Parable of the Good Samaritan: The Parables of Jesus with R.C. Sproul
訳出時間枠:最初から3分39秒まで
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良きサマリア人のたとえ。
前回動画要点:自身の救いを達成するために努力せよ。
努力したくない私たちにはお決まりの逃げ口上がいくつかある。
1.イエスの十字架上があるのだから、他に何もする必要はないではないか。
2.そうだとしたら、責めるあなたはどうなのか。
3.聖書の通読と祈りは欠かしたことがないのだから、それだけでいいじゃないか。
等々。
地獄とは何か、永遠の刑罰とは何かについての実感が全くないから出ることばのように見えなくもない。
今夜心筋梗塞が起きてこの世を去り、目醒めた時に後悔してもtoo late。
この動画の後半にも耳が痛くなる内容が語られている。
良きサマリア人がしたことはイエス様だけができることであって、私のような平信徒には関係ないんじゃないか。
これも逃げ口上のように聞こえる。
それって信仰義認ではなく行為義認じゃないのかという疑問。
その言い分も、単にイエスキリストを自分に都合のいいように利用しているだけのように見える。
つまり、逃げ口上。
さて、最後までじっくりと聴いてみよう。
後は、各人で判断を。
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主イエスのたとえの学びを続けようと思います。
このセッションでは、私がとても好きなたとえを見ていきます。
教会所属の方々にはよく知られたたとえであります。
それが良きサマリア人のたとえです。
ルカ福音書10章に書かれています。
このたとえの効能を理解するために、イエスによるこのストーリーが配置された前後の脈絡を見ていく必要があります。
ルカの福音書10章25節から読み始めたいと思います。
ある法律家が立ち上がり、彼を試して言った、「先生、永遠の命を受け継ぐには何をしたらよいのでしょうか。イエスは彼に言った、「律法には何と書いてありますか。そのことに関するあなたの見解は何ですか。」そこで、その法律家は答えて言った、「心を尽くして、魂を尽くして、力を尽くして、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。またあなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」主は答えて言った、「あなたは正しく答えました。これを行ないなさい、そうすればあなたは生きるだろう。」しかし、彼は自分を正当化したくなり、イエスに言った、「私の隣人とは誰ですか?」イエスは答えて言った、「ある男性がエルサレムからエリコへと下っていた。泥棒らが彼の衣服を剥ぎ取り、傷を負わせ、瀕死の状態で置き去りにした。偶然にも、ある司祭がその道を通りがかった。瀕死の男を見て、道の反対側を通り過ぎて行った。同様に、一人のレビ人がやって来て、見て、反対側を通り過ぎた。しかし、あるサマリア人が、旅の途中、瀕死の男がいる場所にやって来た。サマリア人は彼を見て哀れに思い、近寄り、傷に包帯を巻き、オイルとワインを注ぎ、自分の動物に乗せ、宿屋まで連れて行き介抱した。翌日別れる際、2デナリを取り出し、宿屋の主人に渡して言った、「彼の面倒を見て下さい。必要な費用はいくらであれ、戻った時に、私が再度支払います。」この3人の中の誰が、強盗に襲われた人の隣人であったと思いますか。彼は言った、「彼に慈悲を示した人です。」イエスは彼に言った、「行って同じことをしなさい。」
良きサマリア人のたとえを理解する文脈は、イエスの下にやってきたこの法律家によってなされた陥れるための尋問ということにあります。
この法律家が聞いた質問の目的は、イエスに素直に知恵を求めるためではなく、イエスをテストするための理由だったのです。
それで、彼は次のように言います、「先生、永遠の命を相続するためには何をすればよいのでしょうか。」
イエスは、この男が法律家であることを知って、彼に言った、「さて、律法には何と書かれていますか?」