Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

出でよ パウロ

2011-01-26 18:44:27 | 未分類
昨日の北海道新聞(11.01.23)の書評欄名作料理店において、水溜真由美の「石原吉郎詩文集(講談社文芸文庫)」について「抑留「加害者」の立場で問いなおす」と題して短文が掲載されていました。

石原吉郎は、過酷な抑留体験を共有した鹿野武一の姿勢を通して、「人間はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。」と。

収容所内の過酷な日々において、人々は被害者の意識であるが、人数の内のひとりでしかない状況から、個としてのひとりになるためには、収容所内において他の人に対する加害者としての自覚がなければならない、と。

日常生活において、被害、弱さ、敗北、暗い等は被害、弱さ、敗北、暗い等ゆえに豊か(完全)を認識できますが、非日常においては加害、強さ、勝利、明るさ等がそれ故に豊か(完全)を認識できると言えます。

「プロレタリア」、またアントニオ・ネグリと マイケル・ハートの「帝国」(以文社)や「マルチチュード上・下」(NHK出版)で定義(定義しきれていませんが。)における「マルチチュード」に同一のことを観ることが出来ます。

年明けからの雑読した中に、何冊かの1991年以後のマルクス主義のオルタナティブものを読みましたが、ぼくがあること、あなたがあること、僕達があること、あなた達があることが欠落し、「プロレタリア」、「マルチチュード」から思惟が立ち上がっています。つまり、書き手の同一性はマルクス主義を担保としていますので、いつもの逆立ちの構造です。

彼らにとって「マルクス主義はアヘンである。」と言えます。

石原吉郎の詩集は何冊かありますが探しだすのが大儀のため、手抜きでかなり古いですが、「言語空間の探検」(學藝書林69年刊)より一篇からの抜粋を、同書には女性の詩、短歌が皆無で特異な内容となっています。

その朝サルマカンドでは」抜粋

火つけ
いんばい
ひとごろし いちばん
かぞえやすい方から
かぞえて行って
ちょうど五十八ばんめに
その条項がある
<ソビエット国家への反逆>
そこまで来れば
あとは 
確率と
乱数表のもんだいだ


(「言語空間の探検」石原吉郎 詩集サンチョパンサの帰郷より)


「言語空間の探検」(學藝書林69年刊)

常に気掛かりなのは、既に表出しており、僕が気付かないだけなのでは、と。
(2011.01.24記)