OG's Family Chronicle & Diary 
Formula H,AlfaRomeo 8C Competizione,996Cab,RangeRover
 



あるニューモデルに期待を込めて
久々に“Motoring in the past”の続きをば。

前回のSAAB 900
http://blog.goo.ne.jp/dino993/e/b51faa007dcaf8cc8027dfe49321e6b6

ロメオからSAABに乗り換えてはみたものの、どうにも物足らずにいました。
1981年、昭和53年排気ガス規制が一段落して、
規制施行後、初めて欧州仕様のまま輸入されたクルマがFIAT 131 Racingでした。
2リッター、115馬力、ウェーバーダウンドラフト、ツーバレルシングルキャブ。

もう、一生、欧州仕様の生きの良いエンジンに乗ることは不可能だろうと
思われていた時代でしたので、まさに夢のような出来事でした。


1981年10月 箱根

納車直後、993RSNobuさんの18-RGのCAMRYと芦ノ湖スカイラインへ。
ここは、CG誌の「いつもの100キロコーナー」のイン側。
今では、すっかり熊笹が生い茂り駐車スペースは無くなってしまいました。

箱根を走ってみて感じたこと。
やはり、キャブレータのレスポンスは、何物にも代え難いこと。
ロメオの2リッターより、ほんの少しだけパワーが無いこと。
意外やAlfa Romeoの2Lより、回転感が軽くスムースであることでした。

早速、131 Abarthを目指してチューニングすることにしました。
ネットもメールも無い時代でしたので、パーツ集めに苦労しましたが、
名古屋のイタ車パーツ屋さんを通して、アルクァッティのインマニと
高公害ウェーバーのツインチョークツイン、加えてハイカムを
手に入れることが出来ました。
エンジンの組上げは、当時、一の橋辺りにあった“日の出自動車”の高橋さんにお願いしました。


1982年10月 八甲田山

40パイ、ダンドラ・ウェーバーと手磨き鏡面仕上げのインマニに
ハイカムの相乗効果で、レスポンス、パワーとも、十分に楽しめるクルマに仕上がりました。
まだ、AコーナーもBコーナーもない頃のFISCOにも、何度か出かけました。
当時の国産ハイパワー車の代表格、スカイラインRSと同じ位のタイムだったと記憶してます。
一方、一般道でも滅法楽しく、遠くは十和田・八甲田山のワインディングまで走り回りに行きました。


さてさて、30年以上も車マニアをやっていますと、
チョイ乗り試乗した車は数え切れません。
そのほとんどが、すでに忘却の彼方なわけですけど、
中でも、田園調布のチェッカーで乗せていただいたA112 Abarthは
今も鮮烈な記憶として残っています。
十分以上のパワー、俄かにはOHVとは信じ難いほど軽やかに回るエンジン、
ドラマティックな高回転、70馬力でも十分と思わせる軽い車体、
田園調布裏辺りの一般道がサーキット並みに楽しめたのでした。

2010年にデビューするといわれるFIAT 500ベースの“Abarth Coupe”に
もし、その操縦感覚が残っているとすれば、これほど日本の交通環境に
適したスポーツカーはないんじゃないかと、今から、その発表が楽しみでなりません。



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本棚の整理をしていたら、またまた古い写真がポロッと出てきました。
真四角な画像から分かるとおり、写真はポラロイド!(^^ゞ

時は、今を遡ること31年前の1977年、撮影場所はどうやら東名高速の山北辺り。
友人のGolfとツルンで快走中。
よくよく見ると、初代Sciroccoの屋根の上に何やら乗ってます。

もう少し本棚を探してみると、さらなる画像が・・・

おおおおーーーー、屋根の上には深紅のヤマハKT100Sが鎮座してます。

まだ、大井松田カートランドもオープンしておらず、
神奈川から最も近いカートコースが須走の富士サーキットでした。
レーシングタイヤは、まだブリヂストンが参戦する前でダンロップの超ハードタイヤのワンメイク。
100Sエンジンは前方排気タイプ。点火系もCDIが導入される前でしたので、
火花が弱く、押し掛けが大変な重労働だったと記憶しています。

30年前のカート、現代のカートからは全く想像もできないくらい、
神経質で繊細で、本当に手がかかる代物でした。

こうしてみると、普通自動車免許を取得して1年後には、もうモータースポーツにドップリだったんですね。
いやはや、本当に長い歴史です。そうそう簡単に足を洗えるはずも無いのでありました。



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先日、クローゼットの奥から、偶然、発掘されたシングル8のフィルム。
やっと、DVD化されました。

撮影年月日は1979年から1981年。
場所は箱根、軽井沢。
撮影総時間は48分ありました。

DVDのVOBファイルを何とかAVI化し、ほんの数分だけアップしてみました。
シングル8ですので、もちろんサウンドは入っていません。

しかし、今さらながら思うのは、この動画から30年経って50歳になったというのに、
やってることに全くの進歩が見られないことにビックリします。
ここまで(半生をかけて?)貫き通せば、
ある意味、尊敬されてもイイのではないかと。。。そんなわけ無いか(笑)

皆さま、走ってるクルマ、すべて言い当てられますか!?



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クローゼットの奥から、オープンリールに巻かれた不思議なものが出てきました。
わずか8mmサイズのコマをクローズアップしてみると、懐かしい画像の数々が・・・・

M氏のGTI仕様のゴルフⅠ、S氏のシロッコ。
左のナイスルッキングは、ジェンセンヒーレーのK氏に間違いない。
おそらくは、1977年秋の箱根。

M氏のジェミニZZ-R。
たぶん1982年頃、撮影場所は軽井沢。
サウンド8mmでの動画撮影。
現在、中軽井沢カントリーになってしまった辺りのキャベツ畑を疾走たっけ。

σ(^^)のフィアット131Racing。
サウンドが生きていれば、ダンドラウェーバー×2の吸気音が聞けるはず。

今じゃ、コンデジで簡単に記録できる動画も、当時はサウンド8mm以外に手立てはありませんでした。
汎用ビデオカメラが発売されるのは、まだまだずっと先の話。
しかも、最初に出たベータカムは重量40kg、価格も500万越えだったと記憶しています。

さっそく、8mm→デジタル起こしを依頼してみようと思います。
しっかし、やってることは30年経っても進化してませんなぁ。(^^ゞ



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SAAB 900 turbo

クルマ馬鹿を卒業しようと、何度となく悪足掻きしてみたのは
以前の記事にも在るとおりです。
http://blog.goo.ne.jp/dino993/e/d6c9f70ad39ab8ec7c0b021a07e25f62

そんなクルマの中にも、思い出してみれば、今さらながら良いクルマだったかも?
というヤツもあります。
最も個性的だったのがこちらです。

1981年12月
Alfa Romeo Spiderの入替えに乗ったのが、SAAB 900 turboでした。
新車価格555万が、半年落ちで300万ほどで手に入りました。
1235kgの車重に、135HPのエンジン。
現代のクルマに比べれば驚くほど軽量ですが、
ロメオと比較してしまうと、鯨のような巨漢車に思えました。


しかしながら、こんな使い方をすると最高に良いクルマでした。
包み込むようなデザインのベロアシートは素晴らしい掛け心地で、
ロングツーリングには最適でした。
重量級FFの得意技、直進安定性も大きな助けになりました。
何より、記憶に残るのが雪上走破性。
ミシュランTRXタイヤにチェーン無し。
何度も、猛吹雪の中、一の瀬まで一気に登り切ってくれました。


ついでにオマケ。
一の瀬ならぬ、開業したての軽井沢プリで。 
いまだに、993RSとレンジローバーがお揃いのRSノブさんとOG。
当時のギアーもお揃いだったんですな。
長~ゲ~、付き合いです。

当時のスキー風物。
フリースタイル(気取)スキーヤーはジーンズ&Tシャツで滑ってました。
スパッツも、無防水のコットン素材。
ブーツはリアーエントリーのHanson。
板は、OLIN、PRE、The Ski。


結局、コイツへの未練が断ち切れず、
哀れSAABは半年あまりで手離すことになりました。

ロメオ・スパイダーが降って湧いたようなイタリア車ブームの中、
信じられないような高価格で売れたのに対して、
(200で買って、2年半のって、240で売れた。。)
http://blog.goo.ne.jp/dino993/e/f59c304e7ac792144b01ab9510b9209c
半年しか乗らなかった、SAABは二束三文で買われていきました。

所謂、業界人に嵐のようなSAABブームが訪れ、
リセールが高騰するのは、それから5年も後のことでした。
私もSAABの良さを理解するには若すぎました。

SAAB 900 turbo、あまりに早過ぎたクルマでありました。



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リビングにあるディスプレーケースの特等席を占めるのがこのクルマです。
Ferrari 250LM
たぶん1966年頃に新車購入、いまだにワンオーナーです。
オリジナルタイヤの交換時期は当に過ぎているようです。(^^ゞ

当時は代官山近くの西郷山から麻布青山方面に通園通学しており、
帰り道に東急文化会館1階にあったコーギーショップによるのを日課としていました。

ここを帰り道に選ぶ理由がもう一つありました。

右側が今は無き東急文化会館。
左側の東横に渡る歩道橋があり、この下が路上駐車場になっていました。
ポルシェ356や、なぜか好きだったハンバー、ジャガーなどの英国セダンなどが停められていて、
クルマに詳しかった母の説明を聞きながら歩くのがとても楽しみだったのでした。

東急文化会館の右側には、首都高3号線どころか六本木通りすら
まだ無かったと思います。
誕生日のプレゼント、私はヨタ8のミニチュアカーが欲しかったのに、
母親が迷わず撰んだのがコーギー社製Ferrari 250LMでした。
世の中の所謂自動車好ですらフェラーリというクルマなど、
ほとんど知る者が居なかった時代の話。

こうして遠い昔に性質の悪いインプリンティングをされてしまった成れの果てが、
現在の私なのでありました。



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http://blog.goo.ne.jp/icecoltd
フォーミュラ仲間のカサジさんのブログに刺激されて、
35年ぶりにHOゲージを引っ張り出してみた。
ご希望通り?、EF66( カツミ製 )

さすがにスポンジが変性して粉だらけになっていたが、
当時の工作技術は大したものだと思う。
プラスティック製品に慣れてしまっているせいか、
取り落としそうなるほどの重量感が新鮮だ。

もう一度、走られせてみたいと思ってみたものの、、
レールそのものは、とうに処分済みなのでした。OTL



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またまた懐かしい画像を発掘してしまいました。
  まるで今、デジカメで撮ってきたような写真ですが、
  正真正銘、27年前にPentax SPで撮ったものです。

夜な夜なというか明け方というか、アロハカフェには良く出かけました。
まだ、カフェバーなる言葉すらない頃だったと思います。
Romeoも懐かしいけど、クルマの前に停めてあるパッソルも発売直後で
かな~り注目を集めていた記憶があります。

まだ、ピンボールできるかしら?

本牧ふ頭も出入が自由で、良くこんな写真とって遊んでいました。
買ったばかりのYAMAHAのレーシングカート100Sの“ナラシ”も本牧ふ頭でした。
真っ暗闇で突っ走ったもんだから、海に転落しそうになりました。(^^ゞ

もちろん、昼間の埠頭にも良く行きました。
まだ、お付き合いを始めたばかりの頃・・・・・
まさか、21歳と18歳の子供を育てた後に、二人でYOKOHAMAの町を自転車で
散歩することになるとは、、夢にも思っていないころのお話です。



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で、Spiderのその後ですが、、、

C G 誌の編集長 小林氏が、ローバーTC2000からアルフェッタに乗り換えたり、
( from editorで、その心境を 「 もう、匙は投げられた 」 と吐露したのは有名 )
ちょっとsnobな自動車マニアの間で、「俺は、ちょっと、お洒落なんだぞ!」みたいな
イタ車ブームが起こったりが相乗して、
突然、イタ車好きが、変態からお洒落さんにランクアップした時期でした。

一年落ち、走行8000kmで200万円で手に入れたロメオは、
2年半、8万キロ、十分に楽しんだ後、“ドイツ車嫌いのクルマ好き”とウソブク
俄仕立てなイタ車マニア(笑)な方に、
240万円で買い取られて逝ったのでした。

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ALFA ROMEO SPIDER 2000

1976年からVWのSciroccoに乗りました。
2年ほどで7万キロを走行、初心者の乱暴な運転や改造が祟ってか、
ボディー、エンジン、ミッション、すべてがボロボロになってしまいました。

そんなおり、1978年秋頃だったか、知り合いのAlfa Romeo Spiderが売りに出されました。
1976年登録、最後の高公害モデルでWeberカービュレタ付き。
一部のスーパースポーツを除けば、ブッチ切りの高性能車といえるクルマでした。
新車400万円が、走行8千キロで200万円という値付け。

当時のロメオといえば、ゲテモノ中のゲテモノで中古車には値段の付けようが無い時代でした。
ましてや、スパイダーともなれば、なおさら絶望的でした。 街中でオープンカーを見かけることも無く、
オープンカー乗りイコール “イカレポンチ!” の時代でしたから。

1966年頃、、40年前の私と叔父とアルファロメオ1300ジュリア

ロメオは小さな頃から憧憬を感じる存在でした。 
まだ国産乗用車はOHCエンジンすらない頃、ロメオはDOHC+WEBERでしたから、
旧碓氷峠で聞く、そのエンジン音は、まるでレーシングカーのように感じられたものでした。


1979年夏、、、軽井沢の山小屋にて、、左 母のBeatle1300s、右 父のVolvo264

我が家は皆がクルマ好きだったせいか、わりとすんなり、その“ゲテモノ”は、やって来ることになりました。


1979年秋 C G 誌の“いつもの100キロコーナー”

この画像から27年経ちましたが、助手席のパートナーは今も替わらず。。
この頃はスピードドライブを怖がったものですが、、今では平気で、すやすや眠ってます。
クルマは経年変化でヤレますが、女性は経年変化で強くなります。 (^^ゞ


1980年 冬、、、正丸峠

箱根もだんだんと交通量が増えてきてしまい、WEBERの吸気音とエクゾーストノートを聞く為に、
秩父辺りまで、出かけるようになりました。


1980年春、、、最長ドライブ、、、桜島にて
まだ、中国道も九州道も無い頃、、ええ、モチロン陸路(下道)です。

タイヤ、ホイール以外はフルノーマルで乗りましたが、
素晴らしいクルマでした。
トラブルも、まったくありませんでした。
強いて言えば、九州へ出かけた際、シフトリンケージがズレてバックギアーに入らなくなったくらいでしょうか。
九州から東京までバックギアー無しで帰ってくるのは、なかなかの頭脳戦ではありました。
3年で9万キロ?(オドメータが故障)走り、パワーが少し落ちたように感じたため、
残念ながら手放すことにしました。



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VW  SCIROCCO TS

1976年、初めてのクルマがVWのScirocco TSでした。
わずか1470CCの70ps(DIN)エンジンでしたが、
車重がわずか800kgほどでしたので驚くほど軽快なクルマでした。
タイヤはピレリのCN36、タイヤ幅は175、
エンジンパワー、シャシ性能とのバランスを考えると十分な性能と言えました。

箱根の下り道は圧巻で、敵無しに近かったたと記憶しています。
もっとも、当時はまだ“峠族”などが出現する以前で、
峠をワインディングと称する変態ドライバーも、ほとんど存在していなかった時代の話ではありますが。

公権による取り締まりも弱く、いろいろな地域に公道サーキットが存在していて、
よく、夜な夜なタイムアックが催されていました。
都内では“田園サーキット”なる田園調布近辺の周遊コースが有名でしたが、
神奈川県にも、“ルマン”なるコースがありました。
米軍の相模原キャンプから座間キャンプに抜けて、相模川沿いに周回するコースで、
1周が16kmほどありました。

Range Roverで30年ぶりに座間キャンプ前の“ユーノディエールストレート”(苦笑)を訪れてみました。
当時はすべてが野ッ原だったのに・・・・・見る影も無いほど開発されてました。
ちなみに一枚目のSciroccoの画像は、この近辺で撮影したと思われます。

ユーノディーエールに入る手前で、ふと思い出しました。
ストレート手前のシケインで、現993RSオーナーの同級生Nがスピンを喫し、
農家の納屋に突っ込んで全損したのでした。
もちろんイリーガルではありましたが、まだまだ公道で
モータリングライフを楽しめた良き時代でありました。



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今日は、K氏邸のホームパーティーにお邪魔しました。
目黒の真ん中にありながら、広大なお家。

今からちょうど30年前・・・免許を取ったばかりの頃、
よくK氏邸のガレージに集まっては、みんなでクルマいじりを楽しんだものでした。
当時、Kがジェンセンヒーレー、Aが18RG-セリカ、NがシビックRS(L?)、σ(^^)がVWのシロッコでした。


Kの奥方の手料理、素晴らしいの一言です。
いただいたワインもヴィンテージ。
美味しい食事に芳醇なお酒、そしてクルマの思い出話、
30年間のお付き合いから生まれる安らぎ感・・・・
これほど素敵な夜は、めったやたらにあるものではありません。



食事もひと段落して、、
みんなで車をいじり倒した、なつかしの作業所?へ。


K所有の極上Dino、私の極悪?Dinoとは大違いです。Dino奥に鎮座しているのは、走行数千キロのDD6、、。


その奥の奥には、日本に10台しかない重ステの355。その奥の奥の奥には、、Elan。。相変わらずの秘密基地ぶりに
一同、びっくり(@_@)

最後に1980年撮影の思い出の一枚
σ(^^)のRomeo、NのCOLT、Kのジェンセン

企画していただいた、K夫妻様、心のこもった楽しい夜を、本当にありがとうございまいしたぁ!
近々、また遊びに行きまぁす。



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周期的に矯正期に入ると言うか、クルマから距離を置くために、
悪足掻きをする時期があるみたいです。
“a passion for car”
フォーミュラ隼仲間のブログです。TBを受け付けてないみたいなのでLINKしちゃいます。
彼のバイオグラフィーを見ていたら、共通点の多いこと。(爆)

σ(^^)も1980年にSAAB 900 turboに乗り換えました。
その前に乗っていたのが、1976年製のAlfa Romeo Spider。
最後の高公害モデルでウェーバー付き、もちろんエアコンレス。
当時、国家資格試験がひかえていて、このままクルマオタクを続けていては
合格も覚束ないと考えて乗り換えたのでした。
しかし、カタギの生活も一ヶ月でした。そのころは禁じ手だったブーストアップチューンを施して、
気が付いたら、流行だった国道246号の青山シグナルGPに参加してました。
でも、所詮ファミリーカー、6ヶ月で飽き飽きして手放しました。

次にFIAT 131 racingに乗りました。1981年のことです。名古屋の早瀬モータースを通じて
アルクァッティのパーツを輸入してチューンしました。
旧FISCO、旧どころか、まだAコーナーもBコーナーも無い頃のですが、
よく出かけました。出たばかりのスカイラインRS(2L、4気筒、16V)が好敵手でした。
1コーナーで、何度か横転しそうになり、止めました。

結婚を期に、FIATを売り飛ばしました。サーキットで酷使したためか、
コンプレッションも落ちてガタガタでしたが、CGのユーズドカーガイドで高値で買っていただきました。
次に乗ったのがボルボ240turboでした。(クルマを辞めたつもりでした)
しかし、その直後から閉所恐怖症を発症てしまいました。
クルマを我慢していることが、ストレスになって発症したような気がしたので、
ポルシェに乗り換えることにしました。(爆)

そして、ミツワの中古車センターで出会ったのが1987年製の930でした。
たった、225馬力でしたが、速さ感?では993RSを上回るほどでした。
東京~熱海の通勤に使い、3年間で9.9万キロ乗りました。
あとちょっとで10万キロというところで東名で遭えなく爆死。
東名を3時間ほど通行止めにしてしまいした。

その時には、すでに2人の子持ちになっていたので、これではイカンと決意して、
出たばかりのメルセデスのC280に乗り換えました。やっぱり悪足掻きだったんですけどね。。。
続きはいずれまた。



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