第6戒
責任と法
269~
Responsibility and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
この法を分析するためには、その中心にある面を認識することが重要となる。
第1に、責任とは、あらゆる法体系の一側面。
違反に対する責任を負わせる必要がある。
責任がないところに、法の行使は存在しない。
責任者とは誰かという疑問は重要であり、その疑問に対する答えは宗教的答えとなる。
責任は、家族に、コミュニティーに、環境に、神々に、また個人に付与される。
責任の所在は、社会的秩序における基本的相違を促進する。
第2に、申命記24:16にあるように、聖書教義は、個人の責任の一つを明らかにする。
創世記3:9~13によると、個人の責任を避けようとする試みが罪の本質。
創世記3:9~13
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」
人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」
アダムとエヴァは自分たちの罪を認めることを拒んだ。
彼らは他人に責任を転嫁した。
アダムはエヴァと神を非難し、エヴァは蛇を非難した。
敬虔な人は責任をもって行動し、自分の行動に対する責任を当然の事と考える。
責任と法
269~
Responsibility and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
この法を分析するためには、その中心にある面を認識することが重要となる。
第1に、責任とは、あらゆる法体系の一側面。
違反に対する責任を負わせる必要がある。
責任がないところに、法の行使は存在しない。
責任者とは誰かという疑問は重要であり、その疑問に対する答えは宗教的答えとなる。
責任は、家族に、コミュニティーに、環境に、神々に、また個人に付与される。
責任の所在は、社会的秩序における基本的相違を促進する。
第2に、申命記24:16にあるように、聖書教義は、個人の責任の一つを明らかにする。
創世記3:9~13によると、個人の責任を避けようとする試みが罪の本質。
創世記3:9~13
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」
人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」
アダムとエヴァは自分たちの罪を認めることを拒んだ。
彼らは他人に責任を転嫁した。
アダムはエヴァと神を非難し、エヴァは蛇を非難した。
敬虔な人は責任をもって行動し、自分の行動に対する責任を当然の事と考える。