みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#663 神の法第六戒

2021年09月08日 | 神の法
第6戒
責任と法

269~
Responsibility and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

この法を分析するためには、その中心にある面を認識することが重要となる。

第1に、責任とは、あらゆる法体系の一側面。

違反に対する責任を負わせる必要がある。

責任がないところに、法の行使は存在しない。

責任者とは誰かという疑問は重要であり、その疑問に対する答えは宗教的答えとなる。

責任は、家族に、コミュニティーに、環境に、神々に、また個人に付与される。

責任の所在は、社会的秩序における基本的相違を促進する。

第2に、申命記24:16にあるように、聖書教義は、個人の責任の一つを明らかにする。

創世記3:9~13によると、個人の責任を避けようとする試みが罪の本質。

創世記3:9~13
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」 
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」 
すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」 
人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」 
そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」 

アダムとエヴァは自分たちの罪を認めることを拒んだ。

彼らは他人に責任を転嫁した。

アダムはエヴァと神を非難し、エヴァは蛇を非難した。

敬虔な人は責任をもって行動し、自分の行動に対する責任を当然の事と考える。