みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#484 神の法第四戒

2020年01月23日 | 神の法
第4戒
安息日と仕事
 
p146~
The Sabbath and Work
The Fourth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

オーラーによれば、仕事と目標、努力と結果、これらは安息日の理念の土台を形作る2つの概念。

安息日は、労働に意義と目的を与え、生活に目標を与え、労働を喜びに満ちた完成に導く。

安息日は、後ろを振り返りつつ、その雛型と信仰の源を創造の安息のうちに求める。

加えて、上を見上げて神の恵みと勝利を確信し、前を向いて偉大なる安息の完成を予見する。

しかし、人類の歴史の中に入った罪と死の支配を考慮に入れない限り、安息日の理念の意味を十分に理解することはできない。

創世記5:29
彼はその子をノアと名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」 

地が神に呪われ、裁きを受けた人がその滅ぶべき体を用いて、額に汗して働かねばならなくなってはじめて、神の休息を求める気持ちは、贖いへの憧れという形態を取るようになる。

イスラエルも、エジプト人による迫害のもとで、休みなしに働かされることを通じて、休息をあえぎ求めるようになった。

神が彼らを奴隷の地から救い出し、彼らに定期的な休みを与えた時に、この命令は、同時に彼らが経験した救いを、感謝をもって厳粛に記念する儀式になった。

そのため、二回目に与えられた十戒(申命記5:15)において、「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられた。」と言われる。

この聖句は、よく誤解されるが、単に、第7日目にしもべの休息を邪魔してはならないという特殊な義務の遂行を励ましているわけではない。

また、他方、これもよく誤解されてきたことだが、この聖句の中には、安息日を聖別するための理由としてふさわしい、客観的な教えが含まれているわけでもない。

逆に、すでに述べたように、安息日の聖別は、最初に与えられた十戒(出エジプト記20:11)の中に記されている。

この聖句は、安息日の遵守にあてはめられている。

とくに、きわめて主観的な煽動に基づいて律法全体の成就へと向かわせるあの考察にあてはめられている。

上記のローマ人の著者たちによれば、エジプトのくびきから救われた時の記憶がどれだけ密接にこの安息日の制度と結びついているかは、安息日の祝いの理由に関して異教徒たちに知られていたことから明らかである。

コメント:

本論からは外れるが、敵の霊に騙され続けないために、富井師の過去記事から2つ紹介しておく。

毎日必死に祈ろう

異教やニューエイジの称名は神の御名の称名の真似である

悪魔に騙されないためには何をすべきか。

1.聖書を最終判断基準として採用する→ディスペンセーション主義やニューエイジなどの異端からの解放

2.自分の頭で考える→人間教や進化論的思考パターンからの解放

3.研究史を調べ、今までにわかっていることを把握する→歴史に対する偏狭な知識からの解放

4.先人に対して敬意を持つこと→歪曲化された聖書理解からの解放