ALFA ROMEO SPIDER 2000
1976年からVWのSciroccoに乗りました。
2年ほどで7万キロを走行、初心者の乱暴な運転や改造が祟ってか、
ボディー、エンジン、ミッション、すべてがボロボロになってしまいました。
そんなおり、1978年秋頃だったか、知り合いのAlfa Romeo Spiderが売りに出されました。
1976年登録、最後の高公害モデルでWeberカービュレタ付き。
一部のスーパースポーツを除けば、ブッチ切りの高性能車といえるクルマでした。
新車400万円が、走行8千キロで200万円という値付け。
当時のロメオといえば、ゲテモノ中のゲテモノで中古車には値段の付けようが無い時代でした。
ましてや、スパイダーともなれば、なおさら絶望的でした。 街中でオープンカーを見かけることも無く、
オープンカー乗りイコール “イカレポンチ!” の時代でしたから。
1966年頃、、40年前の私と叔父とアルファロメオ1300ジュリア
ロメオは小さな頃から憧憬を感じる存在でした。
まだ国産乗用車はOHCエンジンすらない頃、ロメオはDOHC+WEBERでしたから、
旧碓氷峠で聞く、そのエンジン音は、まるでレーシングカーのように感じられたものでした。
1979年夏、、、軽井沢の山小屋にて、、左 母のBeatle1300s、右 父のVolvo264
我が家は皆がクルマ好きだったせいか、わりとすんなり、その“ゲテモノ”は、やって来ることになりました。
1979年秋 C G 誌の“いつもの100キロコーナー”
この画像から27年経ちましたが、助手席のパートナーは今も替わらず。。
この頃はスピードドライブを怖がったものですが、、今では平気で、すやすや眠ってます。
クルマは経年変化でヤレますが、女性は経年変化で強くなります。 (^^ゞ
1980年 冬、、、正丸峠
箱根もだんだんと交通量が増えてきてしまい、WEBERの吸気音とエクゾーストノートを聞く為に、
秩父辺りまで、出かけるようになりました。
1980年春、、、最長ドライブ、、、桜島にて
まだ、中国道も九州道も無い頃、、ええ、モチロン陸路(下道)です。
タイヤ、ホイール以外はフルノーマルで乗りましたが、
素晴らしいクルマでした。
トラブルも、まったくありませんでした。
強いて言えば、九州へ出かけた際、シフトリンケージがズレてバックギアーに入らなくなったくらいでしょうか。
九州から東京までバックギアー無しで帰ってくるのは、なかなかの頭脳戦ではありました。
3年で9万キロ?(オドメータが故障)走り、パワーが少し落ちたように感じたため、
残念ながら手放すことにしました。