みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#665 神の法第六戒

2021年09月20日 | 神の法
第6戒
責任と法

270~
Responsibility and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

罪と天性(nature)の違いは、聖書釈義及び法にとって基本。

その違いは、イスラム教のように法体系の中に存在するというものではない。

法は罪を取り扱い、罪を処罰するが故に、聖書の法釈義における他人へ移すことのできない罪の性質は、極めて重要。

罪を移すことのできるところでは、処罰も移すことができる。

これが、血で血を洗う争いの基本原理。

ハットフィールド家のある者が犯罪を犯すなら、ハットフィールド家全員がその罪を分け合い、そして全員が処罰される。

同様に、すべてのアメリカ人がケネディー大統領暗殺で有罪判決を受けるなら、この非宗教的理論に従って、アメリカ人全員が処罰されなければならない。

責任、罪、処罰は、法的に不可分。

違反に対する責任があるところでは、有罪責任があり、処罰やペナルティーが適応されなければならない。

今日、個人の責任に関するこのような教理は、進化論によって見下されている。

環境保護主義は進化論を基本とする。

人間は環境の産物であり、変化する環境とその振る舞いとの関係において進化する。

つまり、人間は環境の産物であるのみならず、神の被造物ではなく環境の被造物という結論になる。

人間とは、進化する世界が創り上げた何かであり、人間の行ないとは、そのような環境の産物であり、
環境による鋳型。

つまり、人間の罪の責任は、周囲の環境、社会、私的世界にあり、人が罪を犯す時処罰されるべきはこの世界であるということになる。

以上から、社会が過失や犯罪のために避難され、両親が子供の罪のために責められる。

かくして、社会や両親が処罰の対象となる。

このような物事の図式においては、無法が赦免され、有罪が無罪となる。

コメント:

ここに書かれているようなことは、わが国においても日常茶飯事であり、当たり前となってしまった。

この原因を、Rushdoonyは「世界が聖書律法から離反したからだ」と説明する。

この悪(要するに、人間教)の根底にあるのは進化論。

この世に流されて生きているクリスチャンは、進化論から脱却できていない可能性がある。

参考:

これまで新型コロナウイルス感染症に関して、小生が思い描いていたことをズバリ解説してくれている動画を見つけた。

高橋泰教授のコロナ7段階モデルを支持します!

是非参考にして頂きたい。