Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

今でしょう

2013-03-29 10:02:33 | 異形の滓
一昨日、証明書等が整ったので、再び役所に健康保険証の交付を受けに行きました、役所には何人かの知人がいますが、財政年度末でもあり旧交を温めには行かず失礼しました。


彼女が雑誌の見出しを見て「ニーチェって現代哲学の祖みたいに書いてあるけれど?」と。

教科書、学参買いに中心街の本屋(現在はファッションビルの上階)で、2階の販売スペースの一角に衝立に何枚かの模造紙を貼った落書きコーナーがありました。
その中に「神は死んだ」とあり、存在しないものが何故死ぬのか奇異を覚えたことがあります。
ニーチェを読んでいない高校一年の春でした。

Zarathustraが山を降りていく途中出会った森の中の修行者に「神が死んだことを知らないのか」の旨を話します。
伝統哲学を破壊し、一神教の呪縛(デカルト、カント、ヘーゲル等)から解放した哲学者と考えています。

マルクス読みでないのでまだ断定できませんが、資本論第3巻(マルクスの構想、草稿をもとにエンゲルスが書きました)の資本と資本との関係に「神」を見てしまいます。
第1巻に何度か書かれている「父なる神」とは異質な「神」を見てしまいます。

日頃から「二元論には神が宿る」とうそぶいている自分ですから。


ルー・サロメ(左) パウル・レー(中) ニーチェ(右)

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東進ハイスクール現代文講師林修の「いつやるか? 今でしょう」が流行っています(トヨタのCMでも)
単に受験生への発奮の言葉に過ぎませんが、視点をずらしますと紀元前から様々に考えられてきた「時間」に対するひとつの考え方が表象されています。

例えば「時間」は、「過去から未来に流れる」、また、「未来から過去へ流れる」等の考え方があります。(前者は一神教的で後者は仏教的考え方です。)

過去の出来事は過去にあるのではなく記憶、知識、記録等で現在にある、また未来は希望、推測、計画、期待等が現在にあるにすぎません。

過去も未来も現在の「今」にあるのであって、時間は常に「今」に収斂(めり込む)し続けていると考えています。

時間軸に過去、現在、未来と置く事は、単に日常生活的(物理的)に理解しやすいだけのことと考えています。