パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

日本の医者のものすごい特権

2008-12-24 16:37:45 | Weblog
 飯島愛自殺…いやいや、「自殺」と決まったわけではないけれど、反射的にそう思ってしまった。

 いずれにせよ、「信じられない」ニュースではない故に、かえってショックだ。

 麻生首相、記者会見で、「世界で一番早く不況から脱出することを目指す」とくり返していたが、そんなことに意味があるのかなあ。発想が変だ。

 出産に現金不要の制度にした、と言っていたが、これが不況対策になるのか?

 もちろん、この政策自体は望ましいことで、とっくの昔に実現しているべきだった。

 ちょっと前、小泉チルドレンの一人だった女性大臣が(猪口邦子とかいったかな?)、出産費用の無料化を打ち出した時、マスコミがいっせいに「素人大臣」、「何も知らない」と罵った。

 なんでだろう?と思ったら、今の制度でも「事実上」無料で出産できるから、改めて「費用無料」と主張する必要はない、よってチルドレンのパフォーマンスに過ぎないという理屈だったと記憶しているが、しかし、それは後でかかった費用が戻ってくるという仕組みで、いったんは自腹で払う必要がある。

 だったら、最初から無料でいいじゃないか。なんで2度手間をかけなければならないのだ? そもそも、「戻ってくる」とはいえ、現金が必要な制度と、いっさい無料という制度では全然ちがうはずだが…マスコミはあの「悪罵」を撤回せよ!


 サッカークラブワールドカップの決勝を見た後、NHKを見ると、医療問題の特番をやっていた。

 そこで、びっくりしたことを報告。

 日本では、開業医は「自由開業」「自由標榜」の二つの特権を持っているんだそうだ。

 「自由開業」というのは、どこで病院をはじめようが、まったく自由なんだそうだ。

 ちょっと前までは酒屋以外で酒を売ることはできず、そのため、酒屋の営業は厳しく規制されていたのだが、医者がどこで営業をしようがまったく自由だというのはびっくりしたが、もっと驚いたのは「自由標榜」である。

 これはどういうことかというと、医学部を出て医師免許を持っていれば、どんな看板をかかげようが自由ということなんだそうだ。

 つまり、内科の学部を出た医者が独立する際、外科の看板をかかげてもいいんだそうだ。

 これには心底驚いたが、実際に、若い医者が独立する際、どんな看板にするか悩んでいる様子を映していた。

 この医者は、結局、自分の専門以外に、いかにも完全に「客寄せ」としか思えない看板を並んでかかげることにしたようだったが、本人曰く、「実際問題として、自分が学んだことのない科目を看板にすることはあんまりないと思います(から無問題)」と笑っていた。

 もちろん、たとえば工学部出身で全然畑違いの仕事につく人もかなり多いけれど、医学部の場合は別だろう。

 それとも、医学部の学生が学校の教室で教わることなど、工学部や法学部、文学部の学生が学校の教室で教わることと本質的になんら変わるものではないということだろうか?

 そうかもしれない。

 だとしたら、フリードマンが言ったように、医師免許なんてものはそもそも当てにならないもので、自由競争に委ねるのが正解ということになる。

 ところが、日本の医師会はその一方で、医者の数を増やすことに「質が落ちる」と一貫して猛反対してきた。

 ということは、日本の医者は免許さえあればどこでも開業でき、しかも数が少ない。つまり、競争がない。

 だったら、不便な田舎でわざわざ開業しようなんて奇特な医師は、本当に「赤ヒゲ」のような「奇特」な医師以外にいないことになる。

 だとしたら、今の医師不足問題は簡単じゃないか。

 「自由開業」、「自由標榜」の権利を守りたいのだったら、医者の数を増やし、「自由競争」のもとで行われなければならない。

 「自由競争」を避けたいなら、「自由開業」「自由標榜」の特権は放棄し、国、地方自治体による割り振りを受け入れなければならない。

 このどちらかだ。

 ところが、番組の司会者は、日本の「自由開業」「自由標榜」の制度について、「私達は、それをごく当たり前と思ってきましたが、ヨーロッパではまったく違うのです」とかのんきに言っていた。(アメリカのことには触れていなかったが、多分、アメリカでは、一切が「自由」なんだろう)

 おいおい、である。オレは全然知らなかったぞ。
 
 この番組の司会者はけっこうがんばって医師会会長にも食い下がっていたが、「制度的」観点からはここが「キモ」なのに、それをスルーしちゃうなんて、画竜点睛を欠くとはこのことじゃないか。

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