みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#666 神の法第六戒

2021年09月23日 | 創世記
第6戒
責任と法

270~
Responsibility and Law
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

聖書は、コミュニティーの責任について何も教えていないだろうか。

当然の事ながら、聖書律法は、コミュニティーの責任(すなわち、正義が為されていることを確認するための責任)を強く主張する。

正義が為されなければ、コミュニティーの罪が存する。

第1に、正義に対するコミュニティーの責任を議論する。

個人の責任に関する法の直後に、正義に関する多くの法のひとつがある。

申命記24:17
在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない。

家族が存在するところで、犯罪者の罪過ゆえに家族が有罪となることはない。

家族が存在しないところで、コミュニティーがその人の無力を食い物にしてはならない。

外国人(見知らぬ人)が係争中であったり、孤独であったり、友人がいない時、その人の正義に対する権利は依然として不変。

彼らの無力を食い物にしてはならない。

犯罪者の親戚の財産が没収されたり、彼らが攻撃されることも許されることではない。

正義とは社会的なことではなく、個別の事案。

社会正義の教理は、社会犯罪の教理と連帯する。

社会正義は、個人の責任に対する攻撃であると同時に、無罪放免に対する攻撃でもある。


参照:

以下の動画にも登場するが、林千勝氏の著書「The Rothschild」通読中。

もちろん聖書律法から外れてはならないのだが、われわれクリスチャンも、この世においてずる賢く生きるべきではないのか。

今、世界はどうなっている?

林千勝の有料特別講座「菅総理はなぜ辞めるのか『米中草刈り場』日本の総裁選」

いずれの動画も最後まで見ると、次のように締めくくっている。

越えなければならない、と。

どうやって・・。

われわれクリスチャンには無限のパワーが内住している。