みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#662 神の法第六戒

2021年09月01日 | 神の法
第6戒
責任と法

269~
Responsibility and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

聖書律法の中心部分は、一つの文章に要約される。

申命記24:16
父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、自分の罪のためでなければならない。 

この法は、第2列王記14:6と第2歴代誌24:4において引用されている。

アマツヤは、父を殺した者たちの子どもたちに危害を加えることはなかった。

エレミアは同様の教義を強調した。

エレミア31:29~30
その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』とは言わない。
人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。

エゼキエルも同様。

エゼキエル18:20
罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。

この法に関するライトの注釈は興味深い。

個人が基本単位であり、地域団結意識が希薄ないしは欠落している現代社会において、このような法律は不要。しかしながら、家長制度や半遊牧的生活にとって、地域の責任感、とりわけ家族の責任感は極めて強かった。遊牧民の長年の争いは、構成員一人の犯罪のために一族が全滅するほどだった(ヨシュア7:24~25、第2サムエル21:1~9)。

ヨシュア7:24~25
ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。 
そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。 

「遊牧人の長年の争いが、この法固有の原則を拒んだ」というWrightの声明は正しい。

しかし、この法に対する同様の脅威が、今日別の形で存在する。

ゼラフの子アカン(ヨシュア7:24~25)に関しては、Wrightの声明は間違っている。

アカンの場合、テント中央の地中に隠された金銀は、家族全員の連座を必要とした。

第2サムエル21:1~9に関する解釈も誤っている。

古代に共通して実行されたことは、違反者のいる家族全員の処罰、ペナルティー、そして死刑だった。