラバーソウル」を買ったのかというと,多分ジャケット写真のせいだと思う。
それはともかく、「ラバーソウル」にすっかり満足してしまった私は「これ以上のものはありえない」という強い信念を持ち、そのために、次に出た「リボルバー」とか、通称「ホワイトアルバム」はスルーしてしまったのだが、番組を聞いていたら,なんと、ビートルズの定番曲が多数収められていることにびっくりした。
さて、「リボルバー」「ホワイトアルバム」をスルーしてしまった私は、その次に出た「サージャントペパー」でビートルズにカムバックしたのだったが、しかし、今聞くと、「サージャントペパー」は今いちかもしれない。
「サージャントペパー」は姉貴が買い、それを何と、裏に住んでいたロック評論家のM矢が、「実は持ってないんだぁ~、貸して~」と言って借りていったことを覚えている。
しかし、私の一番好きなのはやはり「ラバーソウル」。
それと、最後の「アビーロード」だ。
そして、この「アビーロード」が出たのが1970年。
40年も前だ!
アンビリーバボーとはこのこと。(「あんびりーばぼー」とひらがな入力したら、「アンビリーバボー」に直接変換された.アンビリーバボー!)
ところで、番組を見ていて思ったのだが、民放各局は完全にNHKに水をあけられたなと。
かつて、というか、今でも民放各局は、NHKを官僚体質故に世間の動き、変化についていけないと思っているのかもしれないが、ついていけていないのは民放のほうだ。
何故か?
答えは簡単だ。
民放はスポンサーに縛られているが、このことに安住し、自分のリスクでことを行なうということをすっかり忘れてしまった。
たとえば、今回NHKが放送した「ビートルズ特番」のような番組は、たぶん、非常な高額だと思うが、このような高額な番組を買うことにスポンサーは、そう簡単にはクビを縦に振らないだろう。
まして、「ビートルズ」は、ビッグネームだがオールドネームである。
スポンサーというのは,そういうところが気になるものだ。
だとしたら、局側が自身のリスクで「買い付け」を決断するしかないが、自分でリスクをとるという当たり前のことをすっかり忘れ、自分の不作為をすべてスポンサーのせいにし、おんぶだっこですべてをやりすごしてきたことが習い性となっている民放には、とてもそんなことはできない。
ともかく民放は今やスポンサーとの関係を根本から考え直すことからはじめなければならないのではないかと、おせっかいなことを、これでまたヨーコ・オノの懐にしこたま入るのだろうなあなどと思いながら,考えたのである。
『ラバーソウル』のおかげ(ミッシェル)でデビューしたのが井上順で、その井上順のファンクラブにいた数少ない男会員が沢田研二、岸部一徳。ザ・タイガースの衣裳っておそらく井上順のパクリです。
ミッシェルの軽いおフランス路線が受けると
デビューさせられたのがアニメ歌手影山ヒロノブ
で、ちょっとアレンジしたのが『アンドゥトロワ』を作曲した、よしだたくろう(加藤和彦の弟分)
ボブ・ディランは『ミッシェルみたいなコード進行の曲はアメリカ国会図書館行けば簡単に手に入る』って言ってます。