パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

新宿、文学めぐり

2011-10-09 00:17:37 | Weblog
  さっき、NHKで、土曜ドラマとやらをやっていたが、それが松下電器創業者、松下幸之助の「立身出世」物語だった。

 日本にだって、スティーブ・ジョブスに負けない創業者がいたんだ、がんばれニッポン!

 と言いたいのだろうが、「成功神話にとらわれてはいけない」、とオタクの解説者が言ってはいなかったか?

 「頑張れニッポン」とか言っている限り日本の復興はないというのは、こういうことなんだ。

 なんで、こんな簡単なことに気づかないのだろう?

 とつくづく思う。

 それとも、みんなわかっているのだけれど、世間の雰囲気には、したがうしかないという判断でそうしているのだろうか?

 もし、そうだとしても事態が少し好転するというわけではない。

 むしろ、わかっていて黙っているほうが、より悪質だとも言える。

 戦前、日本のすべてを罵倒し続けた永井荷風への共感が日々募る。

 荷風の小説は有名なところは大体読んだ。

 こんなことは、夏目漱石以外ない。

 なんで、荷風を……と、その理由がわからないのが、不思議なのだが、つまるところ、日本人に対する嫌悪がその原因かも。

 日記「断腸亭日乗」、の「断腸亭」とは、新宿の余丁町の永井荷風の旧宅の一隅にもうけた家に荷風が名づけた名前なんだそうだが、その余丁町の旧宅の近辺を数年前、チラシ配りのバイトで歩き回った。

 新宿7丁目周辺は旧文人に縁の地が多い。

 一つは三島が小学生のときに書いて、両親を茫然とさせたという小説「スカンポ」の舞台と思われるところも見つけた。

 それは、新宿にあったと言う刑務所の跡地だ。

 小説は、死刑囚と、小学生の少年との交情を描いたもので、確かに、近所を子供の三島と一緒に散歩した記憶のある母親を、「あのとき、あの子はこんなことを考えていたのか」と茫然とさせたのだった。

 で、そこは貧しい官舎のある一角にある小さな公園で、そこを通りかかったとき、記念碑があるので見てみたら、そこは昔刑務所があり、記念碑のあるところは、死刑台のあった場所だと書かれていたので、「あ、これが」と思ったのだった。

 それから小泉八雲の旧宅もあった。小泉八雲の旧宅というと、今、公園になっている新大久保が有名なのだが、その以前だか直後だかに、余丁町に住んでいて、その跡地にある、かなり立派なお屋敷を見て「あ、これが小泉八雲の……」と思ったことを覚えている。

 しかし、荷風の旧宅については、「ある」ことは知っていたがどこにあるのかわからなかったのだが、この記事を書くためにネットで少し調べたら、なんと、余丁町に郵便局員のための官舎があって、いつもその中庭を突っ切っていた、その官舎が荷風の旧宅、断腸亭なのだった。

 これはびっくりである。

 その官舎というのは、4階建ての団地サイズのビルが四つほど建っているのだ。

 つまり、荷風の旧宅は、「新宿御苑」とまではさすがに言わないが、啄木が、「「荷風氏の非愛国思想なるものは、じつは欧米心酔思想なり。・・・ 宰へて言へば、田舎の小都会の金持の放蕩息子が、一二年東京に出て新橋柳橋の芸者にチヤホヤされ、帰り来りて土地の女の土臭きを逢ふ人ごとに罵倒する。その厭味たつぶりの口吻そのままに御座候。しかして荷風氏自身は実に名うての富豪の長男にして、朝から晩まで何の用もなき閑人たるなり」(ネットからコピペ)と難じたのも、さもありなんと思わせる広大な敷地だ。

 あと、「つゆの後先」だったかと思うが、クラブの女給をしている女主人公が、ある雨の夜、タクシーを呼び止め乗車すると、その運転手が以前関係があった男で、急坂の下でタクシーから放り出されるシーンがあるのだが、その「急な坂」も新宿の余丁町の近くだ。

 なんか、こんなことを書くつもりは毛頭なかったのだが、「新宿文学めぐり」でした。

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